ドゥテルテ大統領、政界引退表明
大塚智彦(フリージャーナリスト)
「大塚智彦の東南アジア万華鏡」
【まとめ】
・ドゥテルテ大統領が政界引退を表明。
・サラ・ドゥテルテ氏とボン・ゴー氏の正副大統領候補コンビ結成に期待高まる。
・大統領選は、ドゥテルテ政権への評価をめぐる激しい攻防戦へ。
フィリピンのドゥテルテ大統領が政界を引退することを表明し、次期大統領選へ向けて出馬していた副大統領としての立候補も取り止めになったことから、大統領選を巡る戦いはますます混沌としてきた。
10月2日、マニラ首都圏パサイ市の立候補届け出会場を訪れたドゥテルテ大統領は、突然「私は政界を引退する」と宣言して、予定していた2022年5月の大統領選に出馬表明していた副大統領として立候補届け出を行わなかった。
代わりに同行していたドゥテルテ大統領の側近で同じ最大与党「PDPラバン」のクリストファー・ボン・ゴー上院議員が副大統領候補としての届け出をすませた。
ドゥテルテ大統領による突然の「政界引退表明」は、与野党の正副大統領立候補の構図に大きな影響を与えるとともに、今後の選挙戦が混迷の度をさらに深めるのは確実で、フィリピン情勢から目が離せなくなってきた。
■憲法違反の世論に野望断念
ドゥテルテ大統領は2016年の大統領就任以来積極的に推進してきた麻薬関連犯罪対策での司法手続きに寄らない現場での警察官らによる射殺という「超法規的殺人」などで内外から批判と真相解明を迫られ、副大統領として政権の中枢に今後も残ることで影響力を行使したいとの意向が立候補の背景にあったとされている。
大統領として再選がフィリピン憲法で禁止される中での副統領としての出馬という「奇策」による「野望」達成はこの日の政界引退表明で断念に追い込まれた形となった。
断念の背景には「大統領経験者の副大統領出馬」が憲法違反の可能性が高いとの批判が高まり、ドゥテルテ大統領の人気、支持に陰りが生じてきたことが挙げられている。
どういうことかというと、大統領は再選が憲法で禁止されているが、副大統領への就任は禁止事項ではないとされている。ところがドゥテルテ大統領が副大統領に当選、就任後に大統領が重病や死亡あるいは弾劾などによってその職を去る事態になった場合は、規則では副大統領が大統領に昇格して残る任期を全うすることになっている。
この時に「大統領の再選禁止」に抵触して憲法違反になる事態が生じる、という指摘が渦巻き、ドゥテルテ大統領への風当たりが日に日に強まっていたという背景がある。
フィリピンでは実際に2001年に俳優出身のジョセフ・エストラーダ大統領が不正蓄財疑惑で議会から弾劾動議が出されて可決、退陣に追い込まれた事例がある。この時はグロリア・アロヨ副大統領が大統領に昇格して残る任期を全うしている。
こうした過去の経緯もあり「国民の声に従って今日私は政治の世界から引退する」とドゥテルテ大統領が述べたことからも「憲法違反の疑いがある」という世論への配慮からの決断であることがうかがえる。
■側近を副大統領候補で与党内混乱
ドゥテルテ大統領の代わりに副大統領候補として届け出を済ませたゴー上院議員は9月8日の与党党大会で大統領候補として指名を受けながら固辞した経緯があるものの、この日は「ドゥテルテ大統領の意思を継いで副大統領に挑戦する」と意欲を見せた。
ゴー氏とペアを組む大統領候補については言及もなくこの日の届け出もなかった。
与党「PDPラバン」からは一部支持者から指名を受けたプロボクサーのマニー・パッキャオ上院議員が大統領候補となっているが、「反ドゥテルテ路線」という政治姿勢や組む副大統領候補者の相手を別の党から選んだことなどから「反党的活動」だとしてパッキャオ氏を「PDPラバン」から除名する動きも表面化。与党の内紛がさらに激しくなっている。
■長女サラ市長出馬への期待高まる
ドゥテルテ大統領の政界引退表明、与党の内紛という事態を受けて、世論調査で常に次期大統領候補としてトップの人気を維持しているドゥテルテ大統領の長女ミンダナオ島ダバオ市のサラ・ドゥテルテ市長の出馬への期待が急速に高まっている。
地方政党「改革党」所属のサラ市長は、各政党からの出馬要請にも「父(ドゥテルテ大統領)が副大統領候補を撤回しない限り私の出馬はない」と漏らしていた。この前提条件が今回のドゥテルテ大統領の政界引退表明で崩れたことから、各政党からのラブコールが強まっているのだ。
▲写真 在ダバオ総領事館開館式典への出席等のため訪問中のフィリピン・ダバオにおいて,サラ・ドゥテルテ・ダバオ市長と会談する河野太郎外務大臣(当時) 出典:外務省
サラ市長は大統領選への出馬に関して2日以降も明言を避け、市長への再選を目指しているなどの観測もでているが、与党「PDPラバン」関係者やドゥテルテ大統領自身も周囲に「大統領候補サラ市長、副大統領候補ゴー氏」という組み合わせへの期待が高まり、「サラ・ゴー」のベアで大統領選勝利を目指す動きが活発化しようとしている。
■強力な候補で政権交代目指す野党
こうした与党の混乱を受けて、政権交代の実現を目指す野党側は「自由党」などで組織する連合体「イサンバヤン」が9月28日に反ドゥテルテの急先鋒でもあるレニー・ロブレド副大統領を野党統一の大統領候補として指名した。
レニー・ロブレド副大統領自身はまだ指名を受けるかどうか明確にしていないが、野党系の他の候補者などとの協議を重ねるなど調整を進めているとされ、近く去就を明らかにすると期待が高まっている。
レニー・ロブレド副大統領が次期大統領に就任することになれば、ドゥテルテ大統領の在任中に起きた「超法規的殺人」などへの訴追も現実味を帯びてくることになる。
さらにドゥテルテ大統領の在職中の汚職問題追及を掲げているパッキャオ氏やマニラ市長のイスコ・モレノ氏などの他の大統領候補が当選した場合もドゥテルテ大統領への厳しい追及は不可避となる。
それだけにドゥテルテ大統領や与党としては何としてもそうした事態だけは阻止する必要があるとしており、大統領選は政界引退を表明したとはいえドゥテルテ大統領を巡る激しい攻防戦になるのは必至の情勢となっている。
トップ写真:ドゥテルテ大統領に伴われて、副大統領選への立候補証明書を提出するクリストファー・ボン・ゴー上院議員(2021年10月2日) 出典:Photo by Lisa Marie David – Pool/Getty Images