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.政治  投稿日:2022/8/2

置かれた場所で咲きなさい  「高岡発ニッポン再興」その22


出町譲(高岡市議会議員・作家)

【まとめ】

・経営不振の企業の再生を実現した経営再生プロ、板谷勝義さん。

・「人の3倍働く」をモットーに率先垂範の姿勢。

・「置かれた場所で咲きなさい」という精神。

 

 

夏の全国高校野球の富山大会決勝で、高岡商業が激しい打撃戦を制し、12対11で氷見を下しました。5大会連続22回目の夏の甲子園出場を決めました。9回に起死回生の逆転劇を見せました。

地元の高校の優勝は、私にとってはもちろんうれしい結果です。甲子園での戦いも期待しております。

それにしても、氷見は強かったですね。勝てば、57年ぶりの甲子園出場でした。選手の皆さん、残念でしたが、今後も頑張ってください。そして、この敗北を糧にして、今後の人生を思い切り生きて欲しいですね。

私の母校は高岡高校です。進学校だけに、甲子園とは蚊帳の外というイメージがありますが、甲子園出場あと一歩というときがありました。

その時のピッチャーが(83)です。板谷さんは今も、高岡の経済界では伝説の人です。経営不振の企業の再生を実現した、経営再生プロだからです。

写真)板谷勝義さん

筆者提供)

企業再生の話はあとでしますが、板谷さんは根っからの野球少年でした。もともと、六大学に入って神宮球場のマウンドに立ち、大学卒業後は商社に働くことが目標でした。サウスポーのエースとして知られ、6大学から勧誘もありました。ところがさまざま事情から、大学進学をあきらめました。その後、いっそう野球に打ち込み、甲子園出場を目標にしました。

そしてチャンスが巡ってきたのです。65年前の1957年8月3日。当時は、北陸三県で一校だけが出場できました。

高岡高校は、富山県代表となり、福井の三国高校と優勝戦を迎えました。高岡高校にとっては大きなチャンスです。富山県からは500人の応援団が来ました。板谷さんは、富山県の高校では断トツのピッチャーでした。この試合まで完璧な投球で、相手打線を封じ込めていました。

「俺は身長166センチ。あと10センチ高ければ、プロ野球に入っていた」。この甲子園をかけた三国との一戦も調子は悪くなかったそうです。得意のカーブや速球で毎回打者を凡退させていましたが、2回。ヒットを打たれ、その後のスクイズで1点を許しました。それが、決定打となったのです。0対1で、惜しくも敗北しました。

「野球少年の夢もここで一区切りついた。富山県内の就職先を探した」。板谷さんは、地元に残り、日本ゼオンに入社。日本ゼオンで初の地元採用でした。韓国などにも赴任し、その後、北興というゼオンの関係の会社に出向、社長に就任しました。

借金が40億円もあり、危機的状況だったのです。取引先銀行は7つありましたが、そのうち5つの銀行は、取引をやめました。板谷さんは、残る2つの銀行のトップに面談し、「命がけで再生しますと頭を下げました。さらに、トップセールスで官公庁の大型物件の設備投資などの受注に力を注ぎました。

「人の3倍働く」をモットーに率先垂範の姿勢を貫きました。社長が働けば、部長も働き、社員も動くというのが板谷流の姿勢です。借金も数年で片づけたというのです。

北興は、ゼオンノースと社名を変更。今では従業員250人の企業になっています。

私はふと思います。人生とは、まさに、何が起きるかわかりません。板谷さんは大学に進学し、大手商社に入っていたかもしれません。また、甲子園に出場して、プロ野球に入った可能性もあります。

ただ、地元に残って仕事をする。そして全力投球する。それが、今のゼオンノースの礎を築いたのは間違いありません。甲子園に出場しても、出場を逃してもやはり大事なのは「置かれた場所で咲きなさい」という精神なのです。私も、高岡市議会議員として、この言葉を胸に刻んで邁進します。

トップ写真:横浜野球場で東京 2020 オリンピックの15日目にチーム米国とチーム日本の間の金メダルをかけた試合でピッチングする岩崎卓投手 2021年8月7日 神奈川県横浜 (本文とは関係ありません)

出典:Photo by Steph Chambers/Getty Images




この記事を書いた人
出町譲高岡市議会議員・作家

1964年富山県高岡市生まれ。

富山県立高岡高校、早稲田大学政治経済学部政治学科卒業。


90年時事通信社入社。ニューヨーク特派員などを経て、2001年テレビ朝日入社。経済部で、内閣府や財界などを担当した。その後は、「報道ステーション」や「グッド!モーニング」など報道番組のデスクを務めた。


テレビ朝日に勤務しながら、11年の東日本大震災をきっかけに執筆活動を開始。『清貧と復興 土光敏夫100の言葉』(2011年、文藝春秋)はベストセラーに。


その後も、『母の力 土光敏夫をつくった100の言葉』(2013年、文藝春秋)、『九転十起 事業の鬼・浅野総一郎』(2013年、幻冬舎)、『景気を仕掛けた男 「丸井」創業者・青井忠治』(2015年、幻冬舎)、『日本への遺言 地域再生の神様《豊重哲郎》が起した奇跡』(2017年、幻冬舎)『現場発! ニッポン再興』(2019年、晶文社)などを出版した。


21年1月 故郷高岡の再興を目指して帰郷。

同年7月 高岡市長選に出馬。19,445票の信任を得るも志叶わず。

同年10月 高岡市議会議員選挙に立候補し、候補者29人中2位で当選。8,656票の得票数は、トップ当選の嶋川武秀氏(11,604票)と共に高岡市議会議員選挙の最高得票数を上回った。

出町譲

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