金沢の空き校舎、住民の思いで未来につなぐ 「高岡発ニッポン再興」その31
出町譲(高岡市議会議員・作家)
【まとめ】
・空き校舎とコミュニティバスの処遇について、金沢と高岡では全く異なる対応をとった。
・金沢市は空き校舎問題に関し、まず地元の人の思いを考慮して、空き校舎を「解体」ではなく「転用」した。
・高岡市は空き校舎問題に関して「財源ありき」で議論がスタート。地元住民の思いを残すという議論はない。
9月定例会が終わった後もバタバタしていましたが、少し時間があったので金沢に行ってきました。観光が目的だったのですが、結局は、視察もしてみました。政治家になって1年。仕事を忘れる瞬間はありません。高岡の参考になることは何か。いつもそればかり考えています。高岡に戻ってきてから完全な休みはありません。振り返れば、記者生活を30年やりましたが、その時も、旅行に行っても、本を読んでもネタ探しをしていました。あまり変わらないのです。
たまたま金沢で見つけたテーマは2つです。空き校舎とコミュニティバス。この2つのテーマは、この連載でお伝えしたように、私が高岡市議会9月定例会で質問しました。高岡市では空き校舎に関しては利活用する考えはなく「解体か売却」。コミュニティバスについては「検討する予定はない」でした。結論から言えば、金沢は高岡とは全く違っていました。
▲写真 「金沢未来のまち創造館」エントランス 出典:筆者提供
まずは空き校舎。2014年に廃校になった旧野町小学校が生まれ変わっていました。ここは、街中にも近く、室生犀星が卒業したことで知られています。この空き校舎を利用して去年オープンしたのが「金沢未来のまち創造館」です。高岡のような「解体や売却」ではなく、「転用」です。
なぜ転用したのか。金沢市役所の産業政策課は、地域住民が残してほしいと訴えていたためだと説明。「小学校の校舎は地域の思い入れが強いものです。地域の意向にできる限り寄り添う必要があります」と語っています。
4階建ての空き校舎は改修されました。その際、学校で使われていた黒板や棚などをできるだけ多く残しました。地域で愛された校舎の思い出をあえて残したそうです。新しさの中に古さを残したのです。それも地元住民の思いを反映したものです。
一つ棟を増築しました。その棟には、木材を多く使った開放的な吹き抜けがあります。そこには新たにエレベーターを付けました。
コンセプトは「ものづくり、子ども、食」です。新たな産業の育成と、未来で活躍する人材育成のための施設です。託児所もあれば、オフィスや研究所、調理室もあります。
▲写真 「金沢未来のまち創造館」フロアマップ 出典:筆者提供
託児所は1回500円で、生後6カ月から就学前までの乳幼児が対象となっています。
4時間まで使えます。オフィスや研究所は全て埋まっています。調理室では料理教室などが開かれたりしています。
このほか、子どもたちが3Dプリンターを使って自由につくったりできる場所や、起業家らが集えるコワーキングスペースなどもあります。
さらに、注目されるのは、4階の「食の価値創造」スペースです。こちらでは、医療用の遠心分離機を備えています。それを使った料理方法の研究ができるのです。従来の調理のイメージを一新します。
▲写真 「金沢未来のまち創造館」内部 出典:筆者提供
それではこの空き校舎の転用、いったいいくらかかったのでしょうか。総事業費は9億1000万円です。このうち50%は国からの交付金です。社会資本整備総合交付金と呼ばれるものです。残りの4億5500万円のうち、一般財源は1割。つまり、4500万円です。残りの4億1000万円は、借金することになりますが、そのうちの一部は、国から戻ってきます。ちゃんと、市の負担が大きくならないように配慮しています。
金沢市は、空き校舎に関して、まずは地元の人の思いを考慮しました。そして、金沢の未来にとって何が必要かを考え、「金沢未来のまち創造館」が誕生したのです。そのために、いい条件の財源を探したのです。
高岡の空き校舎問題は、まず「財源ありき」で議論がスタートしました。新校舎の建設には巨額の費用がかかるので、「有利な地方債」、いい条件の借金をしなければならない。このためには、5年以内の解体か売却、という流れになっています。地元住民の思いを残すという議論はありません。私はそれに違和感を抱きます。金沢視察は大いに役立ちました。次はコミュニティバスについてお伝えします。
(つづく)
トップ写真:廃校になった旧野町小学校が「金沢未来のまち創造館」として転用された 出典:筆者提供
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この記事を書いた人
出町譲高岡市議会議員・作家
1964年富山県高岡市生まれ。
富山県立高岡高校、早稲田大学政治経済学部政治学科卒業。
90年時事通信社入社。ニューヨーク特派員などを経て、2001年テレビ朝日入社。経済部で、内閣府や財界などを担当した。その後は、「報道ステーション」や「グッド!モーニング」など報道番組のデスクを務めた。
テレビ朝日に勤務しながら、11年の東日本大震災をきっかけに執筆活動を開始。『清貧と復興 土光敏夫100の言葉』(2011年、文藝春秋)はベストセラーに。
その後も、『母の力 土光敏夫をつくった100の言葉』(2013年、文藝春秋)、『九転十起 事業の鬼・浅野総一郎』(2013年、幻冬舎)、『景気を仕掛けた男 「丸井」創業者・青井忠治』(2015年、幻冬舎)、『日本への遺言 地域再生の神様《豊重哲郎》が起した奇跡』(2017年、幻冬舎)『現場発! ニッポン再興』(2019年、晶文社)などを出版した。
21年1月 故郷高岡の再興を目指して帰郷。
同年7月 高岡市長選に出馬。19,445票の信任を得るも志叶わず。
同年10月 高岡市議会議員選挙に立候補し、候補者29人中2位で当選。8,656票の得票数は、トップ当選の嶋川武秀氏(11,604票)と共に高岡市議会議員選挙の最高得票数を上回った。