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.政治  投稿日:2023/2/8

歴史に学ぶ「有利な借金」とハコモノ「高岡発ニッポン再興」その52


出町譲(高岡市議会議員・作家)

【まとめ】

・空き校舎問題のポイントは「公共施設等適正管理推進事業債」と呼ばれる地方債。

・相談した総務省の官僚は、「交付税措置があっても借金は借金」と発言。

・「平成の大合併の優等生」と呼ばれた兵庫県丹波篠山市の例を思い出す。

 

私は去年11月、総務省に出向きました。空き校舎問題を勉強するためです。12月議会で質問するため、情報収集するのが狙いでした。高岡だけをみるのではなく、中央官庁の動きを知るのが大事だと思ったのです。

高岡市の空き校舎問題でポイントとなるのは、国の支援の手厚い有利な地方債です。「公共施設等適正管理推進事業債」と呼ばれるもので、担当しているキャリア官僚と会いました。

高岡市は学校再編のため、この事業債を使う方針です。その条件をクリアするため、校舎に関して5年以内の解体や売却を検討しています。そうすれば、借金しても、50%は交付税措置されます。つまり、国からお金が戻ってくるのです。

私は高岡市について、「公共施設等適性管理推進事業債」をつかって、学校再編をやろうとしていると説明。それに対し、その官僚は、「有利な借金、交付税措置があると言っても、借金は借金なんですよ」と述べました。明らかに警鐘を鳴らしているのです。官僚の言葉とは思えない発言に私は驚きました。

その上で、この官僚は浜松市に財務部長で赴任していた際のエピソードを教えてくれたのです。浜松市は当時、平成の大合併で12の市町村が合併。政府はその時、合併特例債という有利な地方債をぶら下げて、合併を促しました。合併特例債とは、70%は交付税措置されます。とても、有利な地方債なのです。ハコモノ施設をつくろうという要求が旧市町村から噴出したそうです。

それに待ったをかけたのは、地元経済界の重鎮、スズキ自動車会長だった鈴木修さん。浜松市行財政改革推進審議会の会長を務めていました。財政再建の旗振り役です。

この官僚によれば、鈴木さんは「どんな有力な地方債であっても借金は借金」と主張。どんどんハコモノをつくろうとするのは、民間なら考えられないと訴えたのです。このキャリア官僚は、鈴木さんの教えを今も胸に刻んでいるそうです。

合併特例債と聞いて思い出すのは、かつて取材した、兵庫県丹波篠山市(旧篠山市)です。4つの町が合併して誕生しましたが、合併特例債をフルにつかって、次々にハコモノを建てたのです。当時は、「平成の大合併の優等生」として、全国から視察が相次ぎました。

どんどんハコモノをつくりました。まずは、斎場やゴミ焼却場の建て替え。老朽化していたため、合併特例債はうってつけの建て替えの財源となった。さらに、市民センター、温泉施設、図書館、温水プール付きの運動公園、博物館など次々につくった。

合併特例債を財源にした真新しい建物がずらりと建ったのです。一つ一つの施設がぜいたく三昧でした。「合併バブル」で、まちは、潤ったように見えたのです。将来、人口が増えるという甘い見通しがあった。税収アップも期待できました。

しかし、幻でした人口は結果的には減少したのです。そもそも、合併特例債は、あくまで借金です。返済しなければならないのです。巨額の維持管理費も必要です。

結局、借金は膨れ上がり、総額は1136億円となったのです。旧篠山市は破たん寸前にまで追い込まれたのです。「第2の夕張」と言われるようになりました。

市は大胆な歳出削減を打ち出さざるを得なくなりました。市職員に関しては3割減らしました。給与は市長が20%、市職員は10%、それぞれカット。さらに、各種補助金も引き下げました。地域の公民館16館を閉鎖しました。市民センターの図書コーナーは、職員の代わりに市民のボランティアが運営したのです。

合併特例債で、ハコモノはできましたが、逆に、住民サービスの低下につながったのです。「平成の大合併の落第生」の典型なされるようになりました。おそらく、旧篠山市には、浜松市の鈴木修さんのような重鎮がいなかったのです。

この合併特例債と公共施設等適性管理推進事業債。どちらも有利な借金です。しかし、借金は借金なのです。30年後、40年後の未来の市民にのしかかるのです。私は議員として、当局の動きをチェックしてきます。

トップ写真:丹波篠山市役所 出典:photoTNB/PhotoAC




この記事を書いた人
出町譲高岡市議会議員・作家

1964年富山県高岡市生まれ。

富山県立高岡高校、早稲田大学政治経済学部政治学科卒業。


90年時事通信社入社。ニューヨーク特派員などを経て、2001年テレビ朝日入社。経済部で、内閣府や財界などを担当した。その後は、「報道ステーション」や「グッド!モーニング」など報道番組のデスクを務めた。


テレビ朝日に勤務しながら、11年の東日本大震災をきっかけに執筆活動を開始。『清貧と復興 土光敏夫100の言葉』(2011年、文藝春秋)はベストセラーに。


その後も、『母の力 土光敏夫をつくった100の言葉』(2013年、文藝春秋)、『九転十起 事業の鬼・浅野総一郎』(2013年、幻冬舎)、『景気を仕掛けた男 「丸井」創業者・青井忠治』(2015年、幻冬舎)、『日本への遺言 地域再生の神様《豊重哲郎》が起した奇跡』(2017年、幻冬舎)『現場発! ニッポン再興』(2019年、晶文社)などを出版した。


21年1月 故郷高岡の再興を目指して帰郷。

同年7月 高岡市長選に出馬。19,445票の信任を得るも志叶わず。

同年10月 高岡市議会議員選挙に立候補し、候補者29人中2位で当選。8,656票の得票数は、トップ当選の嶋川武秀氏(11,604票)と共に高岡市議会議員選挙の最高得票数を上回った。

出町譲

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