不祥事続きの自民党にとどめ 和歌山県連ダンスショー
安積明子(政治ジャーナリスト)
「安積明子の永田町通信」
【まとめ】
・不祥事続きの自民党にとどめを刺した、和歌山県連の懇親会。
・参加した藤原崇前青年局長と中曽根康隆前青年局長代理は役職を辞任。
・問題は青年局や和歌山県連だけではなく、これが政権トップの体質。
まるで全ての運が尽きてしまったような印象だ。自民党はこれまでにないくらい、危機に瀕している。
きっかけは昨年末に発覚した派閥のパーティー券をめぐる裏金問題。ロッキード事件やリクルート事件のような大疑獄事件ではないものの、カネ集めに終始するその姑息な方法は品性を疑うものだ。しかも衆議院では安倍派幹部らの政倫審の出席をめぐってすったもんだを演じた上、参議院では広瀬めぐみ議員が不倫問題を週刊新潮にすっぱ抜かれ、予算審議が始まると同時に、茂木派内での政治資金の付け替え問題が野党によって追及された。
このように不祥事続きの自民党だったが、とどめを刺したのが和歌山県連が昨年11月、過激なコスチュームをまとったダンサーを招いて開いた懇親会といえるだろう。3月8日の国際女性デーに産経新聞が報じた特ダネだが、その様子は「紙幣のようなものを口移しでダンサーに渡す」「ダンサーの衣装に紙を挟み込んで尻を触る」など、およそ公党による催し物内容とは思えないほど品位がない。
もっとも許せないのは、企画運営側が当初、「多様性」を根拠に言い訳をしていたことだ。多様性とは、組織やグループなどで他とは異なった人たちが共存することを意味するが、いったいこれがなぜ多様性になるというのだろうか。そもそも主催・運営側に「多様性」がなかったからこそ、このような問題が発生したのではなかったか。
もし企画側あるいは参加者の中にひとりでも女性がいたら、どうだっただろうか。たとえダンスのショーが行われたとしても、「乱痴気騒ぎ」のような事態には至らなかったに違いない。
こうした一連の問題からは、自民党の病巣が見えてくる。それは世間の常識からかけ離れているにもかかわらず、「自分たちだけは何をしても許されている」といった妙に自信たっぷりの特権意識に他ならない。それを隠しおおせるうちはまだ良かった。しかし政治不信はまさに蟻の一穴で、漏れ始めるとその際限はなくなってしまう。
懇親会に参加した藤原崇前青年局長と中曽根康隆前青年局長代理は3月8日に役職を辞任。ともにダンサーの身体に触れてはいなかったと断言した。
しかしダンサーの身体に触れなかったということのみで、青年局幹部の責任は免れるものなのか。また懇親会を企画・主催し、ダンサーを招いた川畑哲哉県議は3月11日、自民党を離党したことが報じられたが、それだけでは自民党に塗りたくった恥をぬぐえるはずもない。
1955年に誕生した自民党は、来年いよいよ創設70年を迎える。自民党がこれほどまでに長く存在し、日本の政治の中心で居続けたのは、ひとえに時の政治家が有権者の心を掴むため、不断の努力が行われてきたからだった。これまでも様々な問題が起こってきたが、それでも国民が自民党を見捨てなかったのは、そうした先達の尽力があったからだろう。
果たして現在の自民党はどうなのか。先達が作り上げた看板にただ乗っかり、苦労せずして権力を握り、特権意識に享じているに過ぎないのではないか。それでは先達から残された遺産がいくら大きくても、すぐさま浪費されてしまうのではないか。
「魚は頭から腐る」というが、これが自民党の実態ではないか。すなわち問題は青年局や和歌山県連だけではなく、これが政権トップの体質だということだ。戦後日本をリードしてきた、あのプライドがあった自民党はいったいどこに行ったのか。
自民党は危機に瀕している。それは2009年の政権交代時の比ではない。不祥事続きで反省する暇もないほどだが、それを自覚できずにただ安穏としていては、自民党はただ国民の前から永遠に消え去るのみだ。
トップ写真)自民党本部 2022 年 7 月 11 日 東京・千代田区
出典)Takashi Aoyama/Getty Images