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.社会  投稿日:2022/4/23

食べてよいもの、いけないもの(上)方言とソウルフードについて その2


林信吾(作家・ジャーナリスト)

林信吾の「西方見聞録

【まとめ】

・多くの文化圏に、それぞれの「食べてよいもの、いけないもの」が存在する。

・宗教的なタブーは一部世俗化しながらも、現在でも広く伝わっている。

・「ソウルフード」は米南部の奴隷制度の中から生まれた。

 

英国ロンドンで暮らしていた当時の思い出だが、幾度か留学生仲間と連れだって食事に出かけた。行き先は大抵、中心部のソーホー地区にあるチャイナタウン。

食事がまずいことでは定評のある英国だが、ロンドンでは中華料理はじめイタリア料理、インド料理など、いずれも本場物が楽しめる。

ちなみに、世界三大料理というのをご存じだろうか。中華料理、フランス料理、そしてトルコ料理である。

▲写真 トルコ料理「ピデ(トルコ風ピザ)」 出典:J.Castro //Getty Images

意外に思われた読者もおられようが、トルコも古い文化を持つ国であり、世界三大料理のひとつと称される根拠はちゃんとある。オリーブオイルを用いて食材に火を通す、ミルクや果物を用いてスイーツを作る、という料理法が、いずれもトルコ発祥なのだとか。

ロンドンではフランス料理もトルコ料理も食べられるが、学生の懐にも優しく、どの国の人にも楽しめるという点では、やはり中華料理が一番いい。

ある日、イスラエルから来ていた学生が、席に着くなり、

「スウィート・アンド・サワー・ポークを食べたい」

などと言い出したので、一同ドン引きしたことがある。酢豚のことだ。

スイス人の女子学生が、

「あなた自分がなに言ってるか分かってるの?」

などと詰問調で問い返したが、当人は、

「先週だったか、偶然食べたら、神様よりこっちの方がいいやと思えたもんでね」

と答えて涼しい顔をしている。

その時は笑いながら彼の希望を叶えてやったが、後で考えてみると、メニューにPorkと明記されているのに「偶然食べた」もないものだ。旅の恥はかき捨てとばかりに、確信犯的に禁忌を犯したのではないだろうか。

イスラムでは戒律で豚肉を食べることを禁じている、という話は日本でも割合よく知られているが、ユダヤ教にも同様のタブーがある。

その理由については諸説あるのだが、世上よく言われていたのは、

「暑いところで布教が始まった宗教なので、傷みやすい豚肉は危険だという生活の知恵を、宗教的タブーに置き換えたのだ」

ということで、私も漠然とだが、さもありなん、と思っていた。

それでも念のためということがあるので、以前にも紹介させていただいた若林博士に、この話は本当でしょうか、と質問したところ、

「それは典型的な後づけの理屈でしょうね」

と一笑に付されてしまった。

言われてみれば、キリスト教にせよ似たような気候風土の土地(パレスチナ)で生まれた宗教だが豚肉を禁忌としてなどいない。

若林博士はまた、続けてこうも言った。

「宗教的タブーなんて、要は神様がこう言っているのだ、という以上のものではないですよ」

とのことで、そこに科学的根拠を見いだそうとすれば、必ず反論にさらされるから、というのがその根拠なのだとか。具体的には、虫がつくから食べちゃいけません、と言うと、だったら焼けばよい、となる。

ユダヤ教徒のタブーには、

「親子の関係にあるものを同じ日に食べてはいけない」

というのもあるそうだ。親子丼はおいしいのになあ、という話ではなくて、牛肉の料理を食べたなら、食後のコーヒーにミルクを入れてはいけない。

最高級の牛肉は、子供を産んだことのない雌牛のものとされ、逆に安い肉は去勢された雄牛のものが多いのであるから、牛肉と牛乳を親子の関係と見なすのは無理があるようにも思うのだが、これは不信心者が言うことであるに違いない。

牛肉と言えば、ヒンズー教では禁忌とされていることは、これまた日本でも知られている。

2009年に、こんな経験をした。

インドネシアのバリ島で少林寺拳法の演武披露会(世界大会の予定だったが、直前にイスラム過激派の爆弾テロがあったため、自主参加の演武披露会に変更となった)が開かれたのだが、観客席で隣り合わせた日本人女性が、

「主人はバリ・ヒンズー(の信者)なので、結婚した当初は牛肉食べなかったのですけど、今では子供とマクドナルドに行くのが大好きなんですよ」

と語ってくれたのだ。すると、小学校高学年くらいに見える男の子が、

「どうして牛肉食べちゃいけないの?」

と私に質問してきた。

「ヒンズー教のシバという神様が、牛の背中に乗って天から降りてくることになってるから、牛を殺して食べたりすると神様が怒ってバチくれるんだね」

と教えてあげたのだが、聞かされた方は無言のまま、下の前歯と下唇を突き出した「変顔」をしただけであった。

たとえヒンズー教徒の父親を持とうとも、平成生まれの子供にとって、マクドナルドはある意味ソウルフードだからな、とも思った。

その話題はひとまず置いて、このあたりでソウルフードのなんたるかを、きちんと定義しておかないと、話を先に進めるのが難しくなる。

もとをただせば、米国南部で奴隷とされていたアフリカ系の人々が、農場主たちが食材と見なさず捨てていた臓物や豚足などを、野生のハーブなどで味付けして、なんとかアフリカの食文化を再現しようと工夫しつつ栄養源としたことに由来する。

1960年代に入って、アフリカ系の文化が広く認知されるようになり、世に言うソウルミュージックがヒットチャートを席巻するようになったのと平行して、ソウルフードという呼称も市民権を得たもののようだ。ただしこの頃には、もっぱらフライドチキンやチーズマカロニが代表的なものと見なされるようになっていた。

その後次第に、本来の意味とは離れて各地域における伝統的な食文化を指す言葉と考えられるようになったが、今ではこちらの意味の方が、世界中で認知されていると言って過言ではない。

話を戻して、宗教的なタブーでもって食生活に制約が架けられている人たちと接すると、自分はそうしたタブーがない国に生まれてよかったな、と思うことがよくあった。

とは言え歴史をひもとけば、日本人が肉食の禁忌から解放されたのは、たかだか150年ほど前の事に過ぎない。次回、その話を。

(つづく。その1

トップ写真:ロンドンソーホー地区で食事するロンドン市民ら 出典:Photo by Dan Kitwood/Getty Images




この記事を書いた人
林信吾作家・ジャーナリスト

1958年東京生まれ。神奈川大学中退。1983年より10年間、英国ロンドン在住。現地発行週刊日本語新聞の編集・発行に携わる。また『地球の歩き方・ロンドン編』の企画・執筆の中心となる。帰国後はフリーで活躍を続け、著書50冊以上。ヨーロッパ事情から政治・軍事・歴史・サッカーまで、引き出しの多さで知られる。少林寺拳法5段。

林信吾

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