エクアドルはなぜウィーン条約違反の暴挙に出たのか メキシコ大使館突入事件の背景
山崎真二(時事通信社元外信部長)
【まとめ】
・エクアドル警察は首都キトのメキシコ大使館に逃げこんだ元副大統領を拘束するため突入。
・メキシコはエクアドルがウィーン条約に違反したとして同国と断交。
・エクアドル政府が麻薬組織との闘いを展開していることなどが突入の背景にある。
◇「メキシコが先に国際条約違反」と反論
4月初め、南米エクアドルで同国警察が汚職で有罪とされたグラス元副大統領を拘束するためメキシコ大使館に突入するという事件が起きた。この暴挙が外国公館の不可侵権を規定した「ウィーン条約」(1961年)に違反することは明白だ。メキシコがすぐにエクアドルとの国交を断絶し、国際司法裁判所(ICJ)に提訴したのも当然だろう。これに対しエクアドルのノボア政権はこう反論する。「グラス氏は政治亡命者ではなく、賄賂や公金横領で有罪判決を受けた通常の犯罪者であり、同氏を引き渡さないのは1954年の『カラカス条約』に違反する」(エクアドル外務省高官)と主張し、最初に国際法を守らなかったメキシコに非があるという。カラカス条約とは1954年にベネズエラで開催された第10回「汎アメリカ会議」で成立したもので、政治的理由で亡命を求める者に外交的庇護を与えることをうたっているが、一般犯罪者には適用されないとされている。キトの現地メディアによれば、エクアドル政府は今年3月からカラカス条約を根拠にメキシコ大使館に対し、館内に逃げ込んだグラス氏の引き渡しを求めていたという。エクアドルの主張をめぐっては多くの中南米諸国が同調せず、メキシコの立場に支持を表明。ニカラグアもエクアドルと断交、ベネズエラはキトの大使館を閉鎖した。
◇「強硬手段に訴えざるを得なかった」-ノボア大統領
エクアドルが、グラス元副大統領について「政治亡命者」ではなく「一般犯罪者」と強調するにはそれなりの理由がある。同氏は2013年から17年のコレア政権時代に副大統領を務めていた。中南米専門家によれば、コレア政権下では強権的政治運営で国内の安定化が図られた半面、麻薬犯罪組織が台頭し、汚職がはびこったという。
グラス氏は2017年、ブラジルの建設会社から賄賂を受け取った罪に問われ禁固6年、2020年別の汚職容疑で禁固8年の有罪判決をそれぞれ受けている。加えて最近、新たに公金横領疑惑が浮上し、検察が捜査を開始したといわれる。グラス氏をめぐっては汚職や横領容疑だけではなく、麻薬組織との強いつながりも取りざたされている。グラス氏は2022年に仮釈放されたが、その際、エクアドル最大の麻薬組織から多額の保釈金が支払われたとの情報もある。
もう一つ見逃せないのは、ノボア大統領が率いる現政権が徹底した麻薬組織撲滅を目指しているという事情だ。昨年10月の大統領選決選投票でノボア氏は麻薬追放と治安回復を最優先課題に訴えて当選した。今年初め、麻薬組織のボスが刑務所から脱獄したのをきっかけに国内各地で殺人、誘拐、爆弾事件が相次ぎ、ノボア大統領は全土に非常事態を宣言、麻薬組織とのし烈な闘いを展開中である。大統領としては「ウィーン条約に違反する強硬手段に訴えてでも、汚職の象徴的存在であるグラス氏を何としても捕らえたかった」(キトの有力紙ジャーナリスト)ことは想像に難くない。
◇ウィーン条約違反は過去にも-中南米
メキシコによるエクアドル断交が今後、どのような事態を引き起こすのか。メキシコはエクアドルが公式に謝罪するまで、その国連加盟資格を停止するよう求めている。グテーレス国連事務総長はエクアドルの国連資格をどうするかは加盟国次第だと述べている。エクアドルは国連では評判が芳しくない。現在安保理の非常任理事国として名を連ねているが、国連分担金が未納のため、国連総会での投票権がない。エクアドルは今回のウィーン条約違反で各国から非難を浴び、さらに評判を落とした形だが、それでも同国を国連から追放する動きは出ていない。
実は中南米では過去にも、ウィーン条約に違反し、外国公館の治外法権などの特権が無視されたケースがある。1976年、軍政下のウルグアイで治安部隊がモンテビデオのベネズエラ大使館に侵入し、政治亡命を求めていた医師を連行した。1980年にはグアテマラの治安部隊が農民グループに占拠されたスペイン大使館を攻撃する事件が発生している。いずれの事件でも関係二国間の外交関係を損なったものの、地域全体に影響が及ぶような事態にはならなかった。
今度のメキシコとエクアドルの紛争について、中南米情勢の専門家として知られるアンドレス・オッペンハイマー氏は米有力紙に寄稿し「コップの中の嵐」とし、やがて両国の関係は回復するだろうと予想している。
(了)
トップ写真:ラファエル・コレア元副大統領のメキシコ大使館における身柄拘束に関し、記者会見するエクアドルのガブリエラ・ゾンマーフェルト首相(2024年4月6日エクアドル・キト)出典:Franklin Jacome/Agencia Press South/Getty Images
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この記事を書いた人
山崎真二時事通信社元外信部長
南米特派員(ペルー駐在)、