イランで核兵器取得論争が活発化~イスラム体制の形骸化招く可能性も
池滝和秀(中東ジャーナリスト)
「池滝和秀の中東烈々」
【まとめ】
・イランで核兵器を取得すべきだとの声が一部で高まっている。
・イランが核兵器保有国への道を歩もうとするなら、安全保障が揺らぎかねない。
・又、宗教的な教えやファトワの信頼性は失われ、宗教体制形骸化が加速化するだろう。
イランで核兵器を取得すべきだとの声が一部で高まっている。特に昨年10月のパレスチナのイスラム組織ハマスによるイスラエル南部への奇襲攻撃や、4月のイスラエルとイランによる史上初めての直接攻撃を受け、抑止力を確保する観点から論じられている。
イランには、国際社会から制裁解除などの譲歩を引き出す思惑もあるとみられるが、実際に脅威を感じたイスラエルが核関連施設に対する先制攻撃に打って出たり、イランが実際に核兵器保有国を目指す動きに出たりする恐れもある。2002年のイラン核兵器開発疑惑の発覚以降に何度も語られてきた危機は、これまでにない段階に達している。
イランの核開発は核爆弾製造の意図があるのではないかと強く疑われてきた。国際原子力機関(IAEA)の最近の非公開の報告書でも、イランは濃縮ウランの備蓄量を増加させ、核兵器の製造を決断すれば、数カ月で数個分の核爆弾を製造することができるとみられている。ミサイルに搭載するための核弾頭の小型化など実際の兵器化には課題があるとの見方もあるが、核兵器取得は現実味を帯びて語られている。
しかし、イランに何度か訪れて現地で聞かされてきたイランの核兵器に対する嫌悪感を知る者としては、今の動きには失望を感じざるを得ない。実際にイランが核兵器取得に動けば、イランのイスラム体制の信認はさらに揺らぐことになるだろう。
というのも、イラン政府の核兵器に対する公式見解は、大量破壊兵器の保有はイスラム教的に禁止されているというものである。最高指導者のファトワ(宗教令)によれば、いかなる種類の大量破壊兵器の製造や使用もハラーム(禁止されるものや行為)だ。
イランは、1980〜88年のイラン・イラク戦争でイラクによる化学兵器攻撃を受け、大量破壊兵器の悲惨さを知ったとされる。イランでは当時の状況を振り返る企画展も行われ、訪れた筆者はイランの大量破壊兵器を持たないという意思や決意を感じ取った。
反米意識が強いイランの現体制が極めて親日的なのも、非人道的な兵器である核爆弾を市街地に落とした米国に対する敵視と、唯一の被爆国である日本の歴史に対する共感が表裏一体となっている。イランを取材で訪れた際、唯一の被爆国として日本から来た記者に対して、イラン政府関係者や市民は特別な感情を持って迎えてくれた。
現在までにイランが核兵器の取得能力があるのに保持していないとみられるのは、最高指導者ハメネイ師の宗教的な信条が大きく影響しているとの見方もある。ただ、政治関係者は核兵器の保持を禁じるファトワ(宗教令)も撤回可能との見解を示しており、核兵器保有に向けた条件づくりとも捉えられるような言動が続いている。
仮にイランが核兵器取得に動くとしたら、こうした核兵器に対する嫌悪は偽善的なものであり、政治的に利用していただけということになる。さらに、宗教的に大量破壊兵器の保持が禁じられているという言説まで持ち出していたことから、現在の宗教指導体制に対する信頼性がさらに揺らぐことになるだろう。
イランには敬虔で現在のイスラム体制を支持している人も相当する存在する一方、ヒジャブや飲酒の禁止など個人の選択の自由など私的な領域にまで介入するイスラム体制に嫌悪感を抱く国民も増えており、それは命懸けの反体制デモが起きていることからも明らかだ。筆者の友人のイラン人の中には、体制への失望感から海外移住を選択した人も少なくない。
宗教的に大量破壊兵器の保持を禁じられているとの理由は、イランが核兵器取得の素振りを見せながらも、実際には取得に動かないことの根強い根拠の一つとなってきた。イランが国民の意向に反してまで頑強にイスラム体制を維持する一方で、こうした宗教的な解釈や決定を捻じ曲げて核兵器取得に動くなら、国民の意思に反してまで特定の宗教観を押し付けることの理不尽さも改めてクローズアップされることになろう。
イスラエルや米国との対立など国際政治の厳しい現実はある。隣国イラクのフセイン体制が2003年の米軍侵攻により打倒されたという歴史も、体制維持に躍起になるイランが核兵器を取得しようという動機付けになっている。
だが、安全保障の確保を狙った核兵器取得も、イスラエルによる先制攻撃を招きかねないなど、返って体制崩壊を早める可能性もある。ハマスの攻撃を受け、従来の抑止力を失ってしまったと考えているイスラエルが、実際にイランの核関連施設を先制的に攻撃する可能性は従来にも増して高まっていると言える。
イランが核兵器保有国への道を歩もうとするなら、安全保障が揺らぎかねないことに加えて、宗教的な教えやファトワの信頼性はますます失われ、イラン宗教体制の形骸化が加速化することになるだろう。
トップ写真:大統領選の候補の一人 前最高安全保障委員会事務局長サイード・ジャリリ氏(2024年6月)出典:Majid Saeedi/Getty Images
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この記事を書いた人
池滝和秀中東ジャーナリスト
時事総合研究所客員研究員。1994年時事通信社入社。外信部、エルサレム特派員として第2次インティファーダ(パレスチナ民衆蜂起)やイラク戦争を取材、カイロ特派員として民衆蜂起「アラブの春」で混乱する中東各国を回ったほか、シリア内戦の現場にも入った。外信部デスクを経て退社後、エジプトにアラビア語留学。2015年8月より時事総研客員研究員。ロンドン大学東洋アフリカ研究学院修士課程(中東政治専攻)修了。中東や欧州、アフリカなどに出張、旅行した際に各地で食べ歩く。特に中東料理を専門とし、食事会や料理教室を開いているほか、インバウンドの自転車ツアーのガイドも行っている。