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.国際  投稿日:2025/2/25

アメリカ保守派にとってのパナマ運河奪還とは


古森義久(ジャーナリスト/麗澤大学特別教授)

古森義久の内外透視

【まとめ】

・1977年、カーター大統領がパナマ運河の返還を決定し、保守派の反対を受けながら条約が可決。

・トランプ大統領は保守層の支持を狙い、運河の再取得と「中国の脅威」を強調する。

・運河の港湾施設を香港企業が管理し、中国の影響が懸念されている。

 

トランプ大統領のパナマ運河奪還の意向表明は無謀な領土拡張の野望のようにも響く。国際関係でも「法の支配」が重視される現代の世界では帝国主義時代に戻るような頑迷ささえ感じさせる。

だが、しかし、である。このパナマ運河がアメリカの歴史でどんな役割を果たしてきたか、またそのパナマ政府への供与がアメリカ国政でどんな経緯をたどったか、などを探ると、また別の様相が浮かびあがる。

この運河は本来、アメリカが建設し、保有し、自主的にパナマに引き渡したのだ。私はその引き渡しの経緯をワシントンで実際に目撃した。日本のアメリカ・ウォッチャーのなかでも、この当時のパナマ運河返還論議を実際にフォローした日本人はもうきわめて少ないだろう。その体験を基に、トランプ大統領の最近のパナマ運河発言にこめられた巧みな政治計算を報告したい。

パナマ運河は本来、合法な手段でアメリカが建設し、所有していた。しかし1977年に時のジミー・カーター大統領が国内の保守派の猛反対を押し切って、パナマ国に供与したのである。しかもその運河はいまアメリカが最大の脅威とする中国側の企業が管理する。その運河のアメリカへの「復帰」はまさにいま保守化の強まる米側では強く望まれる動きなのだ。「中国の脅威の抑止」という、いまのアメリカでは大義名分に近い要素が存在するのである。

だからその運河の再取得というのは、トランプ大統領がストライクとボールのぎりぎりの限界に投げた巧妙な政治投球だともいえるのだ。トランプ大統領を支持する保守層にとってはパナマ運河というのはその放棄を悔やみ、その復帰を切望する保守主義の伝統的な主張の対象となってきた。そのパナマ運河がアメリカからパナマに引き渡される米側の複雑な政治プロセスをワシントンで取材した私にとってはトランプ大統領の政治計算の巧みさを改めて実感させられるわけである。

トランプ大統領は1月20日の就任式の直後の演説でもパナマ運河に言及した。「われわれ(アメリカ)はこの運河を中国に与えたわけではない。パナマに与えたのだ。それを取り戻そうというのだ」と。この簡潔な言葉には実は歴史にからむ深い意味もこめられていた。

パナマ運河は、周知のように、大西洋と太平洋を結ぶ超重要な人工水路である。全長82キロほどの水路を全世界の船舶が航行するが、とくにアメリカ合衆国にとっては経済面だけではなく安全保障面でも一大戦略ルートとなっている。

パナマ運河の建設の権利は1900年冒頭にアメリカ政府が取得した。当時はまだ現在のパナマ共和国は存在せず、コロンビアの領土の一部だった。運河建設の許可と権利は当初、フランスの企業がコロンビア政府から取得し、その後、アメリカ政府に転売された。アメリカ政府はその運河建設に10年ほどの歳月をかけて、1914年に完成させた。以来、同運河はアメリカの所有、管理の下に運営されてきた。

ところが1977年1月にアメリカ大統領に就任した民主党リベラル派のジミー・カーター氏が就任後すぐにこのパナマ運河を地元国であるパナマに返還するという方針を発表したのだ。その公式の理由は「アメリカの帝国主義的な政策を正す」という主旨だった。いかにもリベラル派らしい思考だった。ただし実際に運河の地元のパナマでは自国へのその完全な取得を求める大規模な反米抗議運動も起きていた。

私はちょうどこの時期に毎日新聞の特派員としてワシントンに赴任していた。カーター大統領の清新な登場を至近距離で観察できるようになった。

この時期のワシントン、いやアメリカ全体が独特の雰囲気にあった。共和党ニクソン大統領のウォーター事件での辞任、そしてベトナム戦争の米側の挫折となる終結と、年来のアメリカの政治や外交のあり方が否定されたわけだ。

その空間を埋めるように国民の多数派は従来の政治家らしくない新たな顔、新たな思考を求めたといえよう。その結果がそれまで国政では認知されていなかった南部ジョージア州知事のジミー・カーター氏だったのだ。

私自身も直接にカーター大統領にインタビューする機会まで得て、個人レベルでの彼の誠実さ、温和さ、には強い好感を覚えていた。そのカーター大統領が就任後の最初の大事業として手をつけたのがパナマ運河のパナマ共和国への返還、あるいは供与だったのだ。

この作業は米側の新条約2本を基礎としていた。第一はアメリカ政府がパナマ政府に運河自体を供与する条約、第二は同運河に危機が生じた場合にアメリカが軍事的介入できるという条約だった。

アメリカでは条約の成立には連邦議会上院での3分の2以上の同意が必要とされる。100人の議員のうちの67人の賛成票が必要なわけだ。当時の上院は民主党議員が61人だったが、さらに6人の同意が必要だったわけだ。

しかし当時の米国民の多数派はパナマ運河の返還には反対だった。ギャッロプ社の全米世論調査では反対が46%、賛成が39%という結果が出ていた。そのうえに共和党側は猛烈な反対の運動を展開していた。アメリカの国家安全保障にとって致命的な価値を持つ運河は本来、アメリカが保有する権利があり、その一方的な放棄はアメリカの実利だけでなく威信にもかかわるという主張だった。

この反対運動の先頭に立ったのは当時のカリフォルニア州知事だったロナルド・レーガン氏だったことはリベラル対保守というアメリカ政治の基調のなかでも象徴的だった。当時から保守派の間ではこのパナマ運河放棄を許すまじ、とする強い意見が広範に存在したのである。そしてその反対の頂点に立ったレーガン氏が次の大統領選挙でカーター氏に地滑り的な大勝を果たすという展開も示唆的だった。

カーター大統領はみずから共和党側の上院議員に必死で働きかけ、条約2件に不可欠な賛成票を獲得していった。その結果、2つの条約案は1978年、いずれも68票対32票というぎりぎりの差で可決されたのだった。私がそんな古い体験をあえて伝えるのは、いまのトランプ政権下でこのパナマ運河問題が再提起される見通し、そしてさらにトランプ氏の言明の基礎にある保守派にとってのこのパナマ運河問題の政治的重みを考えてのことである。

さらにトランプ大統領はパナマ運河への「中国の脅威」にも懸念を表明する。同運河の両端に隣接する港湾施設の管理はパナマ政府から香港に本拠をおく「ハッチンソン社」に委託されている。同社が運河自体の実際の管理にもあたり、さらに運河周辺にも道路や鉄道などのインフラ施設を新たに建設する計画をも進めている。

香港はいうまでもなく中華人民共和国の一部であり、香港の企業も中国当局の安全保障関連の一連の法律により、必要とあれば、中国政府への全面協力が義務づけられている。ただしパナマ政府はこの「中国の管理」を否定する。最終権限はあくまでパナマ政府の手中にある、と主張するわけだ。

だがアメリカにとっての戦略要衝の中国系企業による管理は可能性としても深刻な懸念の対象となることは当然である。この点でもトランプ大統領のパナマ運河に関する課題の提起はいまのアメリカの官民に広くアピールすることとなる。

トップ写真:貨物船にパナマ運河 出典:searagen by getty image




この記事を書いた人
古森義久ジャーナリスト/麗澤大学特別教授

産経新聞ワシントン駐在客員特派員、麗澤大学特別教授。1963年慶應大学卒、ワシントン大学留学、毎日新聞社会部、政治部、ベトナム、ワシントン両特派員、米国カーネギー国際平和財団上級研究員、産経新聞中国総局長、ワシントン支局長などを歴任。ベトナム報道でボーン国際記者賞、ライシャワー核持込発言報道で日本新聞協会賞、日米関係など報道で日本記者クラブ賞、著書「ベトナム報道1300日」で講談社ノンフィクション賞をそれぞれ受賞。著書は「ODA幻想」「韓国の奈落」「米中激突と日本の針路」「新型コロナウイルスが世界を滅ぼす」など多数。

古森義久

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