沖縄政治の地殻変動④ 参院選結果の分析(上)

【まとめ】
・既存政党への不信に世代間のギャップが重なり、選挙情勢が流動的になった。
・伝統的なメディア報道に対する信頼感が低下し、SNSの影響力が増した。
・「西田発言」以降、自民党への逆風が強まり、「オール沖縄」が漁夫の利を得る。
7月20日に投開票された参議院議員選挙で、「オール沖縄」が擁立した高良沙哉候補が当選した。昨年から、重要選挙で連敗続きだった同陣営は久しぶりに得た勝利ではあったが、手放しで喜べるものでもない。自民党への強烈な逆風と参政党の台頭に助けられた結果にすぎないからだ。
選挙戦の序盤では、自民党公認候補、奥間亮元那覇市議と、「オール沖縄」高良沙哉沖縄大学教授の一騎討ちと思われた。ところが、参政党公認の和田知久琉球大学名誉教授が急速に注目を集め、情勢は混沌としてきた。
本記事では、選挙結果のデータを分析する。さらに、自民党苦戦の要因の一つとされる「西田発言」を取り上げる。
<2022年参院選との比較:自民大幅減、「オール沖縄」微減、参政党大躍進>
前回の参院選(2022年)では、自民党公認の古謝玄太候補が「オール沖縄」伊波洋一候補と接戦の末、約3千票という僅差で落選した(伊波氏約27万4千票、古謝氏約27万1千票)。この選挙では、参政党が得た約2万6千票は保守票と考えられ、古謝候補にとって致命傷となったのだ。
今回は、高良候補が約26万5千票、奥間候補は約23万2千票で、その差は3万3千票。和田候補は、前回の参政党候補より約10万票も多い、12万7千票を集めた。自民党候補が参政党候補から受けたダメージは、前回をはるかに上回る。自公陣営は、参政党の台頭に衝撃を受ける。
開票結果を見てまず目につくことは、自民奥間亮氏の得票が、前回の古謝氏より4万票近くも減ったことだ。投票率が前回より約6%(票数で7万弱)増えたことを勘案すると、自民は実質的に大敗したと言える。自民票の減少分と、投票率アップによって増加した票のほとんどが、参政党に流れたと推測できる。

▲写真 当確を喜ぶ高良沙哉候補
出典: タカラさちか県民の会
「オール沖縄」高良候補は、当選によって大役を果たしたが、前回の同陣営の伊波候補より約9,000票減らした。投票率のアップ分を考えると、「オール沖縄」の後退を止めるまでには至っていない。とは言え、昨年来、重要選挙で苦戦が相次いだだけに、今回の勝利で関係者は胸をなで下ろす。
参政党は、自民にとっては、保守票を食い荒らす「ジョーカー」のような存在だった下地幹郎氏(維新などに所属)に取って代わったと言える。
同氏は豪腕と奇抜なアイディアで、非主流の保守系に人気があったが、沖縄県内で一定の基盤を築いたに過ぎない。しかし、参政党は今回の選挙で、全国的に快進撃を見せた。沖縄で出馬した和田候補は、参政党全体の上昇気流に乗って票を伸ばした。今後、この党は、沖縄自民党にとって下地氏より厄介になるかもしれない。
<出口調査の結果:奥間候補はほとんどの世代で弱かった>
共同通信が実施した出口調査によると、有力3候補(高良、奥間、和田の各氏)の中で、奥間氏は、すべての世代で30%程度の票を得たにすぎず、トップを占めた世代はなかった。自民は全体的に弱かったと言える。
「オール沖縄」高良候補は50代以上で強みを見せた。特に60代では約5割、70代以上では6割近くの票を集め、他の候補を圧倒した。40代でも僅差でトップだったが、10代から30代では3位に沈み、若い世代の「オール沖縄」離れは顕著だった。
参政党和田候補は、10代~30代でトップを占め、40代でも高良氏に迫る強さを見せた。しかし、50代では3位、60代では1割程度、70代以上ではわずかしか票を獲得できなかった、彼と参政党が掲げる「日本人ファースト」や復古主義的な政策は、シニア層の目には、沖縄の平和主義を破壊しかねない、と映ったようだ。
この出口調査で示された、各候補者の「政党支持層別の得票割合」を見てみよう。
奥間氏は自民支持層の8割、公明の7割の票を得た。しかし、無党派層の票は2割以下しか獲得できなかた。高良氏は、「オール沖縄」に属する共産、立民、社民支持層の8割以上、無党派層からも5割以上の票を得た。彼女が唱えた「平和」の理念が幅広い層の支持を得たと言える。
和田氏は参政支持層の8割以上、国民民主支持層の3割、れいわ支持層の2割を超える票を得た。無党派層からも3割程度の票を得たと推測される。また、沖縄で各政党が獲得した比例票では、自民の約17%につぐ、約13%を得て、2位につける大躍進をとげた。
公明から2~3割程度の票が高良候補に流れたようだ。沖縄の公明支持者は、平和主義の志向が強く、権力の横暴や腐敗にも反発する。普天間の辺野古移設に反対し、故翁長雄志前沖縄県知事が構築した、「オール沖縄」に理解を示す人がかなりいた。その流れが、まだ続いているのだろう。
また、参政党の和田候補が、上述のように、無党派からかなりの票を得ただけでなく、革新系と見られる「れいわ」支持層から一定の票を獲得したことは、「政治の流動化」を物語る。
奥間候補は、自民党の公認候補であったがゆえに、公明支持層の一部から嫌われ、無党派層からの支持がほとんど得られなかったようだ。後述の「西田発言」を徹底して否定し、右派より、保守穏健派や中道層を狙ったが、右派の票を参政に奪われ、公明票や穏健派の一部の票は高良候補に流れた。これでは当選は難しい。
この出口調査は、投票に当たってSNSを重視したかどうかも聞いている。
SNSを重視した人は、和田氏に投票した人が34%余り、高良氏がそれに続き約31%、奥間氏は28%弱と、大きな差はなかった。ただし、自民党支持者の一部から、奥間候補が「SNSを使いすぎる」との不満が漏れたという。奥間陣営内で、情報発信の方法をめぐって世代間ギャップが生じ、ひいては活動の勢いを鈍らせたようだ。
逆に、SNSを重視しなかった人の48%弱が高良候補、34%強が奥間候補に投票したが、和田候補は約12%にとどまった。つまり、和田氏に投票した人のほとんどが、新聞やテレビ、ラジオから情報を得ておらず、もっぱらSNSを使用したことが分かる。
SNSに関する出口調査の結果は、参政党支持層の特徴を表したが、同時に、伝統的なメディア報道の在り方が問われることになった。特に革新系の「社論」を掲げる沖縄の主流報道機関にとって、重い課題が残された。
<「西田発言」で自民への逆風が吹き始めた>
本年5月3日の憲法記念日に、沖縄県那覇市で「第4回憲法シンポジウム 安部晋三先生顕彰祭」というイベントが開催された。沖縄県神社庁、神道政治連盟沖縄県本部、日本会議沖縄県本部、日本会議沖縄県地方議員連盟が主催し、自民党沖縄県連が共催した。
このイベントで、高市早苗衆議院議員が動画メッセージを寄せ、自民党沖縄県連の顧問、國場幸之助衆議院議員の基調講演があった。それに続く記念講演で、問題の「西田昌司発言」が飛び出した。彼の講演は42分ほどだが、その後半で「ひめゆりの塔」に書かれている歴史観は「ひどい」と述べたのだ。

▲写真 ひめゆりの塔・ひめゆり平和祈念資料館外観
出典:沖縄観光情報WEBサイト
(注)西田昌司氏の講演全体は以下のURLで視聴できる
彼は、沖縄における平和教育を、反日的で米国寄りの「歴史の書き換え」だ、と激しく非難する。だが、彼は、沖縄県民の多くが、人権を無視した米軍統治に抵抗して、祖国復帰運動を組織し、保革を超えた「島ぐるみ闘争」に至った歴史を知らなかったようだ。
このシンポジウムを共催したのが自民党沖縄県連であったことが、問題を複雑にした。党県連への批判は激しく、自民奥間氏が当選可能との楽観論は吹き飛んだ。
國場議員は責任を追及されかねない状況であった。しかし、同議員は旧岸田派の穏健派である。親類に「日本会議」関係者がいたために義理があり、講演を断れなかったのだろう、と擁護する人もいる。
島袋大同党県連会長が西田発言に激怒し、國場氏も同発言を厳しく批判した。だが、県連関係者の中から、「あくまで個人の見解、ご感想を述べられたもの」と西田氏への配慮を示したコメントが出たこともあり、自民党沖縄県連への反感は沖縄県民全体に広がった。
沸騰する沖縄世論に押され、沖縄自民党関係者は政府と自民党本部に強く抗議する。慌てた石破首相や自民党幹部が西田氏を説得し、謝罪させた。だが、その謝罪の内容は、「TPOが適切でなく、ひめゆり関係者を傷つけたこと」は間違いだったが、自身の「歴史観」は正しいというものだったので、沖縄では、自民党の立場は悪化したままであった。
イベントが開催された5月は、5月15日の沖縄本土復帰の日を経て、沖縄戦の終結を記念する6月23日の「慰霊の日」を迎える微妙な時期である。沖縄戦の記録が連日のように報道され、さまざまな形で戦没者追悼も行われる。西田議員の知識不足と無神経さに沖縄県民の多くが呆れ、憤慨した。
石破首相が謝罪し、慰霊の日に「ひめゆりの塔」を訪問し、献花したこともあり、この件は沈静化したように見えた。ただ、西田氏はその後も雑誌で持論を展開し続けた。自民党は参院選で、4選を目指して出馬した西田議員の自民党公認を取り消さず、公明党も推薦を取り下げなかったことで、沖縄県民の反発はくすぶり続ける。
この件は、「オール沖縄」に自民党攻撃のための格好の材料を提供しただけでなく、自公の選挙関係者の士気を低下させ、選挙情勢に大きな影響を与えた。
<参院選と同日選となった那覇市長選とのセット戦術の帰趨>

落選が確実となり挨拶する奥間亮候補 出典:奥間亮インスタグラム
17日間に及ぶ参院選の最後の1週間は、那覇市議選と重なった。高良候補に先行された奥間候補は、選挙戦終盤の那覇市議選とのセット戦術に賭けた。那覇市議選で2期連続トップ当選を果たした奥間氏は、追い上げに自信を持っていたようだ。だが、那覇市議選でも、参政党旋風が吹き荒れた。
参政党から市議選に出馬したのは、和田圭子氏で、参院選で立候補した和田知久氏の夫人である。つまり、参政党は、参院選と那覇市議選で文字通りのセット戦術を仕掛けたとさえ言える。
和田圭子氏は、過去最多の9千を超える票を得て、トップ当選を果たす。その「あおり」をもろに受けた奥間氏は、那覇市で伸び悩んで、高良氏に8千票近い差をつけられ、賭けは失敗に終わった。
主戦場を那覇市に設定して、参院選と那覇市議選とのセットで追い込みをかける戦略を描いた自民党は、他の地域での運動量が落ち込んだ。
県内11市のうち、奥間氏の得票がトップだったのは、北部の名護市、石垣市、宮古島市の3市のみであった。この3市は、人口が5~6万程度で票田としては小さい。那覇市での敗北に加え、大票田の沖縄市、うるま市、浦添市、宜野湾市などでは、すべて高良氏より劣勢であった。
奥間氏は、参政党に保守票を奪われ、中道などの層からの支持も得られず敗れた。同氏の落選は、彼だけの責任ではない。自民党県連、そして何より自民党全体の敗北であった。
この記事の続編で、選挙結果をもたらした要因と背景を考える。
トップ写真)参議院議場 出典)PIXTA
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この記事を書いた人
目黒博ジャーナリスト
1947年生まれ。東京大学経済学部(都市問題)卒業後、横浜市勤務。退職後、塾講師を経て米国インディアナ大学に留学(大学院修士課程卒)。NHK情報ネットワーク(現NHKグローバルメディアサービス)勤務(NHK職員向けオフレコ・セミナー「国際情勢」・「メディア論」を担当)、名古屋外国語大学現代国際学部教授(担当科目:近現代の外交、日本外交とアジア、英文日本事情)、法政大学沖縄文化研究所国内研究員などを歴任。主な関心分野:沖縄の「基地問題」と政治・社会、外交・安全保障、日本の教育、メディア・リテラシーなど。

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