2024年の沖縄政治を振り返る(下)4区の「オール沖縄」分裂とミニ政党などの存在感

目黒博(ジャーナリスト)
【まとめ】
・沖縄4区で「オール沖縄」が分裂し、擁立した「統一候補」が落選。
・「統一候補」の金城徹候補をめぐる問題は多く、陣営内で不満がくすぶった。
・ミニ政党候補者と無所属の下地幹郎候補は一定の存在を見せ、既存政党を苦しめた。
2024年10月27日投開票の総選挙において、「オール沖縄」を揺るがしたのは、4区(本島南部と宮古島、石垣島、与那国島など)であった。陣営かられいわ新選組(以下、れいわ)が離脱し、「オール沖縄」擁立の候補は大敗する。また、沖縄全体で、れいわと参政党や、無所属の下地幹郎氏が存在感を示し、既存の政治勢力の基盤を侵食した。
本稿では、4区の選挙結果を分析し、併せて、れいわと参政党、下地氏の「善戦」の背景を考える。
<4区では「オール沖縄」勢力が分裂、自民党が圧勝>
4区では、自民党(以下、自民)公認の西銘恒三郎候補が、立憲民主党(以下、立民)公認で「オール沖縄」の金城徹候補を、約14,000票という大差をつけて退けた。だが、現実には、西銘候補に票差ほどの余裕があったわけではない。

▲写真 西銘恒三郎候補(同議員Facebookより)
れいわの山川仁候補が20,000票余り、金城氏は47,000票余りを獲得。山川候補と金城候補の合計得票数は67,500票余りにのぼり、西銘氏の61,000票余りを上回る。「山川氏が出馬しなければ、金城氏が当選できたのに」との恨み節が「オール沖縄」陣営から漏れた。

▲写真 金城徹候補(金城トオル事務所提供)
皮肉なことに、れいわの九州比例区の票が大きく伸びたことで、選挙区の得票数で金城氏の半分以下であった山川氏が比例復活し、金城候補は比例復活もできなかった。

▲写真 沖縄4区で比例復活した山川仁候補者(山川仁事務所提供)
金城氏はなぜ落選したのか。主な要因を見てみよう。
<「オール沖縄」分裂の背景には立民の迷走と金城氏の経歴がからむ>
言うまでもなく、陣営の分裂が金城徹候補落選の最大の要因である。その背景として、第一に、立民が、候補者選考でなかなかまとまらなかったことが挙げられる。党本部が金城氏を推したが、党県連は難色を示す。金城氏は元那覇市議であり、4区との縁が薄かったからだ(那覇市は沖縄1区)。
立民内の混乱は、「オール沖縄」全体に波及し、人選は難航。しかも、同氏は収支報告書偽造が疑われ、この問題を引きずったまま、陣営は金城氏の一本化で決着して選挙になだれ込んだ。この過程で、れいわは「オール沖縄」を「選挙互助会に落ちぶれた」と反発し、山川氏を立てた。
第二に、金城氏は、本来保守系であり、なぜ立民からの出馬なのかとの疑問もあった。
2014年、金城氏は那覇市議会の最大会派「新風会」(自民党系で故翁長雄志元那覇市長支持グループ)の代表だった。2014年の6月に、このグループは翁長那覇市長(当時)に同年秋の知事選への出馬を強く要請し、保革相乗りの「オール沖縄」勢力が成立するきっかけとなる。
ところが、金城徹氏には、グループをまとめる指導力がないうえに、「新風会」内には、金城氏が共産党と近すぎるとの疑念もあったという。多くのメンバーが彼に反感を抱き、「新風会」は弱体化する。2017年8月の那覇市議選では、同グループは、12名から3名にまで激減したうえに、金城氏自身も落選して、「新風会」は崩壊した。
「オール沖縄」発足時には、4区には保守系が立つとの暗黙の了解があったと言われる。1区は共産、2区は社民、3区は旧民主党から旧自由党を経て立民、そして4区は保守という住み分けがあり、「オール沖縄」のバランスが維持された。
2014年の総選挙においては、「オール沖縄」勢力は、4区で保守系の仲里利信氏を擁立した。同氏は、4区の有力な代議士、自民の西銘恒三郎氏の後援会長であったが、2013年に辺野古反対から容認へと選挙公約を覆した西銘氏に反旗を翻す。2014年には西銘氏の対抗馬として、「オール沖縄」から出馬し、当選した。仲里氏は2017年にも立候補し、接戦の末、落選している。
ここで重要な点は、仲里氏が、苦戦覚悟で「保守系無所属」にこだわったことだ。金城氏はことあるごとに、故翁長氏直系を誇ってきた。だからこそ、同氏もまた保守系無所属として選挙に臨むべしとの意見があった。
しかし、4区における西銘氏の地盤の強さを知る金城徹氏は、比例復活狙いで立民の公認を得たとされる。代議士バッジをつけたかっただけだ、との冷ややかな見方が最後まで消えなかった。
<辺野古一本槍か、南西シフト重視か>
第三のポイントは、4区の中でも先島諸島においては大きな政治テーマになっている、自衛隊の配備(南西シフト)に対する方針のあいまいさである。「オール沖縄」陣営は立場の違う勢力を抱えているため、南西シフトへの明確な方針を打ち出さなかった。
金城候補は、辺野古反対にこだわる活動家集団「オール沖縄会議」の共同代表という立場にあり、辺野古重視の姿勢を変えられない。南西シフトについては、「地域の合意が必要」と述べるにとどめた。
れいわの山川候補はその隙を突くように、自衛隊の南西シフトへの反対を打ち出し、「オール沖縄」票を切り崩した。

▲写真:新編行事において栄誉礼を行う第7地対艦ミサイル連隊の隊員(2024年3月)出典:防衛白書
<社会大衆党の動きをめぐる「オール沖縄」内のあつれき>
ローカル政党、沖縄社会大衆党(以下、社大党)の一部がれいわを応援したとの批判が出て、陣営内に不協和音が生じたことも金城氏にはマイナスになった。
愛知15区でれいわから出馬した辻恵氏は、旧民主党代議士時代(2期目)に、沖縄4区から同党公認で初当選した瑞慶覧長敏氏をサポートしたという。瑞慶覧氏の次男、長風氏は、社大党公認を得て、今年6月の県議選で初当選したが、今回の総選挙で恩義のある辻恵氏の応援のために愛知県を訪れた。
金城氏を落選させた、れいわの山川氏は、瑞慶覧長敏代議士(当時)の秘書だった。辻恵氏、瑞慶覧長敏・長風父子、山川仁氏の間の関係が親密であるがゆえに、長風氏がれいわの山川氏を応援したと見られたようだ。
また、もう一人の社大党県議、平良識子(さとこ)氏は、れいわの東海比例の単独候補だった上村英明氏を応援した。平良氏が恵泉女学園大学大学院生時代の恩師が、上村氏だったからだ。その流れで、同じ東海選挙区の比例に重複立候補していた辻恵氏をも応援した。
立民などは、瑞慶覧、平良亮県議がれいわを応援したとして社大党を批判するが、両氏がれいわの候補を応援したのは、「県外」の東海地方においてであり、沖縄県内では金城候補を応援した、という。立民などからの社大党批判は空振りだったようだ。
<なぜれいわは共産党を上回ったのか>
今回の衆議院議員選挙の特徴の一つは、れいわと参政党が既存の政党や勢力の基盤に食い込んだことだ。特に、れいわは、比例復活とは言え、初めて沖縄選出の国会議員が誕生させた。
今回の総選挙の比例九州で、れいわは共産党を圧倒した(約1.7倍)。沖縄においては、1区以外では、れいわが共産の約2倍の票を獲得している。
沖縄1区で、れいわが候補を擁立しようとした際に、同区を重視する共産党が激怒し、れいわは歩み寄って、候補擁立を諦めた。しかし、れいわ幹部(共同代表や幹事長)が出馬した選挙区に、共産党はことごとく「刺客」を立てる。結果は、れいわは全員比例復活し、共産党は惨敗した。
確立した組織を持ち、野党内では抜きんでた情報収集能力を持つ共産党が、山本太郎氏の個人商店のような小さな政党を攻撃する姿は、同党の強硬な体質を印象づけ、多くの革新系支持者が離れた。
れいわ新選組の政策は単純明快である。生活重視を徹底的に打ち出し、表現も分かりやすい。また、山本太郎代表のスピーチはパワフルである。固い表現を並べる共産党より魅力を感じた有権者が多かったようだ。
共産党はれいわと支持層が重なるため、れいわを極端に警戒する。沖縄における共産党とれいわとの冷戦は、「オール沖縄」を揺さぶりつつある。
れいわの問題は、政策が財政支援や減税を組み合わせた、総花的な「ばらまき」になっており、財源についての記述はほとんどないことだ。国債を大量に発行すればよいという考え方は、現実的ではない。「経済オンチ」を連発するなど、山本代表のアジテーションに眉をひそめる人も少なくない。
れいわの政策の基調は、「反戦平和、反資本主義」と言えるが、中国による人権抑圧や、強硬な外交・軍事戦略については口をつぐむという矛盾もある。
<参政党は「クリーンな保守」を打ち出した>
参政党は、沖縄では議席を獲得できなかったが、保守票の一部に食い込み、自民の苦戦をもたらした。同党の善戦した理由は、政策の打ち出し方を見れば理解できる。
天皇中心の国造りや、自虐史観批判、夫婦別姓反対など、かなり保守系タカ派の色彩もある。しかし、食品の安全性や自然環境問題を強く訴え、利権や既得権益層を徹底して非難するなど、自民党や立憲民主などがあいまいにしてきた分野に切り込んでいる。裏金問題や利権がらみの事案に嫌気をさした自民支持層の一部が、クリーンなイメージの参政党に投票したようだ。
同党は1区と2区では、自民の國場候補と宮崎候補を追い詰めた。3区で優勢と見られた自民の島尻候補は、参政党に12,000票以上の保守票を奪われ、苦戦を強いられた。
<下地幹郎氏の熱い支持層>
1区では、下地幹郎候補がかなりの存在感を見せた。維新の会(以下、維新)からカジノがらみのスキャンダルで除名され、後に処分が撤回された。だが、処分が取り消されたわけではなく、「正しい処分ではあったが、下地氏の維新への貢献を評価して撤回」したことになっている。そのためもあり、同氏の維新への不信感は強く、復党願いを提出せず、無所属で出馬した。維新公認であれば、比例復活が可能な票を得たことを考えると、下地氏支持者の心境は複雑だ。

▲写真 下地幹雄氏(下地事務所提供)
下地氏の強さは、自民党本流からはじかれた傍流保守の受け皿になっていることである。話し方の巧みさ、エネルギッシュな行動なども重なり、熱狂的な支持者が多い。
同時に、辺野古の大浦湾側の工事中止や、普天間飛行場の軍民共用、さらには知事の即時辞任と知事選の実施、首相公選制の提起など、派手なパフォーマンスに走る傾向がある。維新が下地氏の復党を望まなかったのは、同党の国会議員団の幹部たちが、破天荒な同氏をコントロールできそうもないと考えたからではないか。
今回の落選で下地氏は政界引退を宣言したが、まともに受け取る人は少ない。政界復帰の機会を伺っているのでは、との憶測が流れる。
<既存政党への失望と新しい動きへの渇望、そして続く「オール沖縄」の危機>
今回の沖縄県内の投票率は49.96%と、総選挙としては初めて50%を切った。同じ顔触れ、同じ主張を繰り返してきた既存政党に期待せず、多くの有権者が棄権したのだ。その裏返しで、新しい主張を尖ったトーンで展開する政党に投票した人がかなりの数にのぼったと言えるだろう。
存在感を示したとは言え、2つのミニ政党にも課題がある。政策体系が未完成であることだ。外交・安全保障分野では、れいわは平和外交を、参政は「専守防衛」から「先手防衛」へ、などと語呂合わせ(先手は「せんしゅ」と発音する)を使うなど、どこまで現実的な政策を考えているかは不明である。ポピュリズム型の現状批判政党・勢力にとどまるか、それとも、本格的な政策政党に発展し、未来を切り開く存在になり得るか、現在、その岐路に立っている。
また、「オール沖縄」は存在意義に疑問が生じている。れいわとの関係、南西シフトへの政策、中国・台湾関係への姿勢、そして県民が抱える現実にどこまで具体的に向き合えるのかなど、課題は多い。沖縄の困難な現状に果敢に挑戦できるかどうかが問われている。
トップ写真:米第12海兵沿海連隊が、南西諸島の各離島の地対艦ミサイル部隊を束ねる自衛隊第7地対艦ミサイル連隊の12式地対艦誘導弾を視察(2024年11月25日 沖縄県うるま市陸上自衛隊勝連分屯地)出典:Photo by Lance Cpl. Matthew Morales3rd Marine Division
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この記事を書いた人
目黒博ジャーナリスト
1947年生まれ。東京大学経済学部(都市問題)卒業後、横浜市勤務。退職後、塾講師を経て米国インディアナ大学に留学(大学院修士課程卒)。NHK情報ネットワーク(現NHKグローバルメディアサービス)勤務(NHK職員向けオフレコ・セミナー「国際情勢」・「メディア論」を担当)、名古屋外国語大学現代国際学部教授(担当科目:近現代の外交、日本外交とアジア、英文日本事情)、法政大学沖縄文化研究所国内研究員などを歴任。主な関心分野:沖縄の「基地問題」と政治・社会、外交・安全保障、日本の教育、メディア・リテラシーなど。

