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.政治  投稿日:2024/8/6

県議選・米兵犯罪・死亡事故で揺れる沖縄政治


目黒博(ジャーナリスト)

目黒博のいちゃり場

【まとめ】

・県議選で大勝した自民党は玉城知事を追い詰め、2年後の知事選での勝利をめざす。

・米兵犯罪の沖縄県への通報遅れが発覚、政府の対応が批判されている。

・辺野古工事関連のダンプ事故で警備員が死亡、抗議活動と安全対策が争点に。

 

本年6月16日に投開票された県議選は、自民党が圧勝し、「オール沖縄」系は大敗した。自民党は高揚感に包まれたが、それから2週間もたたないうちに、さまざまな事件が同時併行で起き、情勢は複雑になってきた。

本稿では、県議選の結果をもたらした要因とそのインパクト、米兵犯罪の通報問題における米軍・政府・県・県警の間の関係、名護市安和での警備員の死亡事故、そして「オール沖縄」が置かれている現状に焦点を当てる。

■ なぜ自民党が圧勝し、「オール沖縄」は惨敗したのか

県議選(定数48)では、自民党と公明党の公認候補が全員当選し、圧倒的な強さを見せたかに見える(自公で26)。だが、実際には、「オール沖縄」側の自滅(当選20)に助けられた大勝だった。さらに、政治への期待がしぼみ、投票率が45.6%と過去最低だったことは、組織型選挙を展開する両党にとって有利に働いた。献身的に調整役を務めた、自民党の重鎮、翁長政俊氏の存在も大きかった。

固い組織票を持つとされる共産党が、低投票率にもかかわらず7議席から4議席にまで後退した。支持層の先細りに加え、中学生の給食無償化をめぐって、同党が知事を政治利用したと見られたこともマイナスになった。選挙での惨敗で共産党の影響力は低下し、これまでのように知事の政策に注文をつけることは、難しくなりそうだ。

「オール沖縄」陣営内の対立(特に、共産党と他勢力、社民党と立憲民主党など)や、まとめ役の不在によって、選挙後も同陣営の迷走は続く。県議会でも4会派に分かれるなど、分散化傾向が止まらない。

県議会で自民党は議長や常任委員長を独占し(副議長は公明)、主導権を確立した。県が提出する幹部人事案や予算案などに厳しく対応して玉城県政を追い詰め、2年後の知事選での勝利をめざす。同知事は、残る任期の2年間、忍従を強いられる。

▲写真 中川京貴県議会議長(2024年7月16日)提供:中川京貴事務所 

■ 米兵犯罪の公表・通報が遅れて沖縄政治が沸騰

慰霊の日(6月23日)直後の25日に、大きなニュースが流れた。昨年12月24日に在沖縄空軍所属の米兵が、16歳未満の少女を自宅に誘い、性的暴行を加えた容疑で逮捕されたことが露見したのだ。彼は3月11日に起訴されたが、その後の3か月間、県への連絡はなかった。

沖縄側が特に問題視するのは、この事案に関して米軍から在京米国大使館経由で外務省には連絡があったが、防衛省には知らされず、沖縄防衛局から県への通報がなかった点である。

3月の起訴直後に県に通報されていれば、大きく報道され、県議選で自民党は圧勝できなかった可能性がある。在沖縄米軍→在日米軍司令部(横田)→大使館→外務省防衛省→沖縄防衛局→沖縄県・関係市町村という通報システムに、日米関係と県議選への影響を憂慮した首相官邸が介入したと憶測されている。慰霊の日の式典での挨拶の中で、この事案の報告を受けていたはずの首相は、全く触れなかった。

この「通報の遅れ」のおかげで選挙に勝ったと言われることを恐れ、自民党は素早く動いた。県議会を始め各市町村議会で、次々と抗議決議の全会一致での可決に持ち込む。県民の間に国への不信感が強まっているが、同党を批判するムードはない。自民党の危機管理対策が功を奏したと言える。

1997年に日米間で合意されたものを含め、在沖縄米軍関連の犯罪や事故の通報手続きには2つのルートがある。第1は、上に述べたルート、第2は、該当する米軍司令官→沖縄防衛局→沖縄県・関係市町村である。

ただし、犯罪の場合、まず捜査が優先され、発生から連絡に至るまで時差が生じる。その犯罪が沖縄県民にショックを与えるような内容であれば、捜査機関は公表を躊躇し、在沖縄米軍を始め、外務省や首相官邸などは慎重に対応しようとする。今回の事件では、第1のルート上の外務省→防衛省の連絡は大幅に遅れ、第2のルートは機能しなかった。

この件では、玉城デニー知事と県政にも問題があったとの見方もある。米兵の犯罪については、以前は、上に述べた公式の通報ルートとは別に、県の担当者が県警に内々に問い合わせ、米兵犯罪の実態把握に努めたという。ところが、「オール沖縄」系の知事が誕生して以来、県と県警の関係は疎遠になり、この非公式のチャンネルは機能しなくなった。共産党が県政与党になったため、情報が知事から共産党に漏れ、政治利用されることを県警が懸念するからだという。

性犯罪にあっては、被害をどう防ぐか、そして被害者をどう救済し、補償するかが問題だ。特に、被害者のプライバシーを守ることが極めて重要であり、通報や公表の判断は難しい。沖縄の場合、県知事と政府が辺野古問題をめぐって対立してきたことで、米兵犯罪の通報や公表は政治性を帯び、ホットなテーマになりやすく、肝心の被害者の救済は、脇に追いやられることもある。

この米空軍兵の事件の通報遅れが明らかになったのちに、同様のケースがいくつもあることが分かってきた。米兵の権利保護を優先する日米地位協定の壁があるうえに、日米同盟強化を進める政府は、県へのスピーディーな通報には及び腰だった。沖縄からの激しい反発を受けて、さすがに政府は居直りを決め込むわけにもいかず、重い腰を上げようとしている。とは言っても、過去の経緯を見る限り、実効性がある措置が実施される保証はない。

■ 名護市安和で警備員の死亡事故はなぜ起きたのか

琉球セメントは、名護市の安和地区で、辺野古工事用の土砂を採掘し、搬出している。同地では、辺野古移設に反対する活動家たちが、工事を遅らせるために、土砂を搬送するダンプの前を故意にゆっくり歩く、牛歩戦術を行ってきた。

6月28日、抗議活動中の女性と、彼女の動きを危険と見て制止しようとした警備員の両者がダンプに巻き込まれ、警備員が死亡し、活動家は重傷を負った。この事故の直接の当事者は、ダンプ運転手2名と活動家2名、警備員1名、誘導員1名であるという。死傷した警備員と活動家が、誘導員とダンプ運転手の死角に入ったと考えられるが、捜査中であり詳細は不明である。

したがって、現時点(8月4日)でこの問題を語るのは時期尚早かもしれない。だが、「オール沖縄」の本質に関わる事件であることを考慮し、公表されている情報や、一部の県民の反応などを踏まえ、以下に暫定的なコメントを記す。

以前から活動家と警備員たちの安全確保に不安を抱いた琉球セメントは、道路管理者の沖縄県にガードレール設置を要請してきた。だが、ダンプなどが乗り入れる部分が本来歩道であるため、あくまで歩行者の通行が優先されるとして、県は設置を見送った。しかし、死亡事故が起きたため、県と県警の安全対策のあり方と、抗議活動の方法をめぐって、県議会などで激しい論争が始まっている。

7月18日に、「オール沖縄」の中核組織であり、現地闘争にも関与する「オール沖縄会議」は、この事故についての声明を発表した。(注:「声明」は「オール沖縄会議」の公式ウェブサイトに掲載されている)

「声明」は、最近まで抗議現場では「警備会社・事業者・抗議者の間で、(中略)『暗黙のルール』ができていた。抗議活動は安全に配慮して行われた」のだが、警備会社と「工事の元請業者が変わったためか、ダンプの誘導方法が強引になり、(中略)危険な状態が発生するようになった」と述べている。

さらに、「今回の死傷事故の原因は、防衛局が辺野古新基地建設事業の工事を急がせるために、業者に無理を強いたことにある」とし、「現場での抗議運動に参加している市民には、非難されるべき事情は全くない」と、活動の正当性を主張する。また、「警備員らはまずダンプを止めるべきだったのであり、市民らの歩行を制止したことは法的にも許されない」と断じている。

一瞬の判断、あるいは半ば本能的な反応で、活動家を守ろうとした警備員の行動がなければ、活動家は死亡した可能性がある。つまり、警備員は、活動家の身代わりになったとさえ言えるが、この声明は、その警備員の行動を「許されない」と断言する。今後、この主張は、激しい議論を呼ぶのではないか。また、「危険な状態」を認識しながら、牛歩を続けた点にも疑問が残る。

辺野古での座り込みも含め、活動家たちの「身体を張った」抗議活動については、「オール沖縄」支持者の間でも賛否両論がある。一方では、「まるで、戦争中の特攻隊のようだ」と、眉をひそめる人もいる。他方、活動家たちや彼らを支持する人たちは、政府が辺野古工事を強行している以上、それに対抗する実力行使は、やむを得ない手段であり、市民の権利でもあると考える。辺野古などの地元民の中には、生活道路が抗議活動によってたびたび通行止めとなり、迷惑だと語る人が少なくないが、活動家たちは「迷惑」との声に逆上する。

いずれにしても、活動家たちの「正義感」に駆られた行動が、結果として1人の人間の死を招くことになった。玉城知事は、防衛局には事故原因が究明されるまで工事の中断を、抗議活動中の市民には法令順守を求め、「オール沖縄会議」の声明への賛同は控えた。知事は難しい立場に置かれている。

▲写真 玉城デニー知事記者会見、2024年7月5日(筆者によるスクリーンショット)

地元メディアによるこの事故の扱いは極端に小さい。有識者たちのコメントもほとんどない。県警の捜査が長引いて公表される情報が少ないうえに、米兵犯罪問題に話題が集中していることも重なった事情があるにせよ、基地問題がらみで死亡者が出たことを考えると、メディアのこの事件に関する淡白な報道ぶりは奇妙である。

■「オール沖縄」は生き残ったのか

県議選での大敗により、「オール沖縄」陣営は崩壊の瀬戸際に追い込まれた。ところが、辺野古工事の本格化が通告されたことに加え、米兵犯罪問題が表面化したことで、運動のエネルギーが多少復活したかに見える。7月6日に辺野古で「オール沖縄会議」が主催した「県民大行動」には、数百人が集まった(主催者発表1,200人)。

▲写真 2024年7月6日県民大行動「オール沖縄会議」HPの動画(筆者によるスクリーンショット)

その反面、県が国を訴えた辺野古裁判は完全敗訴で決着し、法的な対抗手段はなくなったとの声が県関係者から漏れる。その県の態度に業を煮やした活動家たちの一部は、実力で抵抗するほかはないと考える。「オール沖縄」支持層の大半を占める穏健な県民と、先鋭的な活動家たちとの間の溝は広がっている。安和の死亡事故によって、その溝はますます広がるのではないか。

「オール沖縄」を支持してきた政治家や有識者たちは、これまで現地闘争の評価を避けてきた。さまざまな立場のグループ間のゆるやかな連携を保つため、互いの批判を封印したのだ。だが、闘争の現場で死者が出たことで、政治リーダーや有識者たちは、運動のあり方に対する立場の明確化を迫られるだろう。安和での事故を受けて、「オール沖縄」は大きな転機を迎えている。

トップ写真 出典:首相官邸




この記事を書いた人
目黒博ジャーナリスト

1947年生まれ。東京大学経済学部(都市問題)卒業後、横浜市勤務。退職後、塾講師を経て米国インディアナ大学に留学(大学院修士課程卒)。NHK情報ネットワーク(現NHKグローバルメディアサービス)勤務(NHK職員向けオフレコ・セミナー「国際情勢」・「メディア論」を担当)、名古屋外国語大学現代国際学部教授(担当科目:近現代の外交、日本外交とアジア、英文日本事情)、法政大学沖縄文化研究所国内研究員などを歴任。主な関心分野:沖縄の「基地問題」と政治・社会、外交・安全保障、日本の教育、メディア・リテラシーなど。

目黒博

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