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.社会  投稿日:2014/9/2

[為末大]【視覚に縛られ、損なわれているものとは?】


為末大(スポーツコメンテーター・(株)R.project取締役)

執筆記事プロフィールWebsite

 

ダイアローグインザダークという部屋を真っ暗にした中で様々な体験をするというプログラムに今年の夏に行ってきた。見えない中での体験はとても刺激的で、音や自分で地面を踏んだ感触がすごく鮮明に感じられた。

目で見えているものはいつでも確認できるけれど、音は出たときしか聞こえない。例えばあちらで足音がする。ぼんやりとはどこに誰かがいるかはわかる。でも10秒後その人はそこにいるのだろうか。見えない世界は断片的な知覚とそれを記憶する事、そして統合して予想する世界だった。

昨日は、暦本先生がやられている、東大のイノベーションラボに行ってきた。暦本先生のプレゼンが面白かった。視点を変えたら一体感覚はどうなるのか。走っている選手をドローンが追いかける。自分の背中を見ながら走れると、修正のかけ方も多分変わる。

見えていると私達が知覚するときも、たぶん音やにおい、様々な情報を統合して見ているのだと思う。それが最後に見えているという感覚になって現れる。インターネットの世界はどうしても視覚優位だけれど、漏れている情報は何かと考えてみる。

スポーツ観戦も、例えば選手達の心拍がとれるようなユニフォームを着て も ら え る 時 代 が 来 た ら 、 ス タ ジ ア ム の 入 り 口 で 選 手 と 同 じ ユ ニ フォームを買えば心拍が同期して自分のユニフォームが動く。ウサイン・ボルトの心拍数が試合前に上がっていく事を同時体験する。

見るという事に縛られて、損なわれているもの。それはなんなんだろうかと考える事が今年は多かった。


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