[山田厚俊]【それでもフリーは戦場に行く】~真実を伝えようとする人の姿勢を理解できない日本人~
山田厚俊(ジャーナリスト)
「山田厚俊の永田町ミザルイワザルキカザル」
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危険地帯へ行くのは自己責任、政府が懸命に救うために尽力する必要はないーー。イスラム過激派組織「イスラム国」によるフリージャーナリスト、後藤健二さん拘束、殺害事件で、こんな声が聞こえてくる。
なぜ、ジャーナリストは危険地帯に向かうのか。後藤健二さんが帰らぬ人となったいま、その意味を改めて見つめてみる。ある戦場ジャーナリストは語る。
「安全なところから、体制側の言い分通り伝えていたら、大本営発表で真実は見えなくなる。多角的に現場で起きていることを見て、聞いて伝えてこそ、真実の輪郭がはっきりする。現場に真実があるからこそ、行くんです」
いま、フリーのジャーナリストやカメラマンは、紛争地域に行く際、書面や映像で自己責任で行くことを明確に残し、敢えて現場に身を投じる。砲弾の恐怖に怯える女性たちや、親や兄弟を目の前で亡くし、笑顔を失った子どもたちの姿を追う。
戦争や紛争がいかに酷いものか、権力者が胸を張って叫ぶ正義がいかに残酷なものか、危険と背中合わせのなかでジャーナリストやカメラマンたちは追い続けているのだ。
大手メディアは危険地帯に社員を行かせず、フリーの人たちの“取材の成果”をカネで買い取る。組織で社員の安全を守るためだ。いざ、危険な局面に直面した際、または誰かが命を落とした時、常にその是非の議論が繰り返されている。しかし、いま大手メディアを批判する気はない。それぞれの立場で闘い、自分たちのジャーナリズムを全うすればいいだけの話だからだ。
とはいえ、政府が危険だと言っている場所に近づく行為自体を批判する声が出るのは、問題だ。ジャーナリズムは政府広報ではない。一方、政府はそんな人まで救う義務はあるのか、という問いは愚問だ。国民から税金を徴収して「国家」という単位を組織している以上、国民の生命と財産を守る義務はあるからだ。
常に、権力と対峙するジャーナリズムが、不可思議に見えて批判の対象になるのは分からなくもない。しかし、真実を伝えようとする人たちの姿勢を理解できなくなった感性は、つくづく貧しいものではないだろうか。