[為末大学] 【生き残る能力を持つ、ということ】~「就活終われハラスメント」に見る“力と正義”の関係~
為末大(スポーツコメンテーター・(株)R.project取締役)
「就活終われハラスメント」というものがあるらしい。内定を出す代わりに就活を終わることを強要するものだと聞いた。なるほど昔からよく聞いたあれがハラスメントに認定されれば随分と学生もやりやすくなるのだろうと思う。世の中にある様々なハラスメントが少しずつ問題視され、社会的には禁止の方向に向かっている。それによって人々が守られる一方で失われるものの側面の話をしたい。
私は広島だったから少しヤンキーと言われる人が多かった。学校の帰りにかつあげにあうとか、喧嘩に巻き込まれるということも1度や2度は経験する。かつあげなどは明らかな暴力だし、大げさに言えば強盗にあたるのかもしれない。目があったなんだで絡まれて大人数で囲まれてイチャモンつけられるのも、ある種のハラスメントと言えるのかもしれない。
ただ、いくらそこで正論を吐こうとも殴られるものは殴られる。やり返すにしろ耐えきるにしろ、いかにこちらの利得を最大化し被害を最小限にするかを考える事を学ぶ。一番大事なことは路地裏には守ってくれる人もどちらが正しいかを判断してくれる人はいない。
“棍棒を持って穏やかに”とはルーズベルト大統領の言葉だっただろうか。つまりは結局一番下で支配しているのは力だということを端的に示していると思う。就活ハラスメントだということで相手を抑止できるのは法の力が及んでいて、相手がなんらかの形で報復されるからだと思う。
結局、国と国との交渉も力をベースにしていると思うし、そもそも地球上の中では人間側が言う正義が保たれている場所の方が小さくて、それ以外の場所の方が圧倒的に大きい。熊に襲われたときに、正論を吐いたところで殺されるだけだ。
私は何も力が全てだと言いたいのではなくて、日本のように弱者が守られ、正義がある程度は担保されている国は素晴らしいと思うし、社会がこういったハラスメントを締め出す方向に動くことはいいことだと考えている。ただ一方で、実は結構人工的なものの上に正義が成り立っているということを忘れずにいたい。また個人としては、なにがなんでも生き残る能力だけは持ち合わせていたいなと思う。