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.国際  投稿日:2015/5/3

[須藤史奈子]【自給自足の生活を送る人々の強さ】~ネパール大地震 現地リポート~


須藤史奈子映像ディレクター、プロデューサー)

執筆記事プロフィール

<4月25日>

地震発生後、ロッジには次々とトレッカーがやってきた。「どこから来たの?そこの状況はどう?」ネットは繋がらないし、ラジオのニュースも聞けない状態では、人伝ての情報に頼るしかない。チリ出身の若いカップルは、ガイドもつけず二人だけでトレッキングをしていたという。ここに着くまで、何の情報もなかったそうだ。同じく地震の国、2010年のチリ大地震の経験者だけあって、震源地がカトマンズの近く、マグニチュード7.8と聞いて、一瞬でその意味を理解し、大変驚いていた。

彼らは前日エベレスト麓のベースキャンプを訪れ、一度村に戻って一夜を過ごし、翌日はカラパタールに登るつもりだったが、ボーイフレンドに高山病の症状が出たので引き返していた途中、地震に遭った。「ペリチェに一泊しようと思ったのだけど、着いたら家々の屋根が落ちていた。この村には留まれない、と思って、ここまで一気に歩いてきた。10時間歩いてクタクタだけど、ここの方が状況が良いから正解だった。ペリチェは地盤が悪いから被害も大きかったのだろう」と言っていた。

そうか、この先の状況はもっと悪いんだ・・・。地震の規模を考えたら引き返すしかないとは思っていたが、多少の望みはまだあった。でも、この話を聞いて私のカラパタール行きは終わった。 私が目指していた標高5,550mのカラパタールの頂上は、エベレストが目前に見える「ザッツ・エベレスト」ショットが撮れる場所。本の表紙や映画のポスターに出てくるエベレストの写真は、だいたいここから撮影されたものだ。麓のベースキャンプからは、エベレストの全貌は見ることができない。

ここに辿り着くまでは、まずプロペラ機でルクラという村へ行き、そこから山間の道をひたすら歩く。陸路はない。登って降りて・・・を繰り返しながら延々とハイキングをしているイメージだ。途中、清水寺の階段くらい急な登りが何度もある。高山病にならないよう高度順応をする必要があるから、体力のある人でも、頂上まで1週間はかけて行く。

ガイドのプリさん曰く、彼の経験上、日本人グループのツアーでカラパタールまで到達したのは10%。高山病の症状がグループの中で1人でも出ると、全員引き返すからだそうだ。「無理をして死んでしまう人が今まで何人もいた。でも、調子が悪くなったら下山すれば大丈夫だから」そう言われる度に不安になっていたので、止む終えなく下山という結果に多少ホッとしたのも事実だ。

衛星電話を通じての情報をくれた男性は、カナダ人ゲーム・プログラマーのスティーブだ。地震体験は初めてだったという。「最初は何か大きな乗り物が通り過ぎたんだと思った。次の瞬間、窓の外から大きな石がゴロゴロ落ちてくるのが見えたから、慌てて階段を降りたんだ。外に出ようとしたら、今度は目の前に大きな石が落ちてきた。」

ボストン出身のアメリカ人女性は、ナムチェからタンボチェへ向かう山の中で地震にあった。彼女も地震は初めてだったそうだ。「体がグラグラっときて、目の前の山がゆらゆらと揺れるのが見えた。山がそんな風に動くわけない、幻覚かな、と思った瞬間、立っていられなくなって、必死で木の根っこに捕まった。」

さあ、今夜はどうしよう、という話になり、全員がダイニングルームで寝ることになった。一階で上はテラスになっているから、屋内でここより安全なところはないだろう。それにしても、いざ被災した時に全員が寝袋を持っているという状況は珍しい。非常食、救急セット、浄水薬は当たり前、さらには浄水器も持っている人がいる。準備ができているということは、パニックにならないということだ。

また、アウトドア愛好家は、普段から自然に左右されることに慣れているのか、イライラしている人がいない。着の身着のまま、シャワーだって数日浴びなくても大丈夫。「被災」しているという雰囲気がないのだ。 趣味は読書と観劇と映画鑑賞、パニック映画だったら最初に死んでしまいそうな私が、このサバイバル・アウトドア集団の中にいる不思議。40年前、エベレストに世界女性初登頂を果たした日本女子登山隊のドキュメンタリー取材のため、シェルパの村々を訪れた後、せっかくだからカラパタールでエベレストの実景を撮ろう、という計画だった。

外は雪が降っているが、暖炉のお陰で暖かい。水は、雨樋を通して貯めた貯水タンクに豊富にあるし、近くには氷河や雪水が溶けて流れた小川もある。太陽光発電の電気もある。震災にあうと都会が一瞬にして大パニックになるのと比べ、普段から時給自足の生活をしている「陸の孤島」は強い。 帰国予定まで、あと12日間。国際飛行場のあるカトマンズが大被害を被っているとすると、帰れる状況になるまでどのくらい時間がかかるのだろう。他の地域はどんな状況なのだろうか。

(続く)

※トップ画像/ネパール北東部、クンデ村


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