[為末大学]【浅田真央選手が語った“充実感”の意味】~アスリートだけに許されたある瞬間の陶酔~
為末大(スポーツコメンテーター・(株)R.project取締役)
浅田真央選手が現役続行を表明した。アスリートが引退を決断する時はアスリートにしかわからない。正確に言えばアスリート同士でもいつ引退するのか、どういう理由で引退するのかはそれぞれ違う。ただ、その人なりの理由があって、現役を続けたり、引退したりする。浅田選手が会見で充実感という言葉を使っていた。充実感とはなんだろうか。私の定義で充実感は一応以下のようになっている。
・一定量の時間労力が費やされる
・成果を確認することができる
・方向が間違えていない(成長している)と感じられている
充実感は実は成果を出すこととはあまり関係がないと私は思っている。例えば自動的に耕せる機械があって、それで畑を耕せばその場にいなくてもおそらく簡単に仕事は終わる。ところが自分の手で一つ一つ進めた場合、終わった時の充実感は高い。充実感は労力に一定量は比例して高くなる。頑張っていないけれどもうまくいったことから充実感を得ることは難しい。
成果を確認できるのも大きい。労力をかけて頑張っても成果がわからなければ充実感は得難い。また自分がやっていることは、正しい方向だ。この方向に行くことはおそらく間違いないと感じられている時の充実感は大きい。この三つの要素を満たしていると充実感は高いのではないかと私は考える。
さて、ここにアスリートにはもう一つ要素が加わる。それは、自分が思い通りに自分を動かしていることへの高揚感だ。最高の動きをしている時のあのなんとも言えない自己効力感と、そしてこのまま永遠にこの動きを続けていたいという陶酔にも似た心地よさは、身体を使ってパフォーマンスをする人間に与えられた最高のものではないだろうか。引退してから私は一度もその時ほどの充実感を得たことがない。
競技人生の終盤は、成績を出したいという思いももちろんあるけれども、あの感覚を味わいたいということも大きな動機の一つだった。その時、薄々私は人生でこの時期のこの瞬間にしかこんな充実はないということを知っていたのだと思う。