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スポーツ  投稿日:2015/7/18

【教えは受け継がれてゆくものだから】~「野球は人生そのもの」江藤省三物語 4~


神津伸子(ジャーナリスト・元産経新聞記者)

執筆記事プロフィールFacebook

全国高校野球選手権大会千葉県予選1回戦。袖ヶ浦球場の応援スタンドに照りつける日差しは、痛いほど暑かった。立場上ベンチ入り出来ない江藤の肌もジリジリと焦がしていく。

腰痛という爆弾を抱える主将の3年生エース。出足好調で2回を3者凡退に抑え、自軍の6番打者が先にクリーンヒットを放ち、流れを呼びそうな気配もあった。が、内野の守備の乱れから、少しずつほころびが見え始めて来た。3回裏に、四球、失策などで相手はノーヒットで2点を先制。4回は無得点に抑えたものの、噛み合わなくなって来た歯車は、戻すことが出来ない。

途中でファウルボウルを深追いした三塁手が、フェンス激突、転倒して足に怪我を負うハプニングも起きた。治療に予想外に時間がかかり、ひょっとしたらもう無理か、という空気が応援席に流れた。が、治療を終え、元気に飛び出して来たひょろっと背が高いサードに、両チームの応援席から温かい拍手が沸き起こった。「あいつも優しい子なんですよ」(江藤)

さて、味方のスコアボードに0が並ぶ間に、敵は無安打で得点を重ねていく。5回裏にも2点加点。だが、まだ無安打のまま。腰の痛みからか、球におさえが効かなくなったエースは、相手バッターに待たれると辛い展開が続く。

「ピッチャー変えてやったらいいのに。わからんかなぁ」江藤の眼差しが、厳しくなる。リリーフには、ショートを守る3年生が控える。「大学でも野球を続けたい」と話す、センスある選手だ。

6回裏には、更に敵にタイムリーヒットが初めて生まれ、3点が加わった。0−7。7回表に、自軍が得点しなければ、コールド負けになる。「5回コールドを免れたのだから、ここも何とか」江藤の思いが、口をついて出た。

2アウトから、ヒットが生まれ応援席は俄然盛り上がった。次の打者の当たりも快音を残して、鋭い打球が一塁方向に飛んだ。抜ければ、間違いなく長打コースのそのライナー制の当たりは、あまりに残酷にファーストの正面を突き、ミットに収まった。試合終了の瞬間だった。7回コールド負け。4人の3年生部員の夏は、終わった。

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掲示板に刻まれた。ヒット数は両校同じ3本。エラーは自軍4、相手チームは1だった。

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あんなに練習した校歌を、所定の並び位置で歌うことは出来なかった。自軍ベンチ前に整列した。ずっと一塁のコーチャースボックスに立ち続けた、ちょっぴりロン毛の軽音楽部からの助っ人選手の、髪が少しだけ強風になびいた気がした。

「結局は基本の積み重ねが大事だ。繰り返し継続していくしかない。日々積み重ねなければいけないのに、指導者が変わるとメニューが変わってしまう。教える人間が違う日には違う練習をしているのでは、駄目だ。今日の試合だって、普通にそんな積み重ねの練習をしっかりしていたら、7点の内、5点は献上しなくて済んだはずだ」試合後、指導者は練習の日々、試合を冷静に振り返った。

試合後、球場の外に荷物を運び出し、球場脇で腰を下ろしたまま顔を上げずに泣き続ける選手、茫然としてまだ現実を受け止めきれていない者、無念の敗者のシーンが展開した。江藤は歩み寄り次々と、選手たちに声をかけた。

試合の3日前まではパスボールを連発していた3年生捕手のには、パスボールゼロを褒めた。2日間の練習で、見事な変貌を遂げていた。3年生遊撃手のには、ショートゴロが本当に多かったのを見事にどれもさばいたので「あれだけの打球を、よくていねいに処理した」と讃えた。

少し離れた場所で、応援に駆け付けてくれた仲間たちやOB、保護者が見守る。良くある風景だが、何回も目にしても、胸が締め付けられる。少し落ち着いたところで、円陣が組まれ、監督、部長、江藤、主将から話があった。

「前半3回までは相手の監督も驚くほど互角の戦いだったじゃないか。勝敗は仕方ない、試合に勝って喜び、負けて泣くのが野球。泣くのが嫌なら練習して勝てばいい」 江藤から、現チームへの最後の言葉だった。

溢れる涙を隠すためか、帽子で顔を覆っている選手の姿もあった。円陣を組んでいる間、ずっと腰に手をやっていた背番号1の姿が、少しかすんで見えた。終了後、応援してくれた全ての人間の前で整列し、主将が代表して挨拶。大きな拍手が沸き起こった。「お疲れさん!」どこからともなく、声が飛んだ。

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教えは受け継がれていくものだから

江藤が現在、野球を教えているのは高校生だけではない。少年野球、中学生、クラブチームなど幅広い。8月8,9,10日は「江藤省三野球教室」を千葉県で開催する。中学生が対象で、軟式からスムーズに硬式野球に移行して、高校でも野球が続けられるように指導する。近県・都から100人、集まって来る。指導には元中日の谷沢健一、元巨人の城之内邦雄、慶應義塾野球部のOBらも参加する。

「野球には真剣勝負、緊張感、集中力、成功の喜び、失敗の痛み、他人への思いやりなど、人間として大切にしなければならない要素が沢山、含まれている。その事は、学校の授業ではなかなか教えてくれない。指導者は”健全な肉体には、健全な精神が宿る”をモットーに、野球を通じて子供たちに心と体の健全な育成をしていかなければならない」江藤は、いつもこのように考え、青少年・学生の指導に当たっている。そして、その教え、思いは受け継がれていっている。

神奈川県高野連が開いた同様の野球教室に息子が参加した母親が、教えてくれた。話は10年前にさかのぼる。

「江藤さんには、中学野球で軟式の経験しかない息子が中3の時、”初めての硬式”のための野球指導を受けました。怪我を防ぐ方法も教わりました。シニア出身でもなく、普通に公立高校に進学する球児にとっても、『目標は甲子園!!』と、丁寧でわかりやすく、情熱的な指導でした」

野球教室後、アンケートに記入したところ、丁寧に返事が江藤から届いた。几帳面な文字でハガキにびっしりと書かれていたという。その長男も指導者に恵まれ、大学まで野球を、最後は学生コーチとして続けた。高校野球の指導者になりたいと教員を目指したが、現在は、大学院でスポーツシステム研究に励んでいる。

母は続ける。

「私もはるか昔、高校野球に燃え、マネージャーになりたかったんです。当時は女子マネを取ってくれない高校だったので無念でした。そのかわり、大学4年間で、やっと夢が叶い、硬式野球部のマネージャーをすることが出来ました」
その長男から母へ。高校野球、最後の夏の物語・・・

「息子はホームランを打ったんです。そのボールを私にプレゼントしてくれた時は、泣きました」

夢は、教えは、受け継がれていく。だから、野球は素晴しい。

( 5 につづく。
【“24の瞳”少年・高校球児を指導する男】〜「野球は人生そのもの」江藤省三物語 1~
【誰にでも甲子園はある】~「野球は人生そのもの」江藤省三物語 2~
【教え子の一言に「ふるえた」。】~「野球は人生そのもの」江藤省三物語 3~
も合わせてお読みください)

<江藤省三プロフィール>

野球評論家。元プロ野球選手(巨人・中日)、元慶應義塾大学硬式野球部監督
熊本県山鹿市生まれ。
会社員(父は八幡製鐵勤務)の四人兄弟の三男として誕生。兄(長兄)は元プロ野球選手、野球殿堂入りした愼一氏。
中京商業高校(現中京大中京)で1961年、甲子園春夏連続出場。同年秋季国体優勝。
卒業後、慶應義塾大学文学部に進学、東京六大学野球リーグで3度優勝。4季連続ベストナイン。

63年、全日本選手権大会で日本一となる。
65年、ドラフト元年、読売巨人軍に指名される。
69年、中日に移籍。代打の切り札として活躍。76年引退。
81年、90年から2度巨人一軍内野守備コーチ。

以降、ロッテ、横浜でコーチ歴任。
解説者を経て、2009~13年、慶應義塾大学体育会硬式野球部監督。
10・11年春季連続優勝。
この間、伊藤隼太(阪神)、福谷浩司(中日)、白村明弘(日本ハム)のプロ野球選手を輩出。
14年春季リーグ、病床の竹内秀夫監督の助監督として、6季ぶりに優勝に導く。

※トップ画像:泣き崩れてしばらく立ち上がれなかった背番号8。
※文中写真上:甲子園の地方予選は、手作り。スコアは貼られた模造紙に、女子高生によって手書きで記入されていく。
※文中写真下:敗戦後、球場の外で、円陣を組んで最後の言葉をもらう選手たち。

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