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.政治  投稿日:2015/8/7

[西村健]【五輪エンブレム問題:混迷化の前にすべきだった事】~東京都長期ビジョンを読み解く! その29〜


西村健(NPO法人日本公共利益研究所代表)

「西村健の地方自治ウォッチング」

執筆記事プロフィール

東京五輪が揺れている。国立競技場建設は白紙に戻ったが、今度はエンブレムの盗作疑惑が起きた。「パクリ」「似すぎている」「ださい」「真ん中が黒は・・」「審査委員の作品に似ているところがある」という多岐にわたる批判・非難、「疑惑化後、SNSを退会した」といった個人の行動にまで及ぶ指摘、「商標登録の有無」という法律論、「1からやり直すべき」といった感情論・・・。ネット空間では様々な、主に否定的な意見が蠢く。これに対して、8月5日、疑惑の渦中にある佐野研二郎氏が記者会見を開き、説明した。

烏滸(おこ)がましくも個人的な意見を言わせていただくと、デザインが似ることも多いだろうし、批判を受けて佐野氏は大変だろうと思う。他方で、批判する多くの人の気持ちも非常によくわかる。やはりぱっと見て似ているし、「日本らしさ」ってどこにあるの?と思うし、デザインやかっこよさ重視で「思想」が感じられないし(組織委員会は「思想」があるというが)、法的なリスクもあるし、いったん疑惑をもたられてしまうと人々の認知に負のイメージを持たれてしまうだろうと思う。

人々にはそれぞれが持つ感性、価値観、好き嫌い、物事の捉え方、考えがあり、それらをリスペクトしたいので、ここでは少し別の視点から今回の「事件」の裏にあるもっと大きい「問題」を考えてみたい。

前述の会見で、組織委員会の担当者は「コンペに当たって2つの難しい課題をお願いした。1つ目は五輪とパラリンピックは違うものだが、デザイン的な関連性があるもの、2つ目がグッズやデジタルメディアへの拡張性・展開力で優れた」ことが佐野氏の作品が選出された理由だと説明している。盗用うんぬんの疑惑をデザイナーが公開の場で説明する場の前に、この作品がなぜ選ばれたのか、責任者としてその正当性を明確に説明するべきだっただろう。

数ヶ月にもわたった選考プロセスでどういった議論が行われたのか、どのような審査結果だったのか、自分なりに調べたが、結局わからなかった。開かれた競争だったようだが、審査委員が誰で、どのような審査結果で、どのような形で選出されたのかをオープンになっていないから、皆の不満が高まり、疑惑が騒動化してしまったということはないだろうか。

審査委員の構成を見てみよう。

審査委員長は札幌オリンピックの公式マークをデザインし、三菱UFJフィナンシャルグループや東京電力のロゴデザインを手がけた永井一正さん、民主党のロゴデザインを手がけた浅葉克己さん、テクノロジーを駆使したアートで有名な真鍋大度さん、インテリアデザイナーで武蔵野美術大学教授の片山正通さん、キリンSparklingHopの広告などを手がけたグラフィックデザイナーで元博報堂勤務の長嶋りかこさんらが審査委員に名を連ねた模様だ。

まさに今をときめく一流の錚々たるメンバーである。正直この方々がどんな感想を持ったのか、どう評価したのか、どういった議論が行われたのかを聞きたいのは私だけではないだろう。

しかし、審査の詳細をオープンにした情報は、東京2020オリンピック・パラリンピック招致委員会HPの一部でしか見受けられなかった。メディアでの批判が巻き起こった後は、HP上で「東京2020エンブレムに関する一部報道について」とのリリースを出しているくらいだ。

今回のエンブレムは多くの人の目に残る「象徴」となる。歴史的、文化的、世界的なイベントである以上、公共的な意味を持つことは否定できまい。その意味で、選定のプロセス・結果がオープンにされないことは問題だろう。専門家中心の審査委員の選出理由、公式に明言された「デザインとしての美しさ、新しさ、そして強さ。そこから生まれる展開力。」というものではない明確な審査基準とそれぞれの構成要素・配点、審査結果などがオープンにされない限り、審査委員に与えられたであろう「特権」に対する人々の嫉妬、コミュニケーションの機会や意思表示の機会すら与えられない不満を納得させることはできない。個人的に言うと、作品を作る能力と評価する能力は別個のものだという理由で私も納得していない。

また、選出理由がデザインという専門性に依拠しているように思えること、専門家重視に見え、公的な場面で資格が問われていない審査委員の選出方法を見ると、エンブレムが何のためにあるのだろうかわからなくなる。芥川賞を選出する審査委員は専門的な文学作品の表現力や技術などの専門性や優秀さを評価するのだろうが、東京五輪は目的が少し違う。賞ではない。専門性ではなく、「東京五輪のイメージを向上させられるか」「みんなの心に残るか」が問われるのではないか(グッズなど商品の売り上げに寄与するか、というのもあるだろう)。

さらに、会見での担当者の発言を聞いていて、スポンサー企業が問題ないと言っている趣旨の発言があった。ギリシャを超えるわが国の財政状況、地方創生が叫ばれ東京一極集中の解消が叫ばれる現代において、東京以外の住民にとっては一度も利用することがないかもしれない会場建設にかかる莫大なインフラ整備費用。それを考えると、最大のスポンサーは国民ではないのか。他方、五輪へお金を出す対価をスポンサーとして得られる(企業イメージ向上など)企業への過剰配慮が垣間見えてならない。

「このエンブレムは和の力の象徴になる」とエンブレム紹介映像で高らかに表現されていた。公益財団法人東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会の公共的な役割、説明責任が果たせたといえるのか。佐野氏の作品を選出するプロセスでどれだけの時間をかけて調査をしたのかを明確に示さず、自分らの組織としての選考理由や考え方を深く・丁寧に説明することなく、1人のトップクリエーターを公的なメディアの前にて会見・説明させ(リスクマネジメントとしては最悪なタイミングで)、責任を負わせた、幕引きを図ったようにも映る今回の会見。今、日本らしさ、協調といった意味での「和の力」という言葉は虚しく響く。

 

(この記事にはリンクが複数貼られています。それらを見るには、 http://japan-indepth.jp でお読みください)

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