存在しない「数学賞」ノーベル賞の都市伝説2
林信吾(作家・ジャーナリスト)
「林信吾の西方見聞録」
【まとめ】
・ノーベル賞の創設者は、ダイナマイトを発明したアルフレッド・ノーベル。
・ノーベルの遺言状には平和賞の設立の理由について詳述されておらずはっきりしたことは分かっていない。
・数学賞がない理由もはっきりしない。
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毒舌で有名な英国の作家ジョージ・バーナード・ショウは、「ダイナマイトを発明して多くの人命を奪ったノーベルは許し難いが、人材に格付けするノーベル賞を制定したことこそ、彼の最大の罪だ」と語ったことがある。
たしかにアルフレッド・ノーベル(1833~1896)はダイナマイトを発明し、他にも多数の兵器開発に従事し、故郷スウェーデンのボフォース社を、単なる鉄工所から世界一流の兵器メーカーに成長させた。
写真)Alfred Nobel 出典)WIKIMEDIA COMMONS
このボフォース社の40ミリ対空機関砲は、第二次大戦中、米国がライセンス生産して海軍の主要艦艇に配備し、太平洋戦線で多数のカミカゼを撃墜した。
ちなみに、彼自身が創業したダイナマイト・ノーベル社は、現在はドイツ企業となっており、携帯用の対戦車無反動砲「パンツァーフェウスト3」などの製造元として知られる。
バーナード・ショウの評価をひとつ修正させていただくと、ダイナマイトは戦場においては、もっぱら障壁などの破壊に使われたのであり、ノーベルの発明の中で、より直接的に「多くの人命を奪った」のは、砲弾の起爆装置(信管)の方である。
写真)フランスのダイナマイト・デ・アンシエンヌ美術館で撮影されたBAM Nobel-Bozel(1957-1984)出典)photo by Olecrab
写真)パンツァーファウスト3、後部グリップが折りたたまれた状態 出典)photo by Sonaz
ともあれ、このようなノーベルだけに、遺言においてノーベル平和賞の設立を求めたのは、やはり「死の商人」であったことへの贖罪意識からだろう、と見る向きが多いが、遺言状では設立の理由について詳述されておらず、はっきりしたことは分かっていない。平和賞については、稿をあらためて、もう少し詳しく見る。
ノーベルの遺言に基づき、1901年から「ノーベル賞」として授与が始まったのは、物理学、化学、医学・生理学、文学、平和の5賞である。
写真)ストックホルムのミュージカルアカデミーで初めてのノーベル賞授賞式 出典)Nobel Prize
写真)ノーベル賞メダル 出典)pixabay
後に、具体的には1968年の話だが、スウェーデン国立銀行設立300周年にしてノーベルの没後70周年であることから、これらを記念して新設されたのが経済学賞で、ノーベル財団の側では、正式なノーベル賞の一部門にカウントしていない。たしかに、正式名称は「アルフレッド・ノーベル記念スウェーデン国立銀行経済学賞」だが、一般的にはノーベル賞の一部門と理解されている。
もうひとつ、賢明な読者は、数学賞がないことに、すでにお気づきであろう。実はこれについて、都市伝説がある。かいつまんで述べると、「アルフレッド・ノーベルは若い頃に失恋したのだが、その恋敵が数学者だったので、数学者に賞を与える気はなかった」というものだ。
笑ってはいけない。この話、大まじめに信じている人が結構多いのである。ただ、アルフレッド・ノーベル自身が生涯独身で、かつ複数の女性にプロポーズを拒まれたということ以外に、確たる根拠は示されていない。
ではなぜ、数学に賞を与えることを考えつかなかったのかと言うと、彼自身が(何しろ理系の研究者であったわけだから)数学にも強かった分、前述の5賞との比較で言うと、「社会の発展に直接貢献するわけでもなく、多くの人を楽しませるわけではない」と考えたのではないか、と見る向きもある。
私見ながら、失恋云々よりは説得力がある話だ。またも文士の言を引用させていただくと、菊池寛が、こんな言葉を残している。「今まで学んだ様々な学問の中で、数学ほど役に立たなかったものはない。唯一〈三角形の二辺の和は他の一辺より長い〉という知識だけが、道を歩く時に役立っただけだ」
……これはまあ、言い過ぎなのかも知れないが、たしかに数学の分野では、画期的な定理が発見されたとしても、人類の大多数にとっては「なんの話?」で終わりそうだ。
素数の謎が解明されれば、世界中の暗号を無力化できる、という話は、わが国では刑事ドラマ『相棒』から劇画『ゴルゴ13』まで、幅広くネタとして使われているが、それが果たして「社会の発展に貢献する」のか否かと言われれば、むしろ逆効果になる可能性が高い。
端的に言えば、素数の謎が謎のままであるからこそ、銀行口座の暗証番号についても、他人に知られないよう用心するだけで済んでいるのだ。
ところで、私を含めた一般人の多くは、ノーベル賞について、「誰が、いかなる基準で選んでいるのか」という疑問を一度くらいは抱いたことがあるに違いない。
正解は、物理学賞、経済学賞、化学賞についてはスウェーデン王立科学アカデミー、医学・生理学賞については、同じくスウェーデンのカロリンスカ研究所(単一の教育機関としては世界最大と言われるカロリンスカ医科大の一部門)、そして文学賞は、スウェーデン・アカデミー(もともとは18世紀に、時の国王グスタフ3世の命により、スウェーデン語の整理と普及のために設立された)と、いずれもノーベルの故郷スウェーデンの機関が選考に当たるのだが、平和賞だけは隣国のノルウェー・ノーベル委員会において選ばれている。
写真)スウェーデン王立科学アカデミー 出典)creative commons
その理由も含め、次回は平和賞を取り上げる。
トップ画像:ノーベル賞授賞式の様子 出典)Nobel Prize