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.国際  投稿日:2018/1/7

平和賞候補にヒトラー? ノーベル賞の都市伝説5


 

林信吾

「西方見聞録」

 

【まとめ】

・選考プロセスが独特な平和賞。物議を醸した受賞者もいる。

・韓国金大中元大統領、佐藤栄作元首相。どちらも受賞に相応しくない事実が後で判明した。

・ヒトラーが推薦された例もあり、政治的に利用されることがある。

 

【注:この記事には複数の写真が含まれています。サイトによっては写真説明と出典のみ記されていることがあります。その場合はJapan In-depthのサイトhttp://japan-indepth.jp/?p=37937でお読みください。】

 

ノーベル賞の中でも、平和賞の位置づけは独特である。

 

他の分野、具体的には物理学賞や医学・生理学賞などは、なんらかの研究発表が行われてから一定の時間をおき、客観的な検証にさらされた後に受賞が決まる。文学賞も然り。

 

原則的に在世中の人物が対象となっているが、平和賞は「現在進行中の事柄に関わる人物や団体」も対象としている。このため、さまざまな平和団体が自分たちの運動の知名度を上げようとロビー活動を行うケースが多く、受賞に対して疑念を呈する人が繰り返し現れるということにもなる。

 

今回は「ノーベル賞の都市伝説」というテーマからは少し外れるかも知れないが、過去に物議を醸したノーベル平和賞受賞者について見てみよう。

 

いや、その前に、そもそもどのようなプロセスで受賞者が決まるのかだが、実はよく分からない。

 

公表されているところによれば、各国に推薦依頼状を送り、その返信に基づいて候補者を絞り、最終選考で決定、ということらしいのだが、この推薦依頼状そのものが非公開で、各国と言っても具体的にどの国のどの機関に送っているのかさえ公開されていない。これでは、物議を醸すような受賞者を次々と「輩出」するのも無理はない。

 

一口に物議を醸すと言っても、理由はもちろん様々だ。大きく分ければ、受賞プロセスが問題視されるか、受賞理由が問題視されるか、おおむねどちらかだと言えるだろう。

 

前者の代表的な例が、韓国の金大中・元大統領で、「南北首脳会談を実現し、朝鮮半島の緊張緩和に寄与した」との理由で2000年に受賞した。

金大中韓国元大統領とクリントン元米大統領

写真)金大中韓国元大統領とクリントン元米大統領

出典)White House photo by Sharon Farmer

 

しかしその後、賞を勝ち取るためロビー活動に巨額の資金を投じていたことや、北朝鮮に対して5億ドルにのぼる不正送金をしていたことが明らかになったのである。

 

後者の代表例は、日本人で唯一この賞を受賞した佐藤栄作・元首相(1次〜3次内閣。1964〜72年)だろう。核兵器を「作らず、持たず、持ち込ませず」という、世に言う非核三原則を打ち立てたとの理由で、1974年に受賞したのだが、実は沖縄返還交渉に際して、米軍が核兵器を持ち込むことを黙認するという秘密協定があったことが、後に暴露された。

佐藤栄作元首相

写真)佐藤栄作元首相

出典)時事画報社「フォト(1961年10月15日号)」より(著作権フリー画像)

 

核兵器がらみでは、米国のバラク・オバマ前大統領のケースが、いまだ記憶に新しい。核兵器の廃絶を訴えたことを理由に、就任後ほどない2009年に受賞した。

 

これ自体「演説だけで受賞」などと揶揄されたが、まあ、賞をカネで買ったと言われても仕方ない、どこかの元大統領もいたわけで、それよりはマシかも知れない。ただ、訴えるだけなら誰でも出来るわけで、実際に彼が「核なき世界」の実現にどこまで貢献できたか、答えはすでに出ているのではないか。

 

誤解のないように述べておくが、私はノーベル平和賞そのものに批判的なわけではない。

 

比較的新しい例でも、2014年に史上最年少の17歳で受賞したマララ・ユサフザイさんなどは、平和賞受賞にふさわしい、と誰もが認めるのではないだろうか。

マララ・ユスフザイ 2013年11月20日

写真)マララ・ユサフザイ 2013年11月20日

Photo by Claude TRUONG-NGOC

 

彼女はイスラム過激派タリバーンが、女子に学校教育は不要だとするなど、圧政を敷いていることにネットを通じて抗議し続けたが、その結果タリバーンに銃撃されて九死に一生を得る経験までしている。演説だけで受賞した人とは、およそ対極にあるのだ。

 

彼女以外にも、ミャンマーのアウンサン・スー・チー女史(1991年受賞)など、圧政への抵抗を続けていることを理由に受賞した人はいるのだが、あのマハトマ・ガンディーは受賞していない

アウンサン・スー・チー女史 2013年10月22日

写真)アウンサン・スー・チー女史 2013年10月22日

Photo byClaude TRUONG-NGOC

 

彼の運動が、しばしば「非暴力」のスローガンとは裏腹に、暴力を伴うものと化したから、ということであるらしいが、これは納得しかねる。インド亜大陸に根深くあった、ヒンドゥーとイスラムの対立に、彼が責任を負えるとでも言うのだろうか。

 

とどのつまり、選考過程がいささか不透明であることが、物議を醸すような受賞者を出してしまう原因だと考えて間違いないだろう。

 

そう言えば、「憲法第9条を守り続けた日本国民にノーベル平和賞を」というアピールがなされたこともあった。もし実現していれば、安倍首相が授賞式に招待されることになりかねず、ものすごい皮肉になるなあ……などと考えていたが、実はそれどころではない例もあった。

 

1939年、第二次世界大戦が勃発したその年の平和賞に、なんとアドルフ・ヒトラーが推薦されていたのだ。反ナチズムの闘士だったスウェーデンの政治家が、皮肉のつもりで推薦したらしい。

 

戦後70年以上が過ぎた今だから、笑い話にもできるのだが、これはどちらかと言うと、「もっともしゃれにならないジョーク」として、むしろ文学賞に推薦してよいのではないだろうか。

 

 

トップ画像:ノーベル平和賞受賞の際にスピーチするマララ・ユサフザイ

出典)Nobel Prize


この記事を書いた人
林信吾作家・ジャーナリスト

1958年東京生まれ。神奈川大学中退。1983年より10年間、英国ロンドン在住。現地発行週刊日本語新聞の編集・発行に携わる。また『地球の歩き方・ロンドン編』の企画・執筆の中心となる。帰国後はフリーで活躍を続け、著書50冊以上。ヨーロッパ事情から政治・軍事・歴史・サッカーまで、引き出しの多さで知られる。少林寺拳法5段。

林信吾

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