東京パラリンピック柔道前哨戦 日本勢苦戦

古森義久(ジャーナリスト・麗澤大学特別教授)
「古森義久の内外透視」
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2020年の東京パラリンピックの前哨戦ともいえる視覚障害者柔道大会が東京で11月26日に開かれた。私がふだん練習や指導をするワシントンの柔道クラブの選手も2人が参加したので観戦に出かけた。そこでの熱戦の展開は日本選手が外国選手に圧倒されるという意外な結果だった。
写真)第31回全日本視覚障害者柔道大会
この大会は正式には第32回全日本視覚障害者柔道大会と題され、東京都内の講道館大道場で催された。柔道は目の不自由な人たちでも一般人とほぼ変わりない形でできる数少ないスポーツ競技である。だからパラリンピックでは主要種目となり、昨年のリオデジャネイロ五輪でも盛大に柔道大会が開かれ、日本選手も銀メダル1個、銅メダル3個という活躍をした。
写真)講道館
出典)講道館HP
今回の大会は日本でのその視覚障害者の例年の全国大会だった。体重別に男子9階級で出場41人、女子6階級で9人の選手が日本の各地を代表して参加した。ただし「全日本」とはいえ、外国選手も加えての国際大会ともなった。その外国からの参加は男子17人 女子10人、アメリカ、イギリス、ドイツ、韓国、ルーマニア、スウェーデンなどからだった。
私はこの期間、たまたま仕事で東京に滞在していたために観戦に出かけた。ワシントンで日ごろ通っているジョージタウン大学ワシントン柔道クラブの会員の女子選手も2人が参加していた。
ロリー・ピアース、アンジー・モラン両選手だった。ピアース選手は30代、モラン選手は20代、ともに長年、柔道を学んでおり、日ごろはワシントンの道場でふつうの選手たちと激しく練習している。私自身ももの両選手とは数えきれないほどの回数、稽古をした。ともに一般の職業に就いている学歴の高い明るい女性である。
写真)右 ロリー・ピアース選手
©古森義久
大会は午前10時から午後3時まで円滑に進んだ。目の不自由な人同士の柔道大会は私も初めての見学だったが、最初に2人の選手が審判によって組み合わされた時点で試合が始まる。
途中、離れ離れとなれば、また最初から組みあうのだが、ほとんどは自然に戦いを続け、立ち技、寝技、一般の試合と変わらない形で勝敗が決まる。遠くからみていると、一般の柔道試合の光景となんの変わりもない。パラリンピックで柔道が一般の観客の人気をも大きく集める理由がよくわかった。
ピアース、モラン両選手の試合では私も声援を送ったが、2人とも第一試合で敗れてしまった。だが全体としては外国選手の活躍が目立った。1位、2位は男女の各階級ともほとんどが外国選手だった。
写真)第31回全日本視覚障害者柔道大会
©古森義久
日本選手のメダル獲得が少ないのだ。全日本大会の名をうち、実際に日本人選手たちは全国各地から加わっている。だがそれでもメダルの獲得数が少ないのだ。この大会は明らかに3年後の東京でのパラリンピックの前触れの意味を持つようだから、本番での日本勢の試合ぶりが心配になった。
とはいえ、各国の目の不自由な男女たちがふつうの選手と変わりのない鋭く激しい動きで相手を投げ、抑え、締めようと必死になる様子は国際色の豊かさも加わって、なんとも頼もしい光景だった。
トップ画像:右側 アンジー・モラン選手 ©古森義久
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この記事を書いた人
古森義久ジャーナリスト/麗澤大学特別教授
産経新聞ワシントン駐在客員特派員、麗澤大学特別教授。1963年慶應大学卒、ワシントン大学留学、毎日新聞社会部、政治部、ベトナム、ワシントン両特派員、米国カーネギー国際平和財団上級研究員、産経新聞中国総局長、ワシントン支局長などを歴任。ベトナム報道でボーン国際記者賞、ライシャワー核持込発言報道で日本新聞協会賞、日米関係など報道で日本記者クラブ賞、著書「ベトナム報道1300日」で講談社ノンフィクション賞をそれぞれ受賞。著書は「ODA幻想」「韓国の奈落」「米中激突と日本の針路」「新型コロナウイルスが世界を滅ぼす」など多数。

