スポーツの聖地を世界に知らしめる意味
為末大(スポーツコメンテーター・(株)R.project取締役)
ずいぶん昔、イギリスのシェフィールドってところで試合をした時に、イギリス人の観客にこう説明されたことがある。
”ハードルはイギリス発祥だし、イギリス人のスター選手はいないけど、みんなウィンブルドンに憧れる。そして今日もハードルを跳び、皆ウィンブルドンを目指すのだよ”
ハードルが本当にイギリス発祥なのかは僕もよくわからないけれど、彼が言わんとしているところはよくわかった。なんとなくスノッビーだなーと思いながらも、確かになーと納得するところもあって、複雑な気持ちだった。
スポーツにおけるわかりやすい勝利とは、W杯優勝であり、五輪の金メダルであり、地元からスターが出たり、また自国で五輪を開催することなのだと思う。一方で表には見えない勝負というのがある。
初めてメダルを取った時、表彰される前に控え室に入った。そこはVIPルームのすぐ横にあって、ドアが空いた時、奥の方にスーツを着た人々が試合を観戦していた。なんだかその間に隔たりがあるような気分になったが、メダルの嬉しさからすぐそのことは忘れてしまった。
アスリートだった時に、自分の力でスターになるのだと思っていたけれども、実はその前提にいくつかの条件がある。まず勝負の場がなければならない、そしてそれを世の中に広めるメディアがなければならない、またそこにスポンサーがつかなければならない、そして権威がなければならない。
メダルを授かる時、私たちはうやうやしくそれをいただくのだけれど、その対象としている権威はどこから来るのだろうか。人々の憧れであり、歴史であるのかもしれない。いずれにしても権威なき場所からの評価を人は喜ばない。
何か賞や世界的な舞台は多くの場合西洋を中心に展開されることが多いけれども、それは彼らの戦いはレースの中ではなくそのレース自体をいかに作り上げるかというところに興味があるからではないかと思う。
現役時代、プラットフォームの中での一位を目指すことしか考えていなかったが、一歩引いてみれば、誰かの手のひらの中でのレースを頑張っていたという見え方ができなくもない。
ところで日本には大相撲があり、柔道があり、空手がある。同じような発想で考えた時、たくさんの金メダリストを有することと、講道館を世界の聖地として知らしめていくことと、二つの戦い方があるように思う。
(この記事は2017年6月1日に為末大HPに掲載されたものです)
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この記事を書いた人
為末大スポーツコメンテーター・(株)R.project取締役
1978年5月3日、広島県生まれ。『侍ハードラー』の異名で知られ、未だに破られていない男子400mハードルの日本 記録保持者2005年ヘルシンキ世界選手権で初めて日本人が世界大会トラック種目 で2度メダルを獲得するという快挙を達成。オリンピックはシドニー、アテネ、北京の3 大会に出場。2010年、アスリートの社会的自立を支援する「一般社団法人アスリート・ソサエティ」 を設立。現在、代表理事を務めている。さらに、2011年、地元広島で自身のランニン グクラブ「CHASKI(チャスキ)」を立ち上げ、子どもたちに運動と学習能力をアップす る陸上教室も開催している。また、東日本大震災発生直後、自身の公式サイトを通じ て「TEAM JAPAN」を立ち上げ、競技の枠を超えた多くのアスリートに参加を呼びか けるなど、幅広く活動している。 今後は「スポーツを通じて社会に貢献したい」と次なる目標に向かってスタートを切る。