.国際  投稿日:2018/3/10

米空母、ベトナムに歴史的訪問

写真)ベトナム港に訪れたカールビンソン
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古森義久(ジャーナリスト・麗澤大学特別教授)

「古森義久の内外透視 」

【まとめ】

米海軍空母カールビンソンがベトナム・ダナンに歴史的寄港。

・アメリカ・ベトナム接近の要因は「航行の自由」を脅かす中国への対処。

トランプ大統領も昨年ベトナムダイ・クアン国家主席と会談、中国の海洋での膨張を共同で抑止することで合意していた。

【注:この記事には複数の写真が含まれています。サイトによっては全て表示されず、写真の説明と出典のみ記載されていることがあります。その場合はhttp://japan-indepth.jp/?p=38847記事をお読みください。】 

 

ダナンと聞けば、すぐにベトナム戦争を思い出す。アメリカと北ベトナムとの戦いはダナンに始まり、ダナンに終わったともいえるからだ。私の記者生活でも最も強烈な思いを残すベトナム戦争の象徴のような都市がダナンだったのだ。

図)ベトナムのダナン

▲図)ベトナムのダナン 出典)Google map

アメリカが介入してのベトナム戦争は1965年3月8日、米軍海兵隊がダナンに上陸したときが公式の始まりだった。その後のベトナム駐留の米軍にとってダナンは最大の基地だった。

写真)ベトナム戦争のアメリカ海兵隊員 (1968年5月8日)

 ▲写真)ベトナム戦争のアメリカ海兵隊員 (1968年5月8日)出典)米国海兵隊歴史ウェブサイト

当時のベトナムは南北に分かれていた。北緯17度線の北が北ベトナム、その正式国名がベトナム民主共和国だった。南の南ベトナムはベトナム共和国という国名だった。ベトナム戦争の実態はこの北ベトナムが南ベトナムに軍事闘争を挑み、アメリカが南ベトナムを全面支援して、北ベトナムと戦った、という構図だった。その戦闘の主舞台は南ベトナムだった。

ただし米軍は公式介入から8年後の1973年3月に南ベトナムから撤退した。その後は北ベトナムと南ベトナムの内戦だった。その内戦も1975年の3月から4月にかけての北ベトナム軍の大攻勢によって、南ベトナム政府が完全に粉砕され、終結した。その最終に近い75年3月29日、南ベトナム側の主要拠点だったダナンが陥落した。北ベトナム軍が占領したのだ。私はこのころ南ベトナムの首都のサイゴン(現在のホーチミン市)にいて、戦争の報道をしていた。

ダナンは南シナ海に面した港湾都市である。そこを拠点として米軍は北ベトナム軍と激しく戦った。8年にも及ぶものすごい戦いだった。だが米軍は南ベトナムを守り切るという目的を達せずに撤退した。

そんな戦いの場だったダナンにこの3月5日、アメリカ海軍の原子力航空母艦カールビンソンが入港した。歴史も変われば変わるものである。米軍を撃退して、南ベトナムを滅ぼした北ベトナムは翌1976年に全土を公式に統一し、国名もベトナム社会主義共和国と改めた。共産主義政党の一党独裁政権である。かつて敵だったアメリカとは敵対関係のままだった。だが1995年には国交が樹立された。

そしてその国交樹立から23年、ベトナム戦争の終わりから43年、米軍のベトナムへの軍事介入から53年のこの2018年3月5日、アメリカとベトナムはついに軍事的なきずなの構築を内外に誇示するにいたったのだ。米海軍の主力空母カールビンソンがダナンの港に10万トンの巨体を寄せたのである。しかもベトナム側から熱い歓迎を受けたのだ。かつての敵同士が固い握手を交わしたのだった。

写真)ベトナムのダナン港の歓迎式典

▲写真)ベトナムのダナン港の歓迎式典 出典)Official U.S. Navy Page Photo by U.S. Navy photo by Mass Communication Specialist 3rd Class Devin M. Monroe

写真)ダナンの港で米海軍を歓迎する式典

▲写真)ダナンの港で米海軍を歓迎する式典 出典)ベトナム政府

現地からの報道によると、カールビンソンの乗組員約6000人はみな港に降りて、地元の住民たちとも交流した。米軍将兵はダナンの養老院や孤児院を訪れ、慰問をした。ベトナム人の子供たちとサッカーにも興じた。ニンニクの皮をだれが一番、速くむくかというコンテストにも加わった。同時にベトナム市民たちが空母カールビンソンの艦内を訪れ、見学したという。

ベトナム駐在のアメリカ大使、ダニエル・クリテンブリック氏は現地で記者会見して次のように語った。

写真)ダニエル・クリテンブリック氏

▲写真)ダニエル・クリテンブリック氏 出典)U.S. Embassy and Consulate in Vietnam

「この空母訪問はアメリカ、ベトナム両国が近年、果たしてきた二国間関係の劇的な前進を誇示しています。両国は平和と繁栄、そしてこの地域の諸国が依存する商業や航行の自由を保つという願望を共有しています」

この言明のなかの「航行の自由」という言葉こそがカギだった。アメリカとベトナムというかつての敵同士を接近させた要因の一つは南シナ海での「航行の自由」の確保なのである。より具体的に述べるならば、この「航行の自由」を脅かす中国への共同の対処なのだ。中国が南シナ海でベトナムなどと領有権を争うスプラトリー諸島、パラセル諸島のほとんどを一方的に軍事占領し、「航行の自由」を脅かしているのである。

トロン・ダイクアン大統領とドナルド・トランプ大統領

▲写真)ベトナムを訪問した米トランプ大統領とベトナム ダイ・クアン国家主席 (2017年11月12日) 出典)ベトナム政府 

アメリカもベトナムも中国のその侵略的な行動を強く非難してきた。トランプ大統領が昨年11月、このダナンを訪れた際、ベトナムのチャン・ダイ・クアン国家主席と会談して、中国の海洋での膨張を非難し、共同で抑止の行動をとることを合意していた。今回の空母カールビンソンのダナン寄港はその具体策の一つだった。ベトナム戦争での敵同士をいまや味方同士にしたのは中国の危険な拡張行動に反対する共通の連帯だったのである。

*トップ写真)ベトナム港に訪れたカールビンソン 出典)Official U.S. Navy Page

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この記事を書いた人
古森義久ジャーナリスト

産経新聞ワシントン駐在客員特派員、麗澤大学特別教授。1963年慶應大学卒、ワシントン大学留学、毎日新聞社会部、政治部、ベトナム、ワシントン両特派員、米国カーネギー国際平和財団上級研究員、産経新聞中国総局長、ワシントン支局長などを歴任。ベトナム報道でボーン国際記者賞、ライシャワー核持込発言報道で日本新聞協会賞、日米関係など報道で日本記者クラブ賞、著書「ベトナム報道1300日」で講談社ノンフィクション賞をそれぞれ受賞。著書は「危うし!日本の命運」「中・韓『反日ロビー』の実像」「トランプは中国の膨張を許さない!」など多数。

古森義久

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