.社会 投稿日:2014/6/24
[為末大]<許されるものと許されないもの>社会的に許されないボーダーは時代と共に変化する
為末大(スポーツコメンテーター・(株)R.project取締役)
昔、体罰が暗黙で許容されていた頃、グランドの隅で生徒を叩いている先生はよくいた。
当時はそういうものでしかないと思っていたけれど、今それをやると大問題になる。けれども体罰の報告は今も続いていて、まだやむ気配がない。
振り返れば30年前、国民的人気漫画のオープニングで体罰は公然と行われていた。当時はそれは許容範囲だったのだと思う。昔は会社でも体罰があった。
許されるものと許されないもの。それを分けているボーダーは時代と共に動く。女性が選挙権を持ったのはいつ頃だろうか。同性婚はいつ頃認められるのか。昔の規範が少しずつ個人の権利を認める方向に向かっていくのではないか。
僕は本当は確固とした倫理なんて世の中にはなくて、ただ社会的に許されないボーダーだけがあると思っている。このボーダーがどこにあるのかをいつも探りながら考えている。なぜなら昨日まで立っていた所が今日はアウトになる事はよくあるから。
空気を読んでいるようでいて実は読めていない。身内の昔から続く小さな範囲の空気は読めても、今の時代の世代・性別をまたいだ空気、日本という範囲を超えた空気は読めない。今、何が許されない事かがわからない。自分の姿が客観視できない。
人は皆偏見を持っている。
違いがあるのは偏見を持っているかもしれない自分に気づいている人と、気づいていない人。できれば前者であるように努力していたい。
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