<セクハラやじ報道の論点はズレている>少子化問題の原因を個々の女性に押し付けている固定観念が問題
(Japan In-Depth編集部)
東京都議会のセクハラヤジ問題。騒動の発端から5日たった今日(23日)、発言した男性議員の一人が名乗り出て、謝罪した。
「大きな騒動になってしまい申し訳ない」
「女性に対して配慮を欠いた不適切な発言だった」
確かに大きな騒動となって世界における日本のイメージを失墜させたことも問題であり、謝罪すべきなのだが、鈴木議員の謝罪も然ることながら、マスコミの報道まで論点がずれてしまっているように感じる。
今回の問題の本質は、議会の品位云々でもなく、女性を傷つけたかどうかでもない。少子化問題の原因を社会構造ではなく、個々の女性に帰結させたことにあるのではないか。
鈴木議員は、「少子化・晩婚化の(進む)中で早く結婚していただきたいという思いがある中で」つい軽い気持ちで放った一言だったと説明し、「本当に(結婚)したくてもできない女性に申し訳ない」という。「適齢期の女が社会進出だなんだといって、結婚せず、子どもを産まないから少子化が進むんだ」と常日頃から思っていたということだろう。
「つい軽い気持ち」でぽろっと出た本音には、固定的な価値観の押し付けが透けて見える。女は結婚して子どもを産んで一人前という価値観だ。
男女に限らず、結婚や子どもを持つかどうかは個人の自由な選択であるべきで、他人に押し付けられるものではないはずだ。さらに、適齢期の女が結婚して子どもを産まない背景には、産みたくても産めない社会構造がある。
男と同等に学び、就職し、キャリアを重ねてきても、未だ日本では、子どもを持った途端、女だけが「仕事と家庭の両立」を迫られる。子を産んでも、夫が子育てに参加できる常識的な時間に帰れるわけでもなく、保育所の定員が足りずに子どもを預けることすらままならない。
その上、世間は「女性が成長戦略の鍵、女性の力を活用」と騒ぎ立てる。結婚しろ、子どもを産め、働け、でも育児家事も一人でちゃんとやってね。こんな状態で誰が産めるというのだろうか?
こうした少子化を取り巻く社会構造を変えるべき立場にいるはずの政治家たちが、ヤジを飛ばしたり同調して笑っていたということは、より罪が重い。
今回のようなセクハラ・モラハラは、いわば氷山の一角ともいえる。同世代の女性の中には「同じようことを言われすぎて感覚が麻痺してしまった」という人もいた。
塩村議員がヤジを受けた直後、その場で反論せずに笑顔をつくって受け流したことや、涙を浮かべたことなどを受け、「議員をしてプロ意識が足りない」といった厳しい意見を寄せる女性も多い。
これまで、どれほど多くの女性がこうしたセクハラを、笑って受け流して、時には自虐ネタにして、悔しさの澱を心の奥底に貯めてきたことだろうか。それは男社会を穏便に生き抜く智恵だったかもしれない。しかし、女性自身もこうした発言に毅然としてNOを突きつけ、「一方的な価値観の押し付け」こそが少子化につながっていると知らしめなければならない。
女性たちにとってはあまりにありふれていて、もはやあきらめてすらいたこうした発言が、今回これほど人々の関心を集めたことは、変革のチャンスとも言える。一人の議員が謝罪しただけで、問題を収束させてはならない。日本社会の根本を変える大きなうねりを作り出せるかどうかが、今、問われている。(JID・hinata)
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