【メディアの「雰囲気」が日本サッカー敗因】
瀬尾温知(スポーツライター)
サッカー界の周期をワールドカップの開催年になぞって4年で一つとするならば、日本サッカー界は、メキシコ人監督のアギーレを日本代表に迎え入れたことで、その新たなワンサイクルを歩み出したことになる。
日本は、代表を管轄するサッカー協会、グラウンドで戦う選手、さらにメディア、そしてファンの誰もが日本サッカーを強くしたいという一念がある。にもかかわらず、思いとは裏腹な結末を先のワールドカップで目の当たりにした。協会も選手も最善を尽くした結果が、ブラジル大会の2敗1引き分けという言い訳のしようもない惨敗だった。でも、この惨敗は日本サッカーの全体像を検証するために、策謀せずして訪れた好機なのだ。生かさない手はない。
強豪国と呼ばれる国々は、長い歴史の中で、人々がサッカーを錬成し、その人々の数を増大させてきたから現在に至っている。それらの国々に比べれば、まだまだ尻に青みの残るのが日本サッカーの現状だ。
Jリーグのスタジアムに漂う空気は稚拙だし、テレビ中継も然り。本場を熟知する真のサッカーファンは、日本を覆っているサッカーの雰囲気に満足していない。一方、選手をアイドルないしテレビタレントのような目で見ているサッカーファンは、好みのタイプを見つけることが先決で、声援を送るだけで充足感を得ているようだ。残念なことに、日本のサッカーは後者を中心に回っている。
特にテレビ局は、視聴率を稼ぐために、後者を中心に回している。だから前者は辟易してしまうのだ。代表選手にジャンケンでもさせてキャプテンを決めるとか、歌わせてCDを発売し、購入者に投票権を与えて代表選手を選抜させたりしかねない有り様である。つまり、日本のサッカーを取り巻く環境が、幼稚なのだ。
先日、取材で行ったJリーグのスタジアムで、開門と同時に急いで入場した女性たちが、最前列に陣取ってビニールシートを広げ、場所取りをしていた。「アイドルの野外コンサート会場」でもきっと同じ光景があるのだろう。熱狂的サポーターのいるブラジルでは、観たことのない光景である。日本の熱狂は、サッカー競技に向いておらず、人物が対象となっている。なかなかサッカーを錬成する人の数が増えていかない。それだから国の代表が強くなるはずがない。
国の代表とは、国民のレベルに比例する。ならば国民一人一人がサッカーの見聞を広め、サッカーに対する反応力を身につけることが、最も重要な強化策なのだ。そのために有効なのは、メディアが正しくリードすることだ。
サッカー協会と代表選手が才幹の限りを尽くして挑み、終焉に辛酸を嘗めたのが前回のワンサイクルだった。世界のトップレベルとは比較にもならないアジア内で好成績を収めたことと、真剣勝負の場でない試合で強豪国と対等に渡り合ってしまったことから勘違いして招いた誤謬もあっただろう。
しかし、ザッケローニを連れてきた協会、技術は上達している選手、それぞれ持ち備えた実力は出した。それで負けたのだから敗因は彼らにはない。ならば敗因はどこか。それはメディアが作り上げてしまった「サッカーの雰囲気」だ。
日本はまだまだサッカーを楽しめていない。日本を覆っているサッカーの雰囲気を変えれば、今以上には強化する。強化のためと言うよりも、雰囲気を変えた方が、よっぽどサッカーは楽しくなる。
日本サッカーの全体像を検証するのに、一度きりのコラムでは、とてもではないが間に合わない。次回に続けるとしよう。
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