[瀬尾温知]【日本サッカー雰囲気は観衆の反応次第】~サポーターの肥えた視線が選手を育てる~
瀬尾温知(スポーツライター)
日本サッカーの雰囲気を変えるには、観衆が反応するべき
ミランの本田が開幕2試合連続ゴール。心機一転の香川もドルトムント復帰戦でゴールを決め、マインツの岡崎は4試合で4得点をあげてブンデスリーガの得点ランキングでトップに立っている。
彼らの活躍は、ワールドカップでの悔しさが糧となっているのではないだろうか。グループリーグの第3戦でコロンビアに勝ったものの決勝トーナメント進出はなりませんでした、となっていたら、健闘を称える風潮が少なからずあったかもしれない。
ブラジル大会で完膚なきまでに打ちのめされたことが、むしろ彼らにとって良薬となり、禍を転じて福となし、敗に因りて功をなす、といった心境になれたのだろう。反省し、戒めたからこそ、次なる挑戦での好スタートを招き寄せた。
ワールドカップ敗退が決まったあと、本田は「自分たちが未熟すぎた結果だから全てを受け入れるしかない」と話し、香川は「結果を残せなかったのは自分の実力不足。次に進むための準備をしたい」と語り、岡崎は「これが実力だと思う。自分の力のなさが悔しい」と言葉に力を込めた。
敗戦の弁を語ることで、次のステップへの第一歩を踏み出していた。広報担当が「きょうは勘弁してやってください」などと敗者をかくまうようなことがあってはならない。負けたときこそ、後々のために語るべきなのだ。記者とのやりとりで、「そんなこと言われなくてもわかってら」と内心で思うこともあるだろう。でも、マスコミ対応しながら考えを整理しておくことは、同じミスを繰り返さないために無駄ではない。
前回のコラムで、日本を覆うサッカーの雰囲気を変えれば、サッカーはもっと楽しくなると記した。そうなれば関心は広まり、意見交換が盛んになる。そして競技に肥えた視線を持つ人々が増し、行方にはサッカー界全体の発展、並びに強化へつながるとの考えからだ。
ブラジルのスタジアムで観戦したあとに、Jリーグのスタジアムで観戦して毎度感じるのは、観衆の反応のなさだ。特に、選手が意図して仕掛けたプレーへの反応が少ない。
頭上を越すフェイントを見せたら喝采するとか、それが相手選手のプレーで失敗だったら囃したてればいい。4対0の大差で勝っていれば、試合開始直後からの応援を繰り返すのではなく、「1、2、3、4」と大合唱してしまえばいい。
ミスに対する厳しい反応も、もっとあっていい。フリーの状態でクロスをミスキックしてゴールラインを割ったら「おい、寝てんのか。目を開けて蹴れ」。次の機会で選手は集中力を高める。そのクロスがナイスセンタリングだったら拍手を送って称えてあげればいい。ミスは付き物だから起こるのだが、ミスによって浴びる批判を少なくするためには、集中力を高め、持っている能力を最大限に発揮しようと心がける以外にない。
観客は入場券を買ってスタジアムに足を運ぶ。お金を支出しない者でも、贔屓にするチームに情熱を捧げている。その見返りに、最高のパフォーマンスに勤しむプロフェッショナリズムをグラウンド上に求める。観戦する者が厳しい声を送るのは、ミスが許されない雰囲気を作り出すことで、選手の集中力を高め、最上のパフォーマンスを引き出しているとも言い換えられる。
自分達が楽しむための雰囲気作りである。選手だって張り詰めた緊張感の中でプレーできることは喜びであり、個々のレベルアップにもつながる。愛情あるサポーターの肥えた視線が選手を育てるのだ。
選手は意図のあるプレーで相手と勝負し、観衆が反応する。それが選手と観衆の対話だと思う。対話の盛んなスタジアムは、時として殺気立つこともあるけれど、それでも案外いい雰囲気に包まれているものだ。サッカーの歴史とは、そんな対話の積み重ねなのだろう。
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