[七尾藍佳]【憲法九条と自衛隊を巡る国会論戦がちぐはぐな理由】~与野党、「政治の本質」議論せよ~
七尾藍佳( ジャーナリスト・国際メディアコンサルタント)
「七尾藍佳の“The Perspectives”」
ISILによる日本人質事件をきっかけとして、邦人保護・救出のために自衛隊を海外に派遣するのか、しないのか、について国会で議論が交わされています。「平和維持活動以外の活動を目的とした自衛隊海外派遣」は、これまでの日本の自衛隊のありかたを大きく変えるものであるにも関わらず、国会での論戦は盛り上がりに欠けています。本稿ではその理由について考えてみます。
民主党の岡田代表は自衛隊邦人救出活動に向けて安倍首相が意欲を見せていることに関して「必要性は全くないとは思わないので、議論はしたらよい」と発言しています。そもそも反対していないのですから論戦の起こりようがありません。
昨年7月の閣議決定で集団的自衛権の行使を認めた際にも、民主党の質問はどうにも核心をつかない曖昧なものに終始していました。この理由を自民党の高村副総裁はこう指摘しています。「岡田さんも前原さんも本音は(集団的自衛権)限定行使容認論者だと思う―党内がまとまらないから閣議決定のプロセスを批判している」
つまり、集団的自衛権の限定的容認には自分も賛成だから声高に反対できないけれど、党内の元社会党勢力などへの配慮などの事情があるから「タテマエ」上批判しているだけだろう、というツッコミです。
民主党は、自民党が集団的自衛権を認めた「過程=プロセス」の問題点として「国民の議論が熟していない」ことを強調していました。これは若干的外れな指摘です。なぜなら、国会こそが「議論」の場であるからです。議会制民主主義においては、職業政治家として「議論」をするためにこそ、国会議員は国民の税金から捻出される「歳費」を受けとっているのです。その国会議員同士が本音でぶつからずに、生半可でちぐはぐな議論に終始していたら、「国民的議論」なんて盛り上がりません。
この「憲法改正・九条・自衛隊」を巡るなんともすっきりしない空気を醸成している犯人は誰なのでしょうか。私はイェール大学の憲法学者、ブルース・アッカーマンの“Normal Politics/Constitutional Politics”論が参考になると考えます。
社会・国際情勢が安定している時は「通常の政治」=ノーマル・ポリティクスを「政治家」=「政治のプロ」が粛々と行います。他方、社会・国際情勢が大きく変動している時は、政治システムそのものを大きく変えるような「憲法の政治」=コンスティテューショナル・ポリティクスが現われ、「国民」が意思決定に参加します。
アメリカで言えば、建国期、南北戦争期、ニューディール期が「憲法の政治」に相当するとアッカーマンは主張しています。日本で言えば「敗戦期・憲法制定期」が「憲法の政治」が行われた時期に当たります。
安倍総理は、今の憲法の制定過程そのものを問題としていて、できるものならゼロから「自主憲法」を制定しなおすことが日本のためになる、と考えています。これは文字通り「憲法の政治」です。
かたや岡田代表は運用面での不備を改善する必要性に立脚した憲法改正を主張しており、改正といっても「通常の政治」の範疇を超えるものではないでしょう。だからこそ、「九条改正」・「自衛隊海外派遣」といった「各論」で意見は一致しているのに、安倍氏と岡田氏の議論はかみ合わないのです。
しかし、日本という国のあり方の根幹に関わるテーマで、いつまでも議論が平行線のままでは困りものですから、改善していただかないといけません。答えは到ってシンプルで、野党が質問に立つ際には、自分の「政治の本質」を露わにした上で、安倍総理の「政治の本質」をつまびらかにするような「本気」の議論を仕掛けるべきなのです。そうすれば、「国民の議論」にも自ずと火がつくことでしょう。