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.国際  投稿日:2015/4/6

[古森義久]【在米ベトナム系住民活躍の意義とは】~サイゴン陥落40周年に想う~


古森義久(ジャーナリスト/国際教養大学 客員教授)

「古森義久の内外透視」

執筆記事プロフィールBlog

この4月30日は南ベトナムの首都サイゴンが陥落してちょうど40年目の記念日となる。サイゴン陥落とはベトナム戦争の終わりだった。1975年4月30日に起きた現代史の激動の大事件だった。サイゴンは当時の南ベトナム、つまりベトナム共和国の首都だった。現在はホーチミン市と呼ばれる。南ベトナムという国家はサイゴン陥落の時点で消滅し、いまはベトナム社会主義共和国の南部を占めるにいたった。

私はこの南ベトナムで新聞記者としてサイゴン陥落の日をはさんで合計3年9ヶ月を過ごした。一つの戦争の終焉、一つの国家の消滅を見届けた。それから40年、アメリカの首都ワシントンを拠点になお報道活動を続けるが、この地域にいるベトナム人たちの社会もまもなくサイゴン陥落40周年の記念日を複雑な身構えで迎える。

ワシントン近郊、ホワイトハウスの地域から車で30分ほどのバージニア州フォールスチャーチ地区にはベトナム系社会が大きく広がる。その中心にエデンセンターと呼ばれる広大なショッピングセンターがある。レストラン、食品店、服飾店、貴金属店、旅行代理店、理髪店、美容院など120軒ほどの商店が並ぶ。そのすべてがベトナム系の人たちが営み、買い物に訪れる人たちもまたほとんどがベトナム系である。

このエデンセンターの広い駐車場の中心には40年前に滅びたベトナム共和国の国旗が星条旗と並んで毎日、掲揚されている。黄色の地に赤い横線3本を描いたカラフルな旗である。この地域に住むベトナム人たち、正確にはベトナム系アメリカ人だが、その総数は10万近く、みな南ベトナム政府の壊滅とともに祖国を離れてきた人たちとその家族である。

ベトナム戦争は介入した米軍とベトナム革命勢力との戦いといえたが、同時に革命勢力の北ベトナムと米側に頼った南ベトナムと、ベトナム人勢力同士の戦いでもあった。その敗れた側が驚くべき多数、国外へと脱出する道を選んだ。単に敗北したからというだけではなく、北ベトナムの共産主義勢力の下に統一された新生ベトナムは厳しい一党独裁の共産主義体制で、かつて南側にいた人たちの社会参加を大幅に制限したことが大きな原因でもあった。

戦争が終わってからベトナムを離れる人は絶えず、結局、戦後の20年もの間に300万とも400万とも推定されるベトナム国民が小さな小舟に乗るボートピープルにまでなって、生命の危険を冒し、脱出した。終戦時の南ベトナムの総人口が2千万強だったから、なんと5人に1人が祖国を捨てたのだった。

そうして祖国を離れたベトナム人の最も多くが定住したのがアメリカだった。現在ベトナム系の総数は180万人、カリフォルニア州南部、テキサス州、そして首都近くのバージニア州の三大地域に集中して在住する。エデンセンターの繁盛ぶりからもわかるようにベトナム系米人は社会的、経済的、そして政治的にもアメリカ社会の主流への同化を果たし、確固たる存在となった。だがその大多数はなお現在のベトナム社会主義共和国とは距離を置き、現政権の独裁や弾圧を非難している。

ベトナム戦争とはなんだったのか。終戦40周年を機に日本でも論議がまた起きるだろうが、アメリカでのベトナム系住民たちの活躍の意義をも忘れてはならないであろう。

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