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.政治  投稿日:2015/5/18

[西田亮介]【憲法改正の国民投票と政治理解の導線を再考せよ】〜ポスト大阪都の戦いに何を見るか〜


西田亮介(立命館大学大学院 先端総合学術研究科 特別招聘准教授)

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大阪都構想の住民投票、1万741票差で反対多数 – 朝日新聞デジタル

大阪都構想の行方に決着がついた。橋下徹大阪市長と、維新の党の江田代表が辞任するという。憲法改正に必要な3分の2の票数を数えるうえで維新の党をあてにしていた官邸と、普段目の敵にしている共産党と同様に反対に回った大阪を中心とする自民党と公明党の禍根、民主党後の野党の強力なリーダーシップの挫折、1990年代から続く地方分権と自治体改革を牽引する首長という構図など、僅差とはいえ法的拘束力を持つ今回の投票結果が、近年の日本政治に与える直接間接の影響は相当大きいのではないか。少々大げさにいうならば、1980年代頃からの「改革」の構図が、軒並み否定されたことになる。

何も完璧だったというつもりはないし、政治の時間間隔では急造仕立ての維新のガバナンスや政治家、首長にも少なからず問題があった。だが大阪都構想を巡る攻防は、攻める側の議論がわかりやすいのが良かった。最近ひさびさに自治体の事業をよく見てみる必要があって、総合計画、実施計画、要綱、要領まで並べて見ているのだが、なぜそのようになっているのか、なぜそのように運用/評価するのか、誰も分からない事業があったりする。正統性が明確ではなく、運用が曖昧になっているものも少なくない。漸進的な改良を目指すはずのPDCAサイクルが、実体なき進捗管理になっていたりもする。

他方で、大阪市の予算のページを見てみると、予算の概要とかなり詳細な解説をPDFで付けた市のページに到達する。人件費の伸びは人事院勧告によるとの解説まである。職業柄、この可視化と、分かりやすさ、ソーシャルボタンの設置あたりが、とても興味深く、また好ましく思えた。

平成27年度当初予算(平成27年3月13日修正議決)

この経験から学ぶことは多義的だし、立場によって異なる。だが、比較的広く立場を越えて共通する話題を取り上げてみたい。それがこの住民投票を巡る「選挙運動」(投票運動)と政治理解のあり方についてである。今回の住民投票を巡る風景は、将来の憲法改正の国民投票を先取りした景色になるかもしれない。すでにネットや新聞各紙でも触れられているように、一般の選挙とは少々異なった選挙運動が繰り広げられた。公職選挙法に基づく一般の選挙の場合、当日に候補者への投票を呼びかけたりすることはできないが、今回の住民投票では、当日も両陣営が活発な運動を行っていた。このようなことが可能になっていたのはなぜだろうか。この点が、将来の憲法改正の国民投票にも関係してくるのである。

一般の選挙の運用を規定するのは公職選挙法である。ところが今回の大阪都を巡る住民投票は大都市地域特別区設置法、そして憲法改正を巡る国民投票は国民投票法がそのあり方を規定する。拙著『ネット選挙 解禁がもたらす日本社会の変容』(東洋経済新報社)のなかでその特徴を「均質な公平性」と表現したが、日本の選挙運動は、公選法が選挙運動に利用可能な手段を定めるにあたって、ビラの枚数やポスターの大きさまで規定する制限列挙形式を採用することで、外形的な制約の強い選挙といえる。

大都市地域特別区設置法、国民投票法では、その点を巧妙に回避している。通常の選挙と異なり、大阪市の住民投票と、憲法改正の国民投票は「候補者なき選挙」である。公選法は、政治家や政党、関係者による贈収賄や売買収を防ぐことに重きを置いている。ところがこれらの選挙では、候補者は存在しない。理念型としては、ある制度変更とその理由を周知し、有権者はその内容を理解し、是非について一票を投じることが期待されている。周知(とその方法)を、通常の選挙よりも強力に行う必要があるということで、建付の多くを公選法で準用しながら、公選法の制限列挙部分を大幅に緩和したと考えられる。

大都市地域特別区設置法と国民投票法では、前者のほうが生活に密着した側面が強いからか、前者の方がテレビCMの期間などでさらに緩和されているものの、全体の構成は似ている側面も少なくない。ということは、当日の運動や演説、資金を相当程度投入したと思われる投票運動のあり方、ポスターの枚数等への制限のなさなどは、憲法改正の国民投票の際にも、より本格的な、そして全国を巻き込む形で踏襲されると考えて良い。広告代理店も、さらに本気になるだろう。

実際に、どのような投票運動が展開され、どのような問題が生じたか、有権者はきちんと大阪都構想の意義を理解して投票できたか、といった点は、これからの報道や検証を待つ他ないが、それらはやはり憲法改正の国民投票を先取りする景色であり、その縮図でもある。加えて憲法改正の議論の際には、投票年齢が18歳になっているだろう。現状、有権者が政治を理解し、大量情報を取捨選択しながら、的確に選択できているかというと心許ない。

下記のようなエントリを書いたこともある筆者だが、自分が住んでいるエリアの首長選挙はともかくとして、議員選挙になると、積極的な選択ができているかというと自信がなくなってくるというのが正直なところである。

社会に政治を理解し、判断するための総合的な「道具立て」を提供せよ−−文部省『民主主義』を読んで(西田亮介)− Y!ニュース

また判例や前例が少ないだけに、きちんと規制が機能するかも気になるところである。2013年の公選法改正で部分的に解禁になったネット選挙では議論が煮詰まらないままに、解禁論だけが先行した。多大な期待がかけられながら、少なくとも投票結果の傾向に大きな影響を与えているとはいえない。前掲拙著では、その様子を「理念なき解禁」と表現したが、さすがに憲法改正が「理念なき改正」では困る。これらの点は大阪市民以外の日本国民も注視する必要がある。

加えて改めて、どのように政治を理解し、参加を促していくのかという問題が顕在化した。大阪はまだ都市部で、比較的若年世代が多いはずだが、世代別では圧倒的なボリュームと投票率を有する団塊世代の反対が目立った(過去の選挙では、有権者数で倍以上、投票率で1.5倍から2倍近い)。少子高齢化の社会では、人口動態上、今後も避けては通れない問題だが、政治への自明な関心の欠如が、数の少ない、若年世代の政治離れを促進しているということは繰り返し指摘されている。18歳への投票年齢の引き下げが眼前に迫るが、他方、その直接の政治的インパクトの弱さは今回の結果からも類推できる。

「政治を自分事化して投票にいくべきだ」という、投票年齢引き下げより遥か以前から繰り返されてきた規範的な提案は、実効性に乏しく、必然性にも欠ける。終戦や冷戦など、政治に半ば必然的に関心を持つ共通前提は変化した。「なぜ政治を自分事化できないのか」という問いを出発点に、歴史を紐解きながら政治理解と政治参加の導線を改めて考えていく必要がある。この点は、大阪都構想への賛成反対を問わず、そのプロセスを教訓としながら、将来の憲法改正の国民投票に向けて、双方共にポジティブに継承していくことが可能な稀有な論点なのではないだろうか。

(記事中のリンクを見たい方は、 http://japan-indepth.jp をご覧下さい)


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