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.国際  投稿日:2015/6/23

[Ulala]【学術学位と職業学位が並立するフランス】~日本もそれぞれの才能が活かせる社会に~


Ulala(ライター・ブロガー)

「フランス Ulala の視点」

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先日、フランスのある小規模な教育関係のコンフェランスに参加した。講演の内容も充実していてよかったが、その後の討論会での一幕がとても印象に残った。

ある技術高校の教師が体験談を紹介しており、プログラミングに興味を持っている生徒達について語っていたのだが、彼女曰く、その中の生徒の一人の能力があまりの高いことに驚き「どうしてこんな優秀な生徒が技術学校なんかにいるのか?」と思ったというのだ。しかしそう言った瞬間、ある中学校の校長先生が声をあげた。

「当たり前です!頭が悪いから技術高校に行くわけではありません。適正や選ぶ職業によって高校が分かれるだけであって、優秀な子が技術高校にいることは当然ですよ!」一瞬、静まりかえった会場であったが、その後も何事もなかったようにまた次々と質問が続いていく。

確かに、フランスでも学業的に優秀な生徒を称賛すると言う風潮は昔からあり、普通高校はエリートコースの登竜門であるグランドゼコールを目指す生徒も多く比較的成績が優秀な生徒が集まる。それに対して技術高校や商業高校などは成績がそれほどよくないから行くのだと言われがちだ。

しかし1980年代から若者の高い失業率が慢性的に続くフランスでは、「すべての教育が価値あるものである」という基本理念の元、「職業教育の強化」を教育政策の重要な柱のひとつに位置づけてきた。学校の成績がいいと言うのは複数ある才能の一つに過ぎず、他の分野に才能を持っている場合も同様に敬意を示されるべきだというものだ。

なので中学校の校長先生の言いたいことも分かる。高校の違いは適正と希望の結果であり、決して学校の成績で人の価値や優劣をはかった結果ではない。そのように指導すべき教師が、「能力が高い子がどうしてこんな学校に」などと言い出したものだから一言反論したくもなったのだろう。

学校の成績で取れる資格も左右され、資格がないと就職が困難だったフランス。若者の就職率を上げるために、学力と言う一つの基準ではなく、いろんな尺度で評価することで、自信とモチベーションをもって各分野で活躍できるように促す制度が作られた。その一つに「職業学位」というものがある。

理論等を学ぶ“学術教育”と、実際に役に立つ技術を学ぶ“職業教育”を並列に扱い「学術資格と職業資格の共通化」を計っているのだ。各分野で定められた基準の教育を受ければ、学術系ではアカデミック分野の学位、職業系では職業学位と言う資格を手にすることができる。こういった学業、職業の各分野のプロフェッショナル資格の並列化はフランスのみならずフィンランドなど複数国で取り入れられており、若年層の就職率アップに一定の成果をあげている。

一方、日本はそれぞれの適正に合わせた教育が本当に行われているだろうか?
日本もフランス同様に学歴社会だ。それに付け加え、まだまだアカデミック教育に非常に偏っていて、学歴を高めるためには誰も彼も大学を目指すことになる。そのため勉強に才能がある学生が、大学に進学して日本の学術分野を更に発展させる分にはいいのだが、勉強はそこまで得意ではないが、実践力があったり他の分野に才能がある学生まで、とにかく大学に行っている状況ではないだろうか?

日本は2009年には4年制大学進学率が50%を超えるなど、高学歴化した。がしかし、一方で世界ではあまり見られない現象がおきている。「ニート」(若年無業者)の高学歴化だ。フランスなどでは学歴が低いために就職できず「ニート」になる人は多いが、日本の「ニート」の学力は他国と比べて高いと言う。高等な教育を受けて尚且つ仕事に就けない人が多いのだ。

第3次産業が大きな雇用吸収力を持っていた時代には、勉強したことが仕事に結びついてなくても就職に困ることもなかったものの、時代は低成長期に移り雇用吸収力も低下。大卒を必要とする就職先も減少した。その上アカデミックな勉強中心では実践はあまり学べないため、教育と社会のリンクがうまく行かず実社会に適応できない人も出てきた。要するに教育システムが時代にマッチしていないことが原因の一つであることは間違いない。

そういったミスマッチを解消するために、政府は実践的な職業教育や技能訓練を行う高等教育機関として「職業教育学校」を設置する方針を固めた。実践的な実習やインターンが重視され職業に必要なスキルを身につけることができる上「学士」の学位がとれる大学になるようだ。これによって実践に向いている学生が目的を持って勉強することができたり、より身近に社会を感じながら勉強ができることで、救われる学生もいるだろう。

しかしこれだけではまだまだ足りない。学業以外の才能を並列に値する資格で評価する制度をもっと整備できないだろうか。だいたい、無駄に勉強、勉強と言われて育つよりも、自分に自信を持つことを知っている人間の方が大きく飛躍する。日本にはビックリするような才能を持っている人がいるのに、妙に才能の無駄遣いばかりしているも多いように思えてならない。

AO入試のように大学に入る敷居を低くして大学進学者の幅を増やすのではなく、大学はさらなる研究や教育者などの論理を扱う才能ある人に残す方向にして、並列に違う才能を評価する資格を整備する方がいいのではないだろうか?

かけっこ競争でみんな一緒にゴールインでは、親の一部は満足感を得ることができるかもしれないが、結局、子供達は誰も幸福になれない。沢山の種目が優劣なしに並列に存在し、それぞれの適性や才能が生かせる種目の中で競い合い評価される。そういった状況の方が各自のモチベーションも上がり、競い合うことで更にその能力のアップも期待できる。評価される基準が増えれば、認められると言う成功体験を持てる場も増え、「自信」と言う武器を身に着ける若者も増えるのではないか?そんなことをいろいろと考えさせられた午後となったのだ。

 

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