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.国際,.社会  投稿日:2015/7/16

[Ulala] 【“高み”を極めようとしすぎる日本】~過剰なサービスや労働を生む背景とは~


 

Ulala(ライター・ブロガー)

「フランス Ulala の視点」

執筆記事Twitter | Website

フランスでの夏休み中にこんなことが起きた。子供達を連れて友人のフランス人と、木の上のアスレチックと呼ばれるフォレスト・アドベンチャーに行った時の話だ。ニコニコとサービス精神旺盛なインストラクターに相手をしてもらいそれなりに楽しんだ後、あまり見かけなかったインストラクターの方に会計をしてもらった。レジもない森の中。暗算でお釣りを返してくれたのだが、明らかにお釣りが少ない。お釣りを数えて間違っていることを言うと「ああ、間違えたわ」とあっさりとお釣りをくれたが、すみませんの一言もなく「ふん」と行ってしまう。これにはフランス人の友人も憤慨していた。

この状況だけを考えると「人種差別でわざとしたんじゃないか?」と疑心暗鬼になりそうなところだ。もしかしたらそうだったのかもしれない。でも大抵の場合は、そんな複雑な感情のもつれではない。ただ単純に計算ができなかったということで、そして計算ができなかったことの恥ずかしさを隠すため不愛想な態度で終わる人もいるのだ。

日本の生活からでは想像もつかないかもしれない。フランスではお釣りの計算を間違うレジ係によく出会う。こんなことを言うと「何を言っているの。私の知っているフランス人は頭がいいわよ」と言う人もでてくるだろうが、もちろん高等教育を十分に受けている人は頭脳明晰だ。日本人はフランスでもハイソサエティーな階級の人と付き合うことも多く、比較的知的なフランス人に囲まれていることも多いだろう。

しかしだいたいフランスというのは人によって落差が大きい。ある友人とは高度な知識の会話ができたかと思えば、違う友人に「7×3/7なんて簡単な分数の問題なのに息子の中学のクラスの2/3が解けなかった」と愚痴っても「・・・・私もその問題、答えられないわ」などと言われる世界なのだ。

そして人々はこう言う。「上質な対応をしてもらいたいなら、もっと高級な店に行け。ホテルでもそれ相応の値段のホテルに泊まるべきだし、飛行機も安売りの飛行機に乗るな」日本では当たり前のように受けることができたクオリティー高いサービスは、フランスに来れば十分な教育を受けた結果であり、その技術に対してお金を払うべき対象なのだ。

日本の義務教育は良質だ。授業数も多く、全体の学力を上げることに成功をしている。経済協力開発機構(OECD)が2012年に実施した「国際成人力調査」では数学的思考力の習熟度レベル別の成人分布で、500点満点中275点以下の割合が日本は36.3%だった。それに対して、フランスはなんと61.8%だったのだ。テストに出された問題はほんとに単純な計算問題だ。そういった問題に回答できない人の割合が多いと言う事は、単純な計算がスムーズにできない人に遭遇する確率も高いと言うことだろうと納得できる。しかしだからと言ってフランス人は頭が悪いと言いたいのではない。日本の義務教育の水準が高く、最低レベルと言われるレベルがすでに高いのだ。

この最低レベルの水準の高さはいろんなところに現れる。時間に正確な交通機関。送れば荷物がちゃんと届く郵便や宅配システム。お客様は神様で居られる丁寧な対応。日本で当たり前だと思われていることは、世界中で体験できるわけではない。雇用者がお尻を叩けばすぐできることでもなく、元々従事している人の質が揃っているからこそ実現できることなのだ。

そんな良質な生活が当たり前と思って幸せに生きて来た日本人が、フランスに来ると整然としないシステムに戸惑い、嫌な経験と感じることも多いかもしれない。でもそこで本当に理解するべきことは、世界と日本ではそのぐらい違うということでもある。日本のシステムの高度さについては堂々と胸を張っていいということだ。

だが反対に、水準が高さを追求できる日本では高みを極めすぎるきらいがある。その結果、過度な労働という悪循環に陥ったり、過剰過ぎるサービスは逆にそこまでしなくていいのにとウンザリさせられることもある。すでに世界に比べて基本の質が高い日本。「おもてなし」で日本の質の高さをアピールするのはいいが、やり過ぎは決して必要ではない。何事も適度にすることも重要なことではないだろうか。

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