[山内昌之]【イランのウィーン最終合意は「歴史的第一歩」か】~数年後、秘密核開発が露見する可能性大~
山内昌之(東京大学名誉教授、明治大学特任教授)
7月15日にウィーンでいわゆるP5(国連安保理常任理事国)+1(ドイツ)、またはEU3+3と、イランとの間にウラン濃縮の中止に関わる最終合意が成立した。正しくは、包括的共同行動計画(Joint Comprehensive Plan of Action JCPOA)と呼ばれるものだ。
イランの核開発計画の減速(遠心分離機の3分の2の縮減、保有濃縮ウランの98%削減、核の高度研究の10-15年間制限)によって、イランの核兵器生産の可能性を現在の2か月から1年に引き延ばしたことになる。この代償として、イランの約束履行がスムーズに進めば、年内にもおよそ1500億ドル以上の海外資産の凍結が解除されるはずである。
しかし、最終合意の意味については、真っ向から異なる評価が出ている。
まず肯定的評価である。
JCPOAはイランの核問題に関する唯一の現実的な外交解決として評価する声がある。これまでの米国の封じ込め政策は成功せず、むしろ逆効果だったというのだ。イスラエルやサウジアラビアのようなウラン濃縮の中止(ゼロ濃縮)や核関連施設の全面閉鎖は、決して現実的なオプションではなかった。しかも、軍事的オプションは、イランの核兵器所有を2.3年遅らせるだけにすぎず、イスラエルや米国で巷間言われるほどの実効性に乏しい。
制裁解除でイランの石油輸出は半年で倍増し、今後5年間の経済成長は年平均8%になるとハメネイ最高指導者は見ている。イランのGDPは10年間にサウジやトルコを抜くと考える者さえ現れている。これによって、体制の開放と市民の親米欧感情の増進が促進されるかもしれない。しかし、イランの市民たちは核保有反対ではない。JCPOAで6000基の遠心分離器の保有が認められ、地下の核兵器開発工場が「研究所」として維持が認められたのは、イランが1年で広島型原爆の開発することを事実上黙認されたという解釈も成り立ちうる。
次は否定的評価である。
JCPOAは米国やEUとの関係を正常化するにせよ、イスラエルやGCC諸国とくにサウジアラビアとの関係はますます厄介となる。インド、パキスタン、イスラエルのような保有国とは次元も違うが、ともかくイランが「核敷居国」(nuclear threshold states)となる特殊な地位は事実上認められたのである。しかし、イランの人権問題やアラブ世界への干渉政策はそのままに放置されている。ハメネイは、JCPOAがイランの全体政策を変えるものでなく、核問題だけに限定されると明言している。「多様なグローバルまたは地域的な問題については米国と交渉せず」「二国間関係については交渉しない」というのがハメネイの立場に他ならない。
また彼は、パレスチナやイエメンの「人民」、シリアとイラクの「政府」、バーレーンの「抑圧された人民」、レバノンとパレスチナの「抵抗の戦士」への援助継続を確言した。サウジアラビアやイスラエルは、イランの制裁解除でその同盟者や代理人(「テロリスト」)に活動資金が渡ると危険視している。日本としては、北朝鮮との6ケ国協議(8年間開催されず)に悪影響が出ることも懸念材料である。
最後は、中間的評価である。
JCPOAによって、すぐではないにせよ米イラン間のデタントに発展する可能性も全面的には排除できない。冷戦期のようにイスラエルとサウジアラビアを同盟国として絶対視する旧思考から米国が脱出するかもしれない。オバマによるキューバ、ミャンマー、イランという「敵対国家」との関係再構築の意味は、米国のグローバル戦略の大きな修正であり、地政学上の大きな変化をもたらす。
しかし、7月14日のオバマ声明でイランの核兵器秘密開発が露見した場合は、制裁が再適用され、「軍事行動」のオプションも残ると確言している。イランとイスラエル・サウジアラビアとの対決、スンナ派アラブ諸国へのイラン革命防衛隊(ガッサム・ソレイマニ)の軍事干渉の増大とISとの対決に、米欧はどう関わるのか、離脱して「なすがままにするのか」、傍観するだけなのか、ポストJCPOAの時期には、別種類の緊張が生まれるだろう。いずれにせよ、ロシアによる武器禁輸解除提案が拒否されたのは正しい。
この中間的評価がまずバランスのとれた見方であろうが、そこで大事なのは、中東における地域協力の枠組み作りの可否である。イランは地域大国なのに、トルコにもまして、イスラエルとアラブ地域大国による中東和平プロセスから排除されてきた。確かに、ハマスやヒズブッラへの軍事援助や核開発は、イスラエルの脅威であったが、JCPOAはイスラエルにパレスチナ人との平和プロセスに焦点をあてる時間的余裕を与えている。イスラエルはイランの脅威を口実に和平実現に不熱心な現状と周辺への過剰防衛的な思考を払拭すべきだろう。
イランと米欧との通商経済関係は活発化するが、同時にもともと強かった日本とイランとの取引きも復活するだろう。JCPOAの成果と意義の強化を経済基盤から支える必要もあるかもしれない。しかし、日本の政治外交にとって、イランの「封じ込め」を完全に解除できない国際環境においても、ホルムズ海峡封鎖のような有事・重大事態がJCPOAによってひとまず回避されたのは望ましく、これからも有事を避ける外交的努力が必要となる。
イランは、最初の1~2年はIAEAの査察を受け入れる。しかし、そのうちにIAEAの査察担当者には、北朝鮮の時のような疲労感とマンネリズムが必ず現れる。イランは、その隙を衝いて、北朝鮮の経験を忠実に学びながらウランの高濃度濃縮をほぼ確実に再開するだろう。そこにはイラン国内の穏健派対急進派というほぼ永久の対立関係も必ず絡んでくる。しかし厄介なのは、イランでは革命防衛隊などの軍人や保守派だけでなく、改革派やリベラルも、核兵器を保有し大国になることに反対する者はいないことだ。数年後にイランの秘密核開発が露見する可能性が大である。万一そうなると、イランへの再制裁が及び腰ながらも発動される。日本企業によるイラン相手のビジネスには、再制裁リスクの回避と必要な退場のタイミングを常に配慮するという難しいかじ取りが迫られる。