[林信吾]【「移民と共生できる日本」の未来像を描け】~ヨーロッパの移民・難民事情 その14~
林信吾(作家・ジャーナリスト)
「林信吾の西方見聞録」
さて、本シリーズもひとまず今回まで、ということになった。ヨーロッパの移民・難民事情というテーマは、今後も繰り返し関心の的になるであろうし、2010年代後半に話を限っても、大きな動きがいつ何時あるか分からない。したがって「ひとまず」ということになるのだが。
2015年暮れの時点で、ヨーロッパが移民・難民問題とどのように取り組んできたか、日本はそこからなにを学ぶべきか、私なりの考えを開陳させていただき、ひとまずの区切りとしたい。
まず、大前提として認識しなければいけないことは、日本は資源に恵まれない島国で、しかも現在、それ自体が脅威となるまでに少子高齢化が進行している。そのような日本が、21世紀以降も生き残って行くためには、日本に住んで働きたいとか、日本文化が好きだという理由で海外からやってくる人々に対して、寛大な社会を築く一方で、高い教育水準を維持して行かなければならない。ただ、それはもっぱら移民の話で、現在直下の難民の問題とは、区別して語られなければならない、ということも、また事実である。
安倍首相が、移民と難民の問題を混同した演説を行った際、私は特別編を書かせて欲しい、と編集部に直訴までして批判したのだが(10月5日号参照)、その後に起きたパリでの事件、なかんづく犯人の中に難民を装ったテロリストが含まれていたとの報道の結果、ヒューマニズムの立場から難民の受け入れ拡大を訴えても、多くの読者を説得するのが困難となってしまったことも、遺憾ながら事実として認めなければならない。ヨーロッパ諸国もここへ来て、難民の受け入れ拡大に対しては、世論もブレーキをかけつつある。
したがって、今後「日本の移民・難民事情」を考えるには、ヨーロッパの経験を参考にしつつ、議論を腑分けし、国情にあった政策を模索して行かねばならないだろう。
ここで念のため述べておくが、国情と言っても、私は「日本は単一民族国家」などという迷信にとりつかれてはいない。わが林家の遠祖は、戦国時代末期に明国からやってきた、世に言う帰化人であるらしい。つまり私は、在日30世くらいになるかも知れないのだ。
逆に「純粋の日本人」を名乗る人たちでも、江戸時代以前まで家系がさかのぼれる人など滅多にいないから(家系が本物かどうかなど、この際は問題外)、私の方がずっと「由緒正しい日本人」ではないか。江戸時代には越中富山藩から高禄をいただいた武士の家系でもある。ネット右翼ども、頭が高い(笑)。いや、冗談抜きに、今や天皇家でさえ朝鮮半島との血縁を否定していないと言うのに、在日を追い出せとか、一体なにを考えているのか。
わが祖先は越中富山に定住したが、越前(福井)、越後(新潟)と、北陸地方の地名に越の字がつくのは、一帯が「海を越えてきた人」が多く済む地域だと、古代より認識されてきたからだと聞く。事実において、日本は単一民族国家ではない。移民と難民の問題を腑分けしなければいけない、という議論は、ここにつながってくる。
現在直下の問題として、難民認定のハードルが高くなるのは、やむを得ないだろう。治安維持は、政府の一番大事な仕事のひとつである。しかしながら移民に関しては、歴史的には特別な現象ではないのだ、という認識を取り戻すことが出発点となる。いや、そうあらねばならない。
だからこそ、政府が昨今考えているような、介護職など人手不足が深刻な職種に限って、外国人の就労を拡大しようという政策には、反対せざるを得ない。介護の仕事をあまり安直に考えるのも感心しないし、もっとよくないのは、この政策は日本人介護士に対する、賃金抑制圧力になるからだ。
本シリーズで繰り返し述べてきたことだが、ヨーロッパ諸国における移民の問題とは、若年労働力の不足を移民に頼って解決しようとした結果、移民が労働者階級に対する賃金抑制圧力として作用し、反発を招き、排外主義につながってきた。
その轍を踏まぬよう、まずは研究者や留学生に、補助金を出してでも門戸を拡大し、彼らがその学識経験を日本社会にフォードバックできるような環境を整えることから始めたい。語学教師はネイティブと競争するくらいの厳しさが要求されてよいと思う。
リストラされた熟年日本人と、母国に仕送りすることしか考えていない外国人とが、単純作業の職を奪い合う図とは対極にある社会。そこに「移民と共存できる日本」の未来像を、私は描きたいのである。