[瀬尾温知]【五郎丸選手が教えてくれたこと】~歴史的勝利に導いた準備と自主性、そして信念~
瀬尾温知(スポーツライター)
「瀬尾温知のMais um・マイズゥン」(ポルトガル語でOne moreという意味)
五郎丸歩選手は、ワールドカップ第3戦のサモア戦が、日本のラグビー界にとって、最も大事な試合だったと振り返っている。日本のラグビーが、国民に初めて期待されて臨む試合だったからと、その理由を語っている。新たな歴史をつくった初戦の南アフリカ戦の勝利をハイライトとする見方が多い中、五郎丸選手は、歴史的勝利のあとに訪れたサモア戦が、日本時間の未明ではなく夜10時半という高視聴率を望める時間帯だったことが心中にあり、日本のラグビー界の今後に大きく影響を及ぼす試合になると考えていたのである。東京・日本橋三越本店で開催の2015年報道写真展には、五郎丸選手がキックする前に行うポーズも当然、飾られていた。このルーティンは、大観衆の前でも普段通りにキックするためのもの。大学1年だった五郎丸選手は、ワールドカップ通算最多得点の記録を持ち、イングランドの名選手だったジョニー・ウィルキンソンが来日したときに見せたそのキックを見習って取り入れた。練習で培った力を、ワールドカップという大舞台でも発揮できるようにするための備えだった。
試合前の国歌斉唱のあとには、感傷的になることが前もってわかっていたので、チームの仲間に声をかけてもらい、肩を叩いてくれるようにも事前に頼んでいたという。冷静さを取り戻すために、随所にそれらの準備をしていた。あらゆることを想定し、すべてに対応できるように考えて準備をする。スポーツには頭脳が大切な要素だと改めて気づかせてくれたことは、サッカーなど他のスポーツ界に与える功績となっていくだろう。
歴史をつくったもう一つの要因は自主性だった。南アフリカ戦での決勝のトライは、ヘッドコーチ、エディー・ジョーンズのキックの指示を無視して、選手達が自主的にスクラムを選択したことから生まれたものだった。最終的に判断したキャプテンのリーチ・マイケルは、決断に迷いはなかったとのちに語っている。試合当日の朝、「ペナルティでの判断は自分の思った通りにすればいい」とエディーに声をかけてもらっていた。キックを選択して決まれば同点で引き分けになる場面で、選手全員が「勝って歴史をつくる」と思いが一致団結していた。報道写真展に飾られたゴールを見やる五郎丸選手の写真は、2015年に刻まれたワンシーンに過ぎないが、ラグビー界の発展の布石となるビッグモーメントを写し出していた。
そのラグビー界の未来に関わる人事発表が年の瀬の19日にあった。2016年2月に開幕するラグビーの世界最高峰のリーグ「スーパーラグビー」に初参戦する日本チーム、「サンウルブズ」のヘッドコーチに、元ニュージーランド代表のマーク・ハメットが就任することが決定。さらに、まだ正式発表はないが、日本代表の次期ヘッドコーチには、今年のスーパーラグビーでハイランダーズ(ニュージーランド)を優勝に導いたジェイミー・ジョセフが就任するとの報道がニュージーランドであった。
ワールドカップ後に退任したエディーは、「2016、17年に関しては、チームの再生を得意とするコーチを選ぶこと」と助言を残していた。就任が濃厚のジョセフは、低迷していたチームを再生させて優勝させた実績があり、日本代表でもプレー経験がある。2019年に日本で開催するワールドカップ、さらにその先の高みに向けて、現在の盛り上がりを継承してくれることに期待したい。
歴史的勝利に結びついた準備と自主性、それに歴史をつくるという強い信念は、他のスポーツ界にも自信を与えた日本スポーツ界の今年最大の出来事だった。いざという時のための準備は、日々の積み重ねからなるもので、詮ずるところ毎日が勝負になる。書籍や資料の数々に囲まれながら一向に読破せず、原稿とにらめっこしてペンをくるくる回すルーティンばかりでは、目標にトライを決める前に日は暮れてしまう。それは冬至でなくても言えることである。
©︎瀬尾温知