「アラブの春」からシリア戦争に~5年目の春 その2~
山内昌之(東京大学名誉教授・明治大学特任教授)
2015年10月30日と11月14日に開かれたシリア問題に関するウィーン会議は、それぞれロシアのシリア空爆開始とパリの大テロに触発されていた。オバマにとって主要な関心は、いかにしてISを殲滅させるかに移り、アサド体制の消滅によるシリア民主化の理想は色褪せてきたのだ。もはやアラブの春をプラハの春と並べて讃えた米欧のこだわりも失われたかのようである。
2015年11月のウィーン会議において、2017年に終わる気長なロードマップを作り上げた後、アメリカのケリー国務長官はロシアのラヴロフ外相を12月中旬にニューヨークへ招き、国連安保理のシリア問題決議案に大幅にロシアの原案を取り入れることに同意した。もちろんケリーの考えは、アメリカの古い中東同盟国たるサウジアラビアとトルコから強い反発を買った。
こうして、 国連安保理決議2254は、シリア問題の外交協議に新たなはずみを与えたにせよ、シリアの反政府勢力が達成した成果を台無しにしかねない妥協であった。アサドのいる暫定政府なのか、アサドのいない暫定政府なのか。12月8日から9日にかけてシリア国民連合は、2つの強力なイスラーム武装勢力、アフラール・アル・シャームやイスラーム軍を、ジュネーヴ3に臨む反政府側の交渉委員会に参加させ、人権の尊重と民主化原理に同意させたものだった。しかし、米欧やロシアは、アサド政権との戦いに参加して戦死したシリア人民に背を向ける点では一致しているのだ。
米欧は、核合意や経済制裁解除によるイラン市場への進出を期待するあまり、反政府勢力の範囲や人物を特定するイランの恣意にも沈黙を守る有様である。イランのいう反政府勢力とは、その実アサド陣営に属するか誼を通じる団体が多い。アサドは本来ならシリア戦争の戦犯のはずなのに、自分と和平交渉させる自作自演の和平ゲームの主役になろうとしているのだ。
アサド最大の政治責任は、市民の虐殺に加えて、国家の存続さえ危うくし、国民から難民を多数出した点にある。18世紀のフランス革命、20世紀のロシア革命と並んで、21世紀のチュニジアに始まりシリアなどアラブ世界で進行した「大アラブ革命」の余波に共通するのは、終結の予測が難しいことだけでなかった。むしろ、誰もが予想できない大テロと戦争を生んだ点こそ歴史に特筆すべきことなのだ。
ナポレオンやスターリンと比較するには、アサドはあまりにも器が小さすぎる。しかし、シリアが一角を占める中東複合危機の深刻さと、それがローマ法王フランシスコのいう「まとまりのない第三次世界大戦」に発展する危険性のキーパーソンの一人は、アサドなのである。
(この原稿を書いている時、2016年2月7日に北朝鮮が長距離ミサイルを発射した。それを見るにつけて、「まとまりのない第三次世界大戦」への道を、金正恩やアサドのように政治リアリズムを無視する政治家が開けている事実にただ驚くばかりである。)
(この記事は 「アラブの春」からシリア戦争に~5年目の春 その1~ の続きです。全2回)
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この記事を書いた人
山内昌之東京大学名誉教授、明治大学特任教授
1947年生まれ、北海道出身。歴史学者。専攻は中東・イスラーム地域研究、および国際関係史。北海道大学卒業、東京大学学術博士。カイロ大学客員助教授、東京大学教養学部助教授、トルコ歴史協会研究員、ハーバード大学客員研究員、政策研究大学院大学客員教授、東京大学中東地域センター長などを経て、東京大学教授を2012年に退官。フジテレビジョン特任顧問、三菱商事顧問も務める。著書に『スルタンガリエフの夢』(東京大学出版会)、『ラディカル・ヒストリー』(中央公論社)、『中東国際関係史研究』(岩波書店)、『