日産、三菱自を買収す その2
遠藤功治(アドバンストリサーチジャパン マネージングディレクター)
「遠藤功治のオートモーティブ・フォーカス」
2. 日産・三菱自、実は似たもの同士
そもそもこの日産自動車と三菱自動車、共通点は実に多いし、歴史的に経営危機を乗り越えてきた境遇にも共通点がある。現在の社長が送られた経緯が同じで、日産は経営危機に際し、ルノーが送ったゴーン社長、三菱自もやはり、経営危機に直面し、三菱商事から送られた益子社長で、共にリストラ執行人とも言える。
日産はトヨタと並び、一時期は国内自動車業界の双璧であったが、1960年代から組合と経営陣の対立、銀行による支配、売れ筋商品の欠落、米国金融事業での大損、海外生産展開での失敗、系列部品メーカーの高コスト対立、国内販社の弱体化など多くの問題を抱え、長期に渡りシェア・収益が低迷、結局2兆円の有利子負債で倒産寸前、ダイムラーとの交渉もうまくいかず、最後の最後でルノー、及びフランス政府に資金を出してもらい、ゴーン社長率いる“日産リバイバルプラン(NRP)”で助けてもらったという歴史がある。
三菱自も、数回のリコール隠し・米国セクハラ事件・米国や豪州、オランダにおける海外事業の失敗、新商品開発の遅れ、巨額の債務などで、一時期はダイムラーと資本提携、社長初め経営幹部も多くドイツから派遣されたが、結局はこれがうまくいかず、三菱グループ総出のレスキュープランで優先株による財務リストラに着手、三菱商事に社長を送り込んでもらい、海外工場の閉鎖など数々のリストラを断行、三菱版のNRPとも言える、“三菱自動車再生計画”により近年ようやく蘇った。
日産自動車とは、元々“日本産業”の略で、鮎川義介が日産コンツェレンを創立、第2次大戦中は日産重工と名前を変えていた時期もある芙蓉グループの財閥企業である。三菱自も言わずと知れた日本の大財閥、三菱重工から分かれた自動車メーカーである。また日産は過去に日産ディーゼル、三菱自もトラック部門を合わせ持っていたが、日産ディーゼルはボルボ傘下のUDトラックへ、三菱自のトラック部門は三菱ふそうとして、現在はダイムラー傘下となっている。
今回の不正で、三菱自はその閉鎖的な体質、特に技術陣における意思疎通の悪さやリコール事件以降、実は改革が進んでいなかったと言われる体質が批判の対象になったが、これは以前の日産も同様で、ルノーとの提携前、収益が低迷していた時には、銀座の通産省などと揶揄され、技術陣中心に非常にプライドが高く閉鎖的、部門間交流が無く、風通しの悪い組織であったと言われる。
つまり、共に江戸末期から明治初期に創業された大財閥企業を基とし、第2時大戦で解体されその後復活、共に技術陣中心にプライドが高く、社内での風通しが悪い閉鎖的組織が災い、経営危機に直面し外資と提携、日産は成功したが三菱自は失敗、ただその後は共に大規模リストラの成功で収益回復。この2社が今回提携する訳である。
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この記事を書いた人
遠藤功治株式会社SBI証券 投資調査部 専任部長兼シニアリサーチフェロー
1984年に野村證券入社、以来、SGウォーバーグ、リーマンブラザーズ、シュローダー、クレディスイスと、欧米系の外資系投資銀行にて活躍、証券アナリスト歴は通算32年に上る。うち、約27年間が、自動車・自動車部品業界、3年間が電機・電子部品業界の業界・企業分析に携わる。 その間、日経アナリストランキングやInstitutional Investors ランキングでは、常に上位に位置(2000年日経アナリストランキング自動車部門第1位)。その豊富な業界知識と語学力を生かし、金融業界のみならず、テレビや新聞・雑誌を中心に、数々のマスコミ・報道番組にも登場、主に自動車業界の現状分析につき、解説を披露している。また、“トップアナリストの業界分析”(日本経済新聞社、共著)など、出版本も多数。日系の主要な自動車会社・部品会社に招かれてのセミナーや勉強会等、講義の機会も多数に上る。最近では、日本経団連や外国特派員協会での講演(東京他)、国連・ILOでの講演(ジュネーブ)や、ダボス夏季会議での基調講演などがあり、海外の自動車・自動車部品メーカー、また、大学・研究機関・国連関係の知己も多い。2016年7月より、株式会社SBI証券に移籍、引き続き自動車・自動車部品関係を担当すると供に、新素材、自動運転(ADAS)、人口知能(AI)、ロボット分野のリサーチにも注力している。
東京出身、58歳