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スポーツ  投稿日:2016/5/20

現実から距離を取れ 逃げる自由


為末大(スポーツコメンテーター・(株)R.project取締役)

新しい本のタイトルは”逃げる自由”になった。前回が”諦める”だから、どんだけネガティブなんだと言われそうだが、それなりにこのタイトルにした理由がある。

人生は問題が山積みだ。スポーツの現場でも、引退して社会に出てからも問題に追い回されて時間がない、そういった声をよく聞く。確かに問題は山積みに見えるし、どこまでやっても解決するとも思えないほど大変だ。みんな必死で問題を解決すべく奔走しているにも関わらず問題はなかなか解決されない。

一方で落ち着いてみると、問題の解決の前に、その問題は本当に解決すべきものなのかをよく考える必要がある。こういう社会が望ましい、こんな人生を歩むべきだ、人はこうあるべきだ、がないと問題が存在しない。問題が問題として存在するためには、それを問題だと感じる価値観が必要になる。ところが、よく考えてみるとその価値観が本当に自分のうちから出てきた価値観かというとそれがあやしい。

人とは必ず仲良くしないといけないという価値観を持った人がいる。職場に厄介な性格の人がやってきた。みんな腫れ物を触るようにしているのが気になって、ちゃんと話せば分かり合えるはずとその人と一生懸命向き合おうとする。ところが、その人といくら話してもわかりあえないどころか、急に自分の悪口を周囲に漏らし始めた。やればやるほどドツボにはまる。一体自分が何をしたんだと怒りがこみ上げてくる。

問題を解決するコトは素晴らしい。厄介な性格の人が集団に入ると確かに問題を起こすコトも多い。映画や、漫画の中では、正義感の強い主人公がそういう人と本気でぶつかり合いついに分かり合って仲間になるという描写も多い。ところが、人生でそれがうまくいくコトもあるが、なかなかない。そして映画と違うのは、自分の人生の時間と能力には限りがあるというコトだ。

真面目な人は本当にそれは問題なのかを考える前ですら、すぐ解決に取り組んでしまう。または問題があるにも関わらず取り組んでいない自分を責めるようになる。そうして問題をいかに解決するかの為に毎日が埋め尽くされ、気がついたら自分が多くを背負ってしまっている。自分らしさ、あるべき社会。どんどん加速して”あるべき自分像と社会像”が、自分の中でも、他者の中でも確立されていく。そしてその姿にがんじがらめにされて、自由が制限されていく。

極論すれば逃げてもどうせ逃げ切れない。なにしろどこまでいっても自分は自分の人生を生きるしかないのだ。だったら、私は問題に出くわしてこんがらがってきた時、そこから一旦逃げて距離をおき、冷静に眺めるコトが必要だと思う。スポーツのスランプにおいて、本当の問題は実力の低下ではない。もうおしまいだという考えから自分が抜けられなくなるコトだ。そして、抜けられなくなるのは、目標のない選手ではない。”絶対にうまくやらなければならない”と思っている人ほど、うまくいかなかった時に、過剰に焦り過剰にはまる。どうでもいいものには人はそれほど追い込まれない。

逃げる自由という本で伝えたかったことは、現実との距離の取り方だ。そのために逃げるコトが必要なのだと思う。大丈夫いくら逃げても、どうせ自分からは逃げ切れない。逆に逃げてみたからこそ、一体自分が何に縛られていたかに気づくコトがあると思うのだ。

 

 


この記事を書いた人
為末大スポーツコメンテーター・(株)R.project取締役

1978年5月3日、広島県生まれ。『侍ハードラー』の異名で知られ、未だに破られていない男子400mハードルの日本 記録保持者2005年ヘルシンキ世界選手権で初めて日本人が世界大会トラック種目 で2度メダルを獲得するという快挙を達成。オリンピックはシドニー、アテネ、北京の3 大会に出場。2010年、アスリートの社会的自立を支援する「一般社団法人アスリート・ソサエティ」 を設立。現在、代表理事を務めている。さらに、2011年、地元広島で自身のランニン グクラブ「CHASKI(チャスキ)」を立ち上げ、子どもたちに運動と学習能力をアップす る陸上教室も開催している。また、東日本大震災発生直後、自身の公式サイトを通じ て「TEAM JAPAN」を立ち上げ、競技の枠を超えた多くのアスリートに参加を呼びか けるなど、幅広く活動している。 今後は「スポーツを通じて社会に貢献したい」と次なる目標に向かってスタートを切る。

為末大

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