柔道交流は米「トモダチ作戦」へのお礼
古森義久(ジャーナリスト・国際教養大学 客員教授)
「古森義久の内外透視」
首都ワシントン近郊のアメリカ海軍士官学校で日本柔道のトップクラスの現役選手が3週間近く同校柔道部の学生たちをみっちりと指導した。日米友好とともに、とくに東日本大震災での米軍の救援活動「トモダチ作戦」へのお礼だともいう。
東海大学柔道部OBの熊代佑輔選手が8月末から首都から40キロほどのメリーランド州アナポリス市にある海軍士官学校で指導を始めた。熊代選手といえば全日本の選抜体重別大会や各種国際大会の100キロ級で優勝してきた一流柔道家で、東海大学柔道部助監督でもあるが、なお現役での活躍を続けている。今回の派遣は柔道国際普及団体「柔道教育ソリダリティー」(山下泰裕理事長)によって実施された。
海軍士官学校と柔道教育ソリダリティーとの交流は2010年に同じ東海大学出身の元世界チャンピオンの井上康生氏の来訪から本格的に始まった。翌2011年からは「トモダチ作戦へのお礼」の意味をもこめるとして毎年、続けられてきた。
2011年3月11日の東日本大震災ではアメリカは海軍部隊を中心に大規模な災害救援活動「トモダチ作戦」を実施した。日本側だけでは苦労した仙台空港の緊急復旧など被災地のあちこちで米軍部隊でしかできない救済活動を多彩に繰り広げた。
アメリカの海軍士官学校は4年制で、卒業生たちは海軍か海兵隊の将校として任官する。トモダチ作戦にも多数の海軍士官学校卒業生が加わった。このため柔道教育ソリダリティーでは2011年以降は海軍士官学校での柔道指導に「トモダチ作戦へのお礼」の意味をこめるようになった。
その後、海軍士官学校の柔道部は柔道教育ソリダリティーから塚田真希、大川康隆、片渕一真、藤井岳、奥村達郎などという大学柔道や全日本での一線級の選手たちをそれぞれ数週間ずつ迎えて、指導や稽古を受けてきた。
今回の熊代選手の来訪では柔道部員の男女の士官候補学生たち20人ほどが集まり、挨拶を交わしてから、まずは熊代選手に順番に練習試合を挑んだ。屈強な学生たちが元気よく同選手に取り組んで、勢いよく攻撃をかけるが、同選手は内股、大外刈と、豪快な技で次々に投げていく。その技量に学生たちは歓声をあげる。最初の5人が終わると、なかの数人が「もう一度」と再挑戦を求めて、熊代選手に立ち向かっていく意欲をみせた。
2日目からは熊代選手は技の基本や練習の効率的な方法を示し、自由練習の乱取りをも重ねていった。その後も寝技の戦い方や試合の進め方、組手の扱い方など実地に示すと、将来は米軍士官になる男女たちは目を輝かせ、体を果敢に動かして、熱中していった。3週間近くの指導の最後の日、熊代選手はまた部員全員との練習試合をしたが、学生たちの進歩は初日とくらべて歴然としていた。
この最後の日の練習試合では海軍士官学校の教授で柔道部長のトム・テデッソ中佐までが自ら進んで茶帯を締めて参加し、熊代選手に挑戦した。果敢に攻撃したが、結果は熊代選手が技あり二つの合わせ技での勝ちに終わった。テデッソ中佐は「学生たちはとにかく実践主義なので日本の現役の一流選手の強さ、上手さの水準をすぐ認識して、魅せられ、夢中で練習に励みました。日本からの指導者の来訪はこの大学の柔道には非常に貴重です」と喜んでいた。
熊代選手はワシントン地区での3週間近くの滞在中、首都の「ジョージタウン大学・ワシントン柔道クラブ」にも通って指導や練習を続けた。熊代選手は「アメリカ側の人たちが私どもの柔道の技術や精神を吸収しようとする熱意を実感し、この種の日米交流の意義をも強く感じました」と話していた。
日本側ではいま日本からの対外発信の重要性が改めて論じられる。その流れのなかで、この日米柔道交流は文字どおり両国民が草の根レベルで密着する日本側からの発信としてその価値を広く認められるべきだろう。
*トップ写真:集合写真。米海軍士官学校の柔道部で指導を終えて学生たちと
並ぶ熊代佑輔選手(中央前列)©古森義久
*文中写真2枚目:米海軍士官学校柔道部©古森義久
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この記事を書いた人
古森義久ジャーナリスト/麗澤大学特別教授
産経新聞ワシントン駐在客員特派員、麗澤大学特別教授。1963年慶應大学卒、ワシントン大学留学、毎日新聞社会部、政治部、ベトナム、ワシントン両特派員、米国カーネギー国際平和財団上級研究員、産経新聞中国総局長、ワシントン支局長などを歴任。ベトナム報道でボーン国際記者賞、ライシャワー核持込発言報道で日本新聞協会賞、日米関係など報道で日本記者クラブ賞、著書「ベトナム報道1300日」で講談社ノンフィクション賞をそれぞれ受賞。著書は「ODA幻想」「韓国の奈落」「米中激突と日本の針路」「新型コロナウイルスが世界を滅ぼす」など多数。