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IT/メディア  投稿日:2013/10/3

「風立ちぬ」の恋愛描写とジェンダー


渡辺真由子(メディアジャーナリスト)

執筆記事WebsiteTwitterFacebook

宮崎駿監督による最後の長編となったジブリ映画「風立ちぬ」。
この作品を封切直後に鑑賞した私は、ツイッター で感想を述べた。

「風立ちぬ」鑑賞。何じゃこりゃ、という終わり方。病身の妻を手元に置きたい、という自らのエゴに対する主人公の苦悩は描き切れず。妻が「夢を追う夫」の ために自己を犠牲にする姿は「美徳」として描かれている。宮崎アニメの少女作品はジェンダーに偏りがあるが、男性を主人公に据えてもこうなるのか

[*以下、ネタばれ注意*]

私が違和感を覚えたのは、二郎と菜穂子の恋愛の描かれ方に見るジェンダーである。
まずは、菜穂子という女性像への違和感。
少女時代は知的で活発で、これまでの宮崎アニメに頻出したようなイキイキした女の子が、大人の女性に成長すると突然弱々しく夫に依存する性格に変わっていることも気になる(病気であることを考慮しても)が、それより注目すべきは、やはりあの場面だろう。

そう、菜穂子が結核による死期を予感して、二郎の元を去る場面である。
「ネコかよ!」と突っ込みたくなる行動である。
自分の衰える姿を夫には見せたくない、という思いがあったのだろう。
なぜ、本来最も心の支えであるべき夫に、その姿を見せられないのか

おそらく菜穂子は、「美しいもの」を偏愛する二郎には自分を受け止められないと「見限った」のではないだろうか。

だが、その心情に二郎への恨みは表現されず、夫に迷惑をかけまいとする慈愛の精神だけが伝わってくる。

そんな菜穂子を、二郎は追いかけもしない。
そしてラストシーン。
ゼロ戦の設計に成功した二郎に、菜穂子が空から「あなた、生きて」と呼びかける。
どこまでも甲斐甲斐しい「聖母像」である。
これに対して二郎が答えたのは「ありがとう」。
妻の余命を短くした可能性への謝罪じゃないんですねえ。
どこまでもエゴイスティックな「夢追う男像」である。
もっとも、宮崎駿監督が企画書で述べているように 、この映画はそもそもが「夢追う男の狂気」を描こうとしたもの。
よって、上記のような指摘は織り込み済みかもしれない。
二郎役の声優による超絶な棒読みっぷりも、彼の「非人間性」を浮き立たせる狙いがあったのであれば成功だ。
さすが宮崎監督、客観的に問題提起しているんですね!

……と納得しかけた私の思いを覆したのが結末の一言。

前述のラストシーンで、二郎が菜穂子に「ありがとう」と答えた直後、画面に大きくテロップが入る。

「堀越二郎と堀辰雄に敬意を込めて。」

ええっ!?
そこで敬意を表すべき相手は、命を削って夫の夢に尽くした菜穂子ではないのか?
結局、監督にとっても菜穂子の献身など大したことではなかったのね……。
つまりこの映画は、宮崎監督が「男のロマン」に自己陶酔した作品と受け止めざるを得ないのであった。
そういえば、ご自分の作品を見て初めて泣かれたんでしたっけ。

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【プロフィール】

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渡辺真由子(わたなべ・まゆこ)

メディアジャーナリスト 慶応大学大学院政策・メディア研究科後期博士課程を経て現在、慶応大学SFC研究所上席所員(訪問)。若者の「性」とメディアの関係を取材し、性教育へのメディア・リテラシー導入を提言。テレビ局報道記者時代、いじめ自殺と少年法改正に迫ったドキュメンタリー『少年調書』で日本民間放送連盟賞最優秀賞などを受賞。平成23年度文科省「ケータイモラルキャラバン隊」講師。平成25年度法務省「インターネットと人権シンポジウム」パネリスト。主な著書に『オトナのメディア・リテラシー』、『性情報リテラシー』、『大人が知らない ネットいじめの真実』など。


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