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.国際  投稿日:2018/10/7

Made in Japanの落とし穴


 

坪井安奈(タレント・編集者・プロモーター)

「坪井安奈のあんなセカイこんなセカイ」

【まとめ】

Made in Japanなら売れる」という危険な考え方。

一方的に自分たちの「おすすめ」を伝えることは「おしつけ」になりかねない

ローカライズは相手への配慮、リスペクト。

 

【注:この記事には複数の写真が含まれています。サイトによっては全て見ることができません。その場合はJapan In-depthのサイトhttps://japan-indepth.jp/?p=42378でお読み下さい。】

 

前回の記事(質か価格か シンガポール和食事情)では、シンガポールでいかに和食が受け入れられ、日常に溶け込んでいるかという話を書いた。今回の記事では、日本のモノゴトを海外へ伝えるうえで私が重要だと感じる「相手へのリスペクト」について書きたいと思う。

2020年の東京五輪も追い風となり、和食をはじめ、日本に注目している外国人はたしかに増えている。そして、それはプロダクトだけに留まらない。災害時にもきちんと順番を守って電車を待つ人々の様子や、サッカーW杯で負けた日本人選手がロッカールームを綺麗に清掃して帰ったエピソードなど、日本人の謙虚さや奥ゆかしさなどが世界で取り上げられることもたびたびあり、日本の文化自体も認められつつあるように感じる。私のシンガポールの友人も、「日本は安くて美味しい食べ物がたくさんある」「日本人の接客サービスは最高だ」とジャパン・クオリティをいつも絶賛してくれる。

自信を持ちづらい国民性であるが故、このような評価をもらって改めて「日本の文化って素晴らしいんだ」「日本人で良かった」と胸を張りたい気分になれる。

ただ、このまま調子に乗ってはいけないと思うのだ。たしかに、日本のプロダクトやサービスのクオリティは高い。職人技と言えるような繊細で高度な技術が必要とされることも多く、それは日本の誇れるものの一つと言えるだろう。

しかし、だからと言ってMade in Japanなら売れる」という考え方は危険だ。近年、さまざまな分野で世界へビジネスの展開を試みる人も増えているが、その際に「日本製」「日本産」「日本人」だけをウリにしているようでは、正直厳しい現実が待っている。せっかくのMade in Japanも、それではただのおごりでしかない。

 

■ 「おすすめ」が「おしつけ」になってはいないか?

一つ、私が体験した興味深い例を紹介しよう。

シンガポールで、がおいしいと噂のレストランに行った時のことだ。日本人オーナーが経営するそのレストランは、日本産の鰻を使用しながらもリーズナブルな価格で鰻を提供していると定評があった。鰻は、鮮度・焼き方・タレなど細かなこだわりを持つ店も多く、まさに繊細さが要求される和食の一つだ。

焼き目がついた皮の香ばしさと、ふわっとした身の絶妙なバランスが最高に幸せな気持ちにしてくれる鰻…。それがシンガポールでも味わえるなんて…!うきうきしながら店に着くと、店頭にはすでに列ができており、ローカルのお客さんもたくさん並んでいる。ところが、メニューをペラっと1枚めくって、私は目が点になった。

そこには「鰻&ローストビーフ丼」という商品が写真付きでデカデカと載っていたのだ。

メニュー本の1ページ目といえば、当然その店の一押しの商品を載せる。それが、「鰻&ローストビーフ丼」…? 日本なら、うな重か、せめてひつまぶしをもってくるのが普通だろう。

でも、目の前で私に主張してくるのは「鰻&ローストビーフ丼」…。これがシンガポールで求められている現実なのだ。鰻だけで主役を張るには十分なのに、なぜローストビーフを組み合わせてしまったのだろう。言い知れない悲しさがこみ上げてきた。

しかし、この考えこそが落とし穴なのだ。

自分たちが素晴らしいと思うものが、相手にとっても同じように素晴らしいかというと、それはわからない。相手には相手の文化があり、日常がある。だから、どんなに「おすすめ」であっても、一方的に自分たちの主張を伝えることは、「おしつけ」になりかねない

同じような話で、ベトナムで出汁をウリにしたうどんの店を出店したところ、出汁を感じられる「かけうどん」よりも、日本では想像できない「サーモンうどん」の方が人気が高いという話も聞いた。私は改めて、「日本を伝える」ということのリアルを見た気がした。

▲写真 イメージ図 出典:フォト蔵

 

■ 本当の意味のローカライズとは

よく、海外展開をする際に「ローカライズ」という言葉がキーワードとして出てくるが、結局のところローカライズというのは相手への配慮、リスペクトであると私は思う。

自分たちの文化を理解してもらうことは大切なことだ。場合によっては、それをそのまま受け入れてくれることもあるかもしれない。でも、私たちの当たり前が、世界でも当たり前になるとは限らない。そんな言うまでもないことを、時として忘れてしまってはいないだろうか。

ナポリタンは、イタリアには存在しないパスタだというのは有名な話だ。だが、日本人の我々は立派なパスタ料理として好んで食べている。

▲写真 イメージ図 出典:フォト蔵

他国の文化にアレンジを加えることで新しいものが生まれ、それが根付き、成長していく。そんな新しい文化の始まりがあってもいいのではないだろうか。

トップ画像:鰻丼 出典 ACphoto


この記事を書いた人
坪井安奈タレント/編集者/プロモーター

タレント/編集者/プロモーター。シンガポールと日本で「複業」&「複住」生活。ビジネス番組『賢者の選択』レギュラー出演中。Voicy『坪井安奈のあんな英語こんな英語』毎日更新。

Instagram: @tsuboianna Twitter: @anchuuuuuuu

坪井安奈

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