無料会員募集中
.社会  投稿日:2020/4/27

ヤクザの二代目は美形ぞろい 家にいるなら邦画を見よう3


林信吾(作家・ジャーナリスト)

林信吾の「西方見聞録」

【まとめ】

・日本のヤクザ社会もヤクザ映画も戦後から現代まで変質した。

・1960年代ヤクザ映画は反体制的な学生や経済成長に取り残された観客が中心。

・圧倒的な暴力というのは、「軍事の普遍性」。

 

ヤクザ映画も結構見たが、ああいう世界に入りたいとか、ヤクザに対するあこがれなどは抱いたことがない。東宝の特撮シリーズ(主に怪獣映画)もほとんど見たが、生まれ変わったらゴジラになりたい、などと思ったことはない。それと同じことである。毎度、我ながら論理的だ(どこがだ?笑)。

ただ、昭和も終わろうとする時期、別の言い方をすれば世の中がバブルへと向かっていた時代、有名な広域暴力団の幹部が、雑誌のインタビューに答える形で、

「近頃、若い者の教育にと、昔の仁侠映画を見せている」

などと語っていたことを、今でも覚えている。

昔の仁侠映画というのは、具体的には1960年代から70年代にかけて、高倉健、菅原文太、鶴田浩二、松方弘樹、梅宮辰夫(いずれも故人。合掌)といったスターたちが、失うものは何もないといったアウトローの生きざまを演じていた、一連の作品群を指すのだろう。

戦後日本のヤクザ社会と言うのは、いわゆる焼け跡の混乱期を経て、1960年代以降、高度経済成長と歩調を合わせるようにして勢力を拡大させていった。しかし、その裏で進行したのは、巨大組織の台頭による寡占化と系列化であり、シノギ(資金活動)の変質だったのである。「縄張り」とは賭場を開帳する権利のことだといった考え方は古くなり、様々な事業の利権、果ては公共事業に食い込むという形で、億単位の金を動かすヤクザが増えてきたわけだ。

その後、中国マフィアの問題がやかましくなってきた20世紀末、やはり有名組織の幹部が、TVでこんなことを語っていた。

「最近の日本のヤクザは、億のカネでもかからない限り、命のやり取りまでしようとは考えない。その点、向こう(中国の裏社会)には100万円で殺しを引き受けるような連中がごまんといる。勝負にならん」

つまり(話の順序としては前後してしまったが)、バブルを背景にヤクザ社会にさえ「金持ち喧嘩せず」という気風が蔓延し、そのことを憂えた上層部が、

「恨みはございませんが、渡世の義理……死んでもらいます!」

などと言ってドスを抜く仁侠映画を、若い者向けの「教材」とするに至ったものらしい。

いやあ、映画って本当に役に立つんですねえ……などと無責任に評論家ぶるのは簡単だが、現実には前述のような「世相」を反映して、ヤクザ映画も内部抗争や権謀術数ばかりを描く「暴力団映画」へと変質してゆき、結果、今でいう「オワコン」扱いを受けてしまうに至ったのである。

代わって、ヤクザ映画のパロディとでも言うべきか、あり得ない設定での「二代目もの」が当たりをとるようになった。

嚆矢となったのは『セーラー服と機関銃』(1981年)で、薬師丸ひろ子の出世作となった。ご存じの読者も多いであろうが、女子高生がヤクザの二代目になるという話だ。

翌82年には原田知世、2006年には長澤まさみの主演でTVドラマ化されている。

後者は見てみたのだが、一口で言うと「これじゃない感」を払拭できずじまいだった。

やはり、クライマックスで敵役の事務所に乗り込み、機関銃を乱射した後、薬師丸ひろ子が硝煙の中で

「カ・イ・カ・ン(快感)」

と一言発しながら浮かべた、あの恍惚の表情。あれを超えるシーンは撮れなかった、ということだろう。今思い出しても、あれは映画史上に残る名演技だ。

念のため述べておくと、長澤まさみという女優が、薬師丸ひろ子と比べてなにか劣るという意味ではない。私に限って、そのような発言はあり得ない。

「非サッカー者」にはあまり知られていない事実だが、彼女はサッカー元日本代表にしてジュビロ磐田の初代監督を務められた長澤和明先生のご息女であらせられるのだ。どーだ参ったか(なにがだ?笑)。

話を戻して『二代目はクリスチャン』(1985年)も、私の中ではストーリーの面白さより、主演女優の美貌と存在感が際立っていた。

公開当時29歳の志穂美悦子が、ヒロインのシスターを演じている。その美しさと言ったら……それまでカラテ映画の印象ばかり強かったので、意外性もあった。まあ、原作(つかこうへい氏の小説)をまだ読んでいなかった私など、最後は修道服を脱ぎ捨てての大立ち回りになるのかと、愚かな期待を抱いていたことは、ここで正直に告白しておくが。

彼女もまた「悪いヤクザ」の事務所に乗り込んだ際、

「悔い改めてえ奴は十字を切りやがれ。でねえと全員、たたっ斬るぜ!」

と、ものすごい啖呵を切って評判になったが、原作を読むと、ヒロインの行動原理はどうも十字軍思想のパロディなのではあるまいか、などと思える。

そして、岩下志麻の当たり役となった『極道の妻たち』が公開されたのが、1986年。

一部に誤解している向きがあるようだが、この作品が当たったので「二代目ヒロインもの」が制作されるようになったのではなく、順序としては逆だ。また、こちらの原作は家田壯子さんのノンフィクションで、どちらかと言えばヤクザの亭主に泣かされる(生活費はよこさない、浮気はする、果ては懲役!)が、それでも別れられないという女性たちの生きざまを描いたものだが、映画では「姐さん」として服役中の亭主に代わって組織を守り、最後は仇討ちの話となっている。

いずれにせよ、この作品が当たってシリーズ化されたことで、

「ヤクザ映画に女性観客を動員することに成功した」

と評された。1960年代のヤクザ映画と言うと、反体制的、もしくは反体制を気取っている学生や、高度経済成長に取り残されていった、恵まれない層が観客の中心だったのである。

また、映画産業そのものが斜陽化したが、代わってビデオ(今ではDVD)の販売やレンタルを当て込んで、その分だけ安い製作費で作られた「Vシネマ」が現れたが、こちらは「古き良き仁侠映画」のコンセプトで、なかなか頑張っている。

時世時節がどのように変遷しようとも、地道に働いている人が、カネの力や権威を笠に着る手合いによって屈辱を受ける例など、後を絶たない。そうした人たちにとって、最終的には自爆となろうが、圧倒的な暴力で、そうした権威(裏社会では、巨大組織の代紋は権威だ)を叩き伏せる映画は、カタルシスの役割を果たすに違いない。もともとカタルシスというのは、ギリシャ悲劇を評する言葉から来ていて「精神の浄化」という意味だ。

圧倒的な暴力というのは、少しだけ専門的に言うと「軍事の普遍性」で、早い話が非力な女子高生でも、サブマシンガンを持ち出したなら、暴力団など手も足も出ない。このカタルシスだけは、昭和の「死んでもらいます!」から平成の「カ・イ・カ・ン」まで連綿と受け継がれてきたのだと、私は思う。

林信吾ほどの教養人がヤクザ映画など見ていると知って、違和感を覚えた読者が2人か3人か4人くらいはおられるかも知れないが、これで説明になったであろうか。誰だってストレスを抱えて生きているのだ。

最近見た中では、前述のVシネマで『二代目はニューハーフ』という作品が、実に面白かった。端的に言うと、

「バカバカしいけど面白い」

これに尽きる。こうした作品に対して「バカバカしいけど面白い」というのは、ある意味、最高の誉め言葉ではないだろうか。

ヤクザの組長が亡くなって、かつて勘当した実子に跡目を継がせるよう、遺言を残す。

そこで実子を探し当てたら、これがなんと、ナナという源氏名のニューハーフ。

「オカマの組長で、やって行けますか」

という声が組織内から上がるかと思えば、

「(新宿)2丁目が縄張りなんだから、ニューハーフの組長さんなんて素敵じゃない」

などという、門外漢には理解不能な(新宿2丁目がその世界で有名だということくらいは知っているが笑)論理でもって支持する声が聞かれたりする。当人も最初は、

「なんで私が、今さらヤクザやんなきゃいけないのよ」

と拒否反応を示すのだが、彼女(で、いいのだろうか?)が働く店が、対立組織から地上げを仕掛けられたりする、まあ、お決まりのパターンで抗争が勃発し流血沙汰となる。

そして最後は、これが自分の宿命なのだ、と悟った2代目が、跡目相続の儀式で、

「未だ渡世修行中の、しがなきオカマではございますが……」

と口上を述べ、居並ぶ親分集をドン引きさせて大団円となるのである。

……これでは、まるで亡き志村けん氏がやりそうなギャグと思われるかも知れないが、少し趣が異なる。まず、ヒロイン(で、いいのだろうか?)を演じたベルという人が、本当に業界で有名なニューハーフだそうなのだが、芝居も上手だし、最後の着物姿の美しいこと。これに勝る女優が何人いることか、と思えたほどだ。

ただ、ヴィジュアルという点で、もっと凄いのは、企画・脚本・監督もつとめた小沢仁志演じる若頭が、対立組織に殴り込むシーンである。

これがなんと言うか、ネタバレになるのであまり具体的には書けないが、迫力どころか破壊力満点。最初は盛大に吹いたが、見ているうちに、

(お願いですから、夢に出てこないで下さい)

と祈るような気持ちになったほどだ。

家に閉じ込められて気がふさがりがちな時は、こういう「バカバカしいけど面白い」映画がオススメである。

トップ画像:高倉健氏 出典:国際情報社『映画情報』第31巻1月号(1966)より


この記事を書いた人
林信吾作家・ジャーナリスト

1958年東京生まれ。神奈川大学中退。1983年より10年間、英国ロンドン在住。現地発行週刊日本語新聞の編集・発行に携わる。また『地球の歩き方・ロンドン編』の企画・執筆の中心となる。帰国後はフリーで活躍を続け、著書50冊以上。ヨーロッパ事情から政治・軍事・歴史・サッカーまで、引き出しの多さで知られる。少林寺拳法5段。

林信吾

copyright2014-"ABE,Inc. 2014 All rights reserved.No reproduction or republication without written permission."