プーチンの理性に期待する 「核のない世界」を諦めない 最終回
林信吾の「西方見聞録」
【まとめ】
・ロシア・ウクライナ紛争が核を使用しないまま収束に至れば、核とは所詮「使えない兵器である」との認識が世界中に広まる。
・そのことを通じて、核軍縮が一段と進展することが期待できる。
・「紛争解決には原爆投下が手っ取り早い」などと口走る輩を政治の世界に留めておかない決意を新たにしたい。
タイトルを見て、林もとうとうおかしくなったか、などと思われた向きもあるかも知れない。が、これはいたって真面目な話である。
今年2月をもって3年目に入ったロシアとウクライナの紛争だが、当初心配されていた、ロシア軍による核の使用(たとえ威嚇目的で海に投下する、といった形態であれ)は、未だ現実のものとはなっていない。
この紛争がどのような形で収束を見るか、まだまだ不確定な要素が多いのだが、ひとつだけ、プーチン大統領が
「敗北の汚名に甘んじるくらいなら……」
という発想でもって、核のボタンに手をかけないことに、言い換えれば最後の一線とも言える理性が保たれていることだけは期待したい。
この紛争が核を使用しないまま収束に至れば、核とは所詮「使えない兵器である」との認識が世界中に広まり、そのことを通じて、核軍縮が一段と進展することが期待できるからだ。
紛争の当初、
「ウクライナが核武装していたならば、侵略を受けることもなかったであろう」
という意見が、同国の内外から聞こえてきた。
しかしこれは、ニワトリと卵みたいな議論に過ぎないことを知る必要がある。
本連載でも複数回述べてきたことだが、そもそもロシアが今次の侵攻を決意するに至ったのは、ウクライナがNATOに加盟する動きを見せたことも大きな要因であった。
その場合、同国に核ミサイルが配備される可能性が出てくるので、ロシアにしてみれば、喉元に短剣を突きつけられたようなものである。
もちろん、だからと言って、ロシアによる侵略行為が許されるはずもないが、争いごとには必ず当事者それぞれの立場と言い分があるので、事態のよって来たるところから冷静に見つめ直したならば、ウクライナがいち早く核武装していたら……という論理は成立する余地がないと言える。
さらに言えば、核武装している国に対して、核を持たない国が戦争を仕掛けた例は、その逆の例より多い。
1982年4月に勃発したフォークランド紛争が典型だろう。
南大西洋のフォークランド諸島は、かねてからアルゼンチンとの間で領有権争いがあったのだが(ちなみにアルゼンチン側ではマルビーナス諸島と呼んでいる)、英国が総督府を置くなど実効支配していた。
これに対して、アルゼンチンが突如部隊を上陸させ、占領したのである。原因は諸説あるが、最も有力なのは、不況に対する国民の不満を、対外戦争によって逸らそうとした、というものだ。
この報を受けた時のマーガレット・サッチャー首相は、ただちに機動部隊の派遣を決定。
慎重論(外交による解決など)を唱える閣僚に対して、彼女が言い放った、
「この内閣に、男は一人しかいないのですか」
との一言は、当時世界中のメディアで喧伝された。
いずれにせよ2ヶ月を経ずして英軍が凱歌を上げ、サッチャー首相は国民的英雄となったわけだが、もしも英軍の犠牲が予想外に大きく、その結果として核兵器を先制使用したりしていたら、その後のサッチャー人気はあり得ただろうか。
1990年の湾岸戦争でも、当時は世界第4位の陸軍国と称された、サダム・フセインのイラク軍が相手となるだけに、米軍を中心とする多国籍軍は、
「味方の犠牲(死傷者)が3万人を超えた場合、戦術核兵器の使用も視野に入れる」
と考えていたらしい。これは私が、英国情報部の元関係者から直接聞かされた話なのだが、他にめぼしいソースはないので、伝聞であることは明記しておくが。
ご案内の通り、この戦争は多国籍軍のワンサイド・ゲームで終わったのだが、原水爆こそ使われなかったものの、少々趣の異なる兵器が用いられた。
対戦車用の徹甲弾がそれで、この弾芯には劣化ウランが使用されている。この劣化ウラン弾が大量に炸裂したことから、戦場となったクウェート北部では放射能汚染が取り沙汰され、帰還兵の中からも被爆が疑われる、と訴える者が続出した。
私や清谷信一氏などは、当時からこの劣化ウラン弾も国際法で使用を禁ずるべきである、と訴え続けてきたのだが、遺憾なことに未だそうした動きは見られない。とは言え、核兵器を今すぐ全廃すべし、というのは現実的でないかも知れないが、できることからやるべきだ、との考えを変えるつもりはないので、今後も訴え続けて行く決意は揺るがない。
そして2003年にはイラク戦争が始まった。
この戦争の原因は、国連が求めてきた「大量破壊兵器の破棄」に関して、イラクが査察を拒否するなど非協力的であったことにある、とされた。
わが国において核武装を主張する人たちに問いたい。
核兵器を持つことは安全保障上有益であろうなどと、なにを根拠に言うのか。イラクなど、核兵器プロパーの問題ではないにせよ、大量破壊兵器を「持っている疑いがある」というだけで戦争を仕掛けられたのではないか。
逆のケースとして、イスラエルなど、核武装していると衆目が一致している国だが(公式には、肯定も否定もしていない)、周辺のアラブ諸国、近年ではイスラム武装勢力から、絶え間なく、と言って過言ではないくらい、幾度も武力攻撃を受けてきた。
今次のガザ地区の紛争に際して、米共和党のティム・ウォルバーグ下院議員が、
「紛争を手っ取り早く終わらせるには、広島や長崎のような爆弾が効果的」
などと発言し、炎上した。当人は「もののたとえ」だと弁明しているが、こうした発想が今も残っている、という事実は注目に値するだろう。もちろん悪い意味で。
その一方では、核兵器を開発していながら、自発的に放棄した国もある。
南アフリカ共和国だ。
この国はかねてから、核兵器と親和性があった。
世界屈指のウラン産出国であり、本シリーズで主題のひとつともなった、映画『オッペンハイマー』では、国名こそ明かされないものの、原爆開発のために八方手を尽くしてウランを集めるシーンがある。そして歴史をひもとけば、くだんのウランの一部は南アフリカが供給した。
そして、こちらもご案内の通り、1970年代以降、同国のアパルトヘイト(人種隔離政策)に対する国際的な批判が高まったことから、西側先進国の大半が兵器輸出を禁じた上、アンゴラ、モザンビークなど周辺諸国にはソ連邦の影がちらつくようになった。
こうした背景から、核武装に踏み切ったわけだが、冷戦終結により、大きく状況が変ったのである。1989年に就任したデ・クラーク大統領は、アパルトヘイトの撤廃も示唆しつつ、6発あったという核弾頭を全て廃棄し、NPT(核拡散防止条約)に加盟することで、国際社会に復帰する道筋を付けようとしたのである。そして実際、同国は1991年にNPTを批准するに至った。
核兵器を抱えて国際社会から孤立するより、むしろ協調する道を選んだ方が、安全保障上もはるかに有益である。
世界中の政治権力者がこの常識を共有できるようにならない限り、人類が核の恐怖から解放される日は、すぐに訪れるものでもないであろう。
我々としては、前述のような「紛争解決には原爆投下が手っ取り早い」などと口走る輩を政治の世界に留めてはおかない、という決意を新たにし、実行に移すことから始めたいものだ。
トップ写真:救世主キリスト大聖堂での復活祭の礼拝に出席したプーチン露大統領(2024年5月5日 ロシア・モスクワ)出典:Contributor/Getty Images
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この記事を書いた人
林信吾作家・ジャーナリスト
1958年東京生まれ。神奈川大学中退。1983年より10年間、英国ロンドン在住。現地発行週刊日本語新聞の編集・発行に携わる。また『地球の歩き方・ロンドン編』の企画・執筆の中心となる。帰国後はフリーで活躍を続け、著書50冊以上。ヨーロッパ事情から政治・軍事・歴史・サッカーまで、引き出しの多さで知られる。少林寺拳法5段。