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.社会  投稿日:2020/5/27

洋画では描けない世界がある(下) 家にいるなら邦画を見よう 6


林信吾(作家・ジャーナリスト)

「林信吾の西方見聞録」

 【まとめ】

・「将棋」の魅力に憑かれた人間たちが織り成す映画がある。

・「ラーメン」へのすさまじい情熱とエネルギーを描いた映画もある。

・文化の一端に触れる貴重な知的体験。邦画でなければ描けない世界。

 

前回、周防正行監督の一連の作品を、邦画ならではのテーマを扱ったものとして紹介させていただいた。念のため述べておくが、私はなにも、邦画である以上は日本の伝統文化などをテーマとして扱うべきであるとか、そんな狭い了見で映画を語ることはしない。

ただ、邦画を通じて我が国の伝統文化の一端にでも触れられたなら、それはそれで貴重な知的体験となり、映画を見る醍醐味のひとつでもあると思う。

たとえば、将棋

洋画では、登場人物がチェスに興じるシーンは珍しくもないが、チェスの専門家が主人公だったり、チェスにまつわる人間模様を描いた作品があったか……寡聞にして今ちょっと思い出すことができない。

わが国では、昭和の時代に村田英雄が『王将』というヒット曲を出し、同じタイトルの映画も作られている。勘違いする読者は、まさかいないと思うが、餃子とは無関係だ笑。

時は明治時代末期。通天閣を見上げる大阪・天王寺の裏長屋に、坂田三吉(1870〜1946)という男が暮らしていた。家族は妻と、娘が一人。

▲写真 坂田三吉 出典:『写真集 おおさか100年』サンケイ新聞社,1987年,p.228

親の代からの雪駄職人であったが、子供のころから将棋に熱中するあまり、奉公先をクビになるわ、家業を継いで独立しても納期は守らないわで、しばしば高利貸しの取り立てを受けるような生活ぶり。

私の知人だったら「あほの坂田」と呼ぶところだが、賭け将棋では無類に強かったらしく、地元の米仲買人が後援者に名乗りを上げ、ついには時の名人に挑戦するまでになる。

この間、眼病を患って失明寸前となったり、たしかにドラマチックな人生ではあったが、戦後ほどなく他界した際は、新聞に10行ほどのベタ記事が載っただけであったという。

▲写真 将棋の駒(イメージ) 出典: flickrl; Ishikawa Ken

ところが、没後まもなく、劇作家の北条秀司(1902〜1996)が、彼の半生を描いた戯曲『王将』を発表し、これが大好評を博したことによって、将棋指しとの名声が不朽のものとなった。死後に名人・王将位まで贈られている。

この戯曲が幾度も映画化されていて、私が見たのは、1973年版。実に5度目の映画化であった。主人公・坂田三吉を勝新太郎、終生の宿敵となる関根八段を仲代達矢、そして「女房の小春」を中村玉緒が演じている。

私はどうも、関西の人間には点が辛くなる傾向があるらしく、

(こんな奴、身近にいたらぶっ飛ばしものだな)

などと思いながら見ていたが、これもまた映画を見る楽しみというものだろう。他にも藤田まこと、音無美紀子ら豪華キャストで演技は皆、文句なしにうまい。

割と新しいところでは、これも実在の棋士を主人公にした聖の青春(2016年)という映画がある。

近年、将棋ブームなどということが言われて、棋士がマスコミに露出する機会も増えてきているが、村山聖という棋士の名前を覚えているという人は、ごく少ないだろう。もちろん、将棋に関心の深い人は別として。

こちらも、大崎善生氏が2000年に発表した、同名のノンフィクション小説(つまり、一部の描写は著者の主観によるもの)を映像化したものである。

映画では、大阪の路上に倒れていた青年が、通行人の助けを借りて関西将棋会館にたどりつくところから話が始まる。

この青年こそ「西の怪童」と呼ばれていた、当時23歳の村山聖七段で、幼少期よりネフローゼという腎臓の難病を患い、無理のきかない体でありながら名人を夢見ていたのだ。

彼にもまた、終生の宿敵がいた。天才・羽生善治名人である。

村山聖を演じたのは松山ケンイチだが、腎臓病からくる体のむくみに苦しむ主人公になり切るべく、わざわざ体重を増やした姿が話題になった。

羽生名人の方は東出昌大が演じたが、こちらも天才棋士になり切るべく、将棋の駒の持ち方から、対局中、相手に鋭い視線を向ける、世に言う「羽生にらみ」の目つきまで、懸命の役作りをした。試写を見た名人が、イケメン俳優が自分の役を演じていることに、恥ずかしさで直視できなかった、などとコメントして笑いをとったのを覚えている。

たしかにあの映画で東出昌大が見せた演技・存在感には私も瞠目させられたが、まさか後年、あのようなことになるとは……あんな美しい奥さんがいながら、なにをしてくれてんだ、などと、つい公私混同してしまうではないか笑。

話を戻して、実在の村山聖は羽生善治を打ち負かすことはできなかったが、映画俳優としての松山ケンイチは東出昌大を圧倒していた。東出もよく頑張っていたが、シャレではないけれど「役者が一枚上」だと言うしかない。

自身の健康について、愚痴めいたことは一切言わないのだが、対局後、羽生を誘って居酒屋に足を運んだ際に、

「一度でいいから女を抱いてみたいなあ」

と呟くシーンがある。その一言に込められた万感の思い。これを、さりげなく演じてしまうのが松山ケンイチという俳優のすごいところで、今思い出しても鳥肌が立ちそうだ。

そのように、病魔と闘いながら将棋の名人を夢見続けた村山聖は、28歳で他界する。「青春」というタイトルだが、彼にはその先の人生がなかったのだ。

ここまで読まれた方々には、今さら解説めいたことを書き加える必要はないと思うが、この2本は決して「将棋映画」ではない。そもそもこれを見ても、将棋が強くなるどころか駒の動かし方さえ覚えられない。あくまでも、将棋の魅力に取り憑かれた人間たちが織り成すドラマなので、これはやはり、邦画でなければ描けない世界だと思う。

▲写真 伊丹十三監督(1966年2月)出典:パブリックドメイン

もうひとつ、伊丹十三監督の『タンポポ』(1985年)もオススメしたい。

未亡人のタンポポ(宮本信子)は、亡夫からラーメン屋を受け継いだものの。見よう見まねの素人仕事で、さっぱり客が入らない。そこへたまたま現れた運転手のゴロー(山崎努)が、この店を町一番のラーメン屋にすべく手を差し伸べ、奮闘する物語だ。

▲写真 ラーメン(イメージ) 出典:Pixabay / NaoYuasa

イタリア映画には、リストランテを舞台にした作品もあり、そもそも食べることが大好きという人たちゆえ、おいしそうな飲み食いのシーンは枚挙にいとまがない。

ただ、この映画のように、他店の秘密盗用から、元は開業医でありながら、ラーメンに熱中したあまり身を持ち崩したという、ホームレスの「先生」まで登場する、といった話は、さすがに思いつかなかったようだ。ラーメンという、スープの中に麺とわずかな具が浮かんだだけの面妖な食べ物のために、すさまじいまでの情熱とエネルギーが注ぎ込まれるというのは、イタリア人にさえ理解しがたいことかも知れない。

監督・脚本を担当した伊丹十三自身が「ラーメン・ウェスタン」と称した、はっきり言って了見の分からないドタバタであるし、そもそも映画の評価など人それぞれだろうが、ただひとつ言えることは、

「この映画を見たならば、まず確実に、おいしいラーメンを食べに行きたくなる」

ということだ。今の今まで「家にいるなら邦画を見よう」というコンセプトにそぐわないかも、との思いもあって、紹介するのを控えさせていただいていたが、外出の自粛を促す緊急事態宣言も、ようやく解除される運びとなった。

もちろん、これで新型コロナウイルスの脅威が去ったわけではなく、大変なのはこれからだろうが、ひとまず「自粛疲れ」を癒すためにも、この映画に刺激されて。おいしいラーメンを食べに出かけるのも、悪くないと思う。

トップ写真:松山ケンイチ(左)と東出昌大(右)。第29回 東京国際映画祭 オープニングセレモニー (2016年10月25日) 出典:flickr; Dick Thomas Johnson


この記事を書いた人
林信吾作家・ジャーナリスト

1958年東京生まれ。神奈川大学中退。1983年より10年間、英国ロンドン在住。現地発行週刊日本語新聞の編集・発行に携わる。また『地球の歩き方・ロンドン編』の企画・執筆の中心となる。帰国後はフリーで活躍を続け、著書50冊以上。ヨーロッパ事情から政治・軍事・歴史・サッカーまで、引き出しの多さで知られる。少林寺拳法5段。

林信吾

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