大林監督作品と方言の話 家にいるなら邦画を見よう 2
林信吾(作家・ジャーナリスト)
林信吾の「西方見聞録」
【まとめ】
・1960年代の香川県・観音寺を舞台にした『青春デンデケデケデケ』がおすすめ。
・同じ香川県内でも、地域によって方言が異なる。
・岸部一徳の存在感と垣間見える健康的なエロティシズムが魅力。
なんの因果か、このシリーズを立ち上げてほどなく、大林宣彦監督の訃報に接することとなった。新型コロナとは関わりはないが、肺ガンを患っており、報道によれば「余命3カ月」を宣告されてから3年半余り生きて、最後の作品も撮り終えていたという。
稲垣吾郎や常盤貴子が出演する『海辺の映画館 キネマの玉手箱』という作品は、奇しくも監督が亡くなった4月10日、公開予定であった。新型コロナが監督の命を奪ったわけではないけれども、映画公開は延期となり、いわば遺作を見る機会を奪ってはいる。あらためて言うことでもないが、1日も早い終息を!
おそらく、TVでも『金曜ロードショー』あたりで、追悼特集が放送されるだろう。
大林監督の代表作と言うと、出身地である広島県・尾道を舞台とした『転校生』(1982年)、『時をかける少女』(1983年)、『さびしんぼう』(1985年)の「尾道三部作」を挙げる人が多いのだが、私が一番好きなのは『青春デンデケデケデケ』(1992年)である。
1960年代の香川県・観音寺を舞台に、ロックバンドの活動に熱中する高校生たちの物語で、芦原すなお氏の自伝的小説が原作となっている。ちなみにこの作品で、氏は直木賞を受賞している(1992年・第105回)。
▲写真:観音寺市 高屋神社からの展望 出典:Wikimedia Commons
このため、前出の尾道三部作ともやや違って、方言が正面に押し出されているのだが、私にはいささか違和感があって、そこが逆に面白かった。
実は私は、総本山少林寺で修行すべく、香川県の多度津というところに住んだことがある。つまり、讃岐弁ならば耳慣れている。ところが映画の中で、
「弁当用意してつか」「泳ぎ教えてつか」
などと「〜して頂戴」という意味で「〜してつか」と盛んに使われている方言が、(多度津では聞いたことがないなあ)という具合だったのだ。
念のため多度津のジモティに聞いてみたところ、
「理由は分からないけど、たしかにここいら(多度津)では使わない」
とのことであった。
理由は分からない、と言われると、ならば自分で調べよう、となるのがジャーナリスト根性というもので(それほど立派なことではないが笑)、概略以下のようなことらしい。
人になにかを渡すことを古い日本語で「つかわす(遣わす)」と言い、今でも古典落語や時代劇で耳にするし、小遣いといった言葉も派生した。ここから「つかわしてくだされ(私に下さい)」との表現が生まれ、さらに訛って「〜してつかあさい」と言うようになった。この言い方は、西日本一帯でかなり広く使われているようだ。
けれども、同じ香川県内、それも日本一小さな県のこととて多度津と観音寺など目と鼻の先なのに、どうして方言が異なるのか、その理由は分からなかった。
一方では、バンドのミーティングの場所が毎度うどん屋であったり、楽器を買い揃えるためにアルバイトするのだが、マクドナルドなどはないので木工所で働いたりと、地元を愛する人たちには申し訳ない言い方ながら「やっぱり香川県」というあたりも面白かった。
早い話が私の個人的な経験と嗜好が、この映画を楽しいものとしたわけだが、映画の楽しみ方など、それでよいのではないか。
前述の尾道三部作では、あまり方言を前面に押し出していないが、おそらくこれは、尾道の風景が映画の中でよい味を出してはいるものの、ファンタジーに現実の土地柄などあまり関係ない、ということであったのかも知れない。
もうひとつ、岸部一徳の演技と存在感も特筆すべきものだ。私が彼に注目したのも実はこの映画が初めてで、元「ザ・タイガースのサリー」であったことは、少し後で知った。
写真:岸部一徳 出典:Flickr; Dick Thomas Johnson
それのなにが面白かったのかと言うと、主人公らは高校の軽音楽部でバンド活動を始めるのだが、折から「グループサウンズ」のブームが到来して、洋楽にこだわる彼らは新入生によってパージされてしまう。高2が高1に対して、
「ジェネレーション・ギャップを感じるのう」
などと言って笑いをとるのだが、そんな彼らに、練習場所を確保する手助けをしたり、なにくれとなく手を差し伸べてくれる先生の役を、グループサウンズの頂点にいたザ・タイガースの元メンバーが演じるという……意図的なキャスティングだったらすごいな、などと思った。偶然だろうけど。
岸部一徳の名前が出てからの一節を、一体なんの話だ、と首をひねりつつ読んだ人は、まず間違いなく私よりかなり年下だろう。詳しく語る紙数はないので、検索するように。
大林監督の映画で、もうひとつ私が好きなところは、垣間見える健康的なエロティシズムだ。『青春デンデケデケデケ』でも。林泰文演じる主人公が、女生徒に誘われて海水浴に行くのだが、水着から半分はみ出したお尻が揺れているのを見て、海パンの前が、まあ読者ご賢察の通りの状況になってしまう。そこで、言うことがいい。
「男なら、覚えがあろうが」
他にも、思春期の設定である女の子が、上半身裸になったりするのだが、いやらしい感じはない。見せ方を間違えていないのだ。
たまに、アイドルが主演する映画など。入浴シーンのための入浴シーン、みたいな場面に出会う。前に紹介した『ビリギャル』(主演は有村架純)にもあった。
どうせなにも見せないなら、こーゆーの要らないから……などとあまり書き立てると、むしろ筆者の品性が疑われそうなので、話を戻そう。
例外的に『異人たちとの夏』(1988年)という作品では、名取裕子が風間杜夫との濡れ場を演じたり、ヌードシーンもあるのだが、こちらは「閲覧注意」である。
ただ、この映画もオカルトでありながら、人と人(……ではないのか。一方は妖怪変化だから)との絆が描かれている。閲覧注意などと言いつつ、つい人に勧めたくなってしまう「怪作」なのだ。
さらに言うなら、尾道三部作、私はどれも大好きだ。やさしい世界観に惹かれる。
晩年はまた、厭戦のメッセージを強く打ち出して、
「戦争は明日にでも起こり得るが、平和を築くには400年かかる」
という言葉も遺した。
いずれにせよ、映像の魔術師と言われた大林監督の作品は、もう見ることができない。
享年82.監督の映画、大好きでした。心よりご冥福をお祈りいたします。
トップ画像:大林宣彦氏 出典:文部科学省ホームページ
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この記事を書いた人
林信吾作家・ジャーナリスト
1958年東京生まれ。神奈川大学中退。1983年より10年間、英国ロンドン在住。現地発行週刊日本語新聞の編集・発行に携わる。また『地球の歩き方・ロンドン編』の企画・執筆の中心となる。帰国後はフリーで活躍を続け、著書50冊以上。ヨーロッパ事情から政治・軍事・歴史・サッカーまで、引き出しの多さで知られる。少林寺拳法5段。