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.国際  投稿日:2020/8/31

安倍晋三氏とアメリカ


古森義久(ジャーナリスト・麗澤大学特別教授)

「古森義久の内外透視」

【まとめ】

14年前米紙に寄稿した安倍晋三論は正しかった。

・「安倍首相は率直な信ずるに足る友人だと知るだろう」と総括。

・「危険なナショナリスト」もすっかり過去の言葉となった。

 

安倍晋三首相が辞任を表明した。日本の歴代首相でも最長在任記録を記した政治家の任期途中の退陣だから、その波紋は大きい。

私自身も日本での政治記者として、またアメリカでの国際報道記者として安倍氏の政治業績には直接、間接に触れ、報じてきた。私が安倍氏に初めて会ったのは、もう40年近く前の1982年だった。当時、安倍氏は父親の晋太郎氏が外務大臣になったのを機に会社勤務を辞め、外相秘書として外務省に務めるようになった。

一方、私は毎日新聞記者として6年ほどのワシントン駐在を終えて、東京本社の政治部に移り、外務省などを担当していた。安倍晋三氏とはそのころ少人数の勉強会という場で知己を得た。以後は1990年代はじめに安倍氏が衆議院議員となってから国会議員と新聞記者という取材を通じての関係が長年続いたわけだ。

その過程で私が記者としての特別な関心を向けてきたのは安倍氏とアメリカとの交流だった。私自身がその後、産経新聞に移って、またワシントン駐在の特派員を務めることになったから、その間、日本の政界で存在感を強めてきた安倍氏とアメリカとのかかわりあいは自然と主要な取材対象ともなった。

そんななかで私はアメリカ側に向かって政治家・安倍晋三の実態を紹介する、という機会を何度も得た。アメリカのメディアやシンクタンク主催のセミナーなどでアメリカ側の疑問に答える形で自分なりの安倍晋三論を表明するという作業だった。

そんななかでも忘れられないのは大手紙のニューヨーク・タイムズへの寄稿だった。

安倍氏が初めて首相となった2006年9月26日の直後に同紙のオプエド・ページと呼ばれる寄稿ページの編集長から寄稿の依頼を受けたのだ。

14年前の当時のアメリカではシンゾー・アベはまだまだ未知の日本人政治家だった。

そのイメージはあまりよくなかった。安倍氏が北朝鮮の拉致事件に果敢に取り組み、憲法改正を説き、歴史問題では長年の日本叩きに反論するという動きが断片的に伝わると、アメリカ側のリベラル派は「危険なナショナリスト」というような一方的なレッテルを貼り始めた。

そんな時期に日本での安倍氏の政治歴を知る私に安倍論を書いてくれという依頼がきたわけだ。私なりの知識と経験と判断とで、英語の論文を一生懸命に書いて、ニューヨーク・タイムズに送った。その結果は2006年9月30日の同紙の寄稿ページのトップに掲載された。見出しは「誰がシンゾー・アベを恐れるのか?」となっていた。

古い話ではあるが、その論文の内容を改めて紹介しよう。安倍氏とアメリカとの当時の関係、そしてその後の14年という年月を経てのいまの関係への変遷を知るうえでは、意味のある資料となるかもしれない。いまや多方面で語られる安倍晋三論の国際的軌跡の一端である。

英語のその論文を日本語にして、順番に紹介し、その段落ごとに簡単な説明をつけることとする。(★印の部分)

「日本の国会は戦後では最も若い首相として安倍晋三氏を指名した。日本での批判派は安倍氏を『タカ派のナショナリスト』とも呼ぶが、現実には同氏は日本国民の80%近くを占める他の戦後生まれと同様、民主主義の中でのみ形成された人物である。

安倍氏はとくに日本の対米同盟の軌跡によって強い影響を受けてきた。1960年、日米安保条約に反対するデモ隊数千人が当時の岸信介首相の私邸を取り囲んだとき、5歳の安倍氏が祖父の岸氏のヒザに座っていたという話はよく知られている。岸氏は日本を日米同盟へと導いた人物であり、その選択への反対は激しかった。だが安倍氏は祖父が泰然とし、米国とのきずなこそ日本国民にとって最善の進路なのだと説き明かしてくれたことを覚えているという。

いまの日本では日米同盟を選んだ分別と同盟が日本にもたらした実益を否定する国民はほとんどいない。そして安倍氏はこの面での子供時代からの体験で長期のビジョンを持つことと、そのビジョンを推進する固い意思を保つことの価値を学んだという」

★安倍氏の祖父の岸信介氏が日米安保条約を当時の日本国内での激しい反対にもかかわらず、強固に推したことは戦後史でも周知の事実である。安倍晋三氏はその祖父の思い出をよく語っていた。

▲写真 歴代首相で初めて米上下両院合同会議で演説する安倍首相(2015年5月6日) 出典:首相官邸 facebook

「ほぼ無名の新人議員の安倍氏は現状維持に対して原則からのチャレンジを重ねることで国民的人気を得るにいたった。90年代はじめ、北朝鮮による日本国民の拉致の追及と、被害者家族への支援で時の政府に挑戦した。その後、中国に民主主義や人権の抑圧に関して批判を表明する最初の日本人政治家の一人となった。

9・11テロ後、安倍氏は米国の対テロ戦争への協力を主導した。これら行動に共通するのは当初は激しい反対にあっても、究極的に国民多数派の強固な支持を勝ち取っていくという実績だった」

★安倍氏への国民的な人気の上昇は拉致問題での彼の活躍抜きには語れない。中国に対しても従来の自民党政治家のような奇妙な遠慮はなかった。

「日本の戦後の負担の重要部分は戦争中の中国での行動に関連している。日本は敗戦後、東京裁判やその他の軍事裁判の判決をすべて受け入れ、サンフランシスコ講和条約にも署名したが、中国はそうした判決や背後の判断を勝手に膨らませ、判決に矛盾する歴史の見解を強引に押しつけるようになった。長い年月、日本政府は『歴史を糊塗する』という非難を恐れ、その種の誇大な見解に対し沈黙を保ってきた。

だが安倍氏は日本の間違いや残虐行為への悔恨を明確に表明する一方、中国側の情緒的で裏づけのない主張が拡大していくことに対する日本政府の沈黙に疑問を呈する最初の政治リーダーの一人となった。彼は日本の戦後の歴代首相が合計すれば20回以上も戦争犯罪などについて中国などに対し、公式に謝罪をしたことをも強調してきた。

安倍氏は新政権の優先政策の一つが対中関係の改善だと言明したが、同時に『和解には相互の努力が必要』とも強調している。彼は現在の民主主義の日本を受け入れる中国を希求している」

★いま思えば日本の政治家の間に長く残っていた中国への贖罪意識も安倍氏の以上のような態度が分水嶺になったといえよう。

「日本では戦後ほとんどの期間、国家や民族への帰属の意識は抑圧され、非難さえされてきた。国旗や国歌は公立学校でも排され、自国への誇りの表明さえ『危険』と断じられてきた。この傾向は日本の政策を間違えた戦前の政府が自国を悲劇的で無謀な戦争へと突入させたことへの反発の結果であることは、まずだれも否定しないだろう。

だが日本のこの国家否定の傾向は極端にまで走りすぎてしまった。いま安倍首相下の新政権は国民多数の支持を得て、振り子をこの一方の過激な極から真ん中へと戻そうとしているのだ」

★日本での国家意識という難しい領域だが、安倍氏が推進したのはあくまで普通の民主主義国家の枠内での国民の国家意識ということだった。

「安倍氏への『タカ派のナショナリスト』というレッテルは欧米のメディアのいくつかによっても使われるようになったが、そのレッテルは20世紀の旧態が終わったことや、日本の堅実な民主主義を認めることに難色を示す人たちによって使われているようだ。同時にそのレッテルは安倍氏が最近までタブーとされた日本の戦後憲法の改正に取り組もうとすることからも派生しているようだ。

安倍政権の憲法改正は日本の国家安全保障の機能に大きく開いたいくつかの穴を埋めることを意図している。米国の占領軍が起草した日本の憲法は日本に対し軍事強国としての復活を防ぐために適切な制約を押しつけた。だがそれら制約はいまや日本の正当な国家防衛や平和維持活動までも阻害するようになった」

★「タカ派」とか「ナショナリスト」というのは米欧側からアジア側に向けて使われる場合には、上からの目線の情緒的な言葉なのだ。

「イラクに平和維持部隊として送られた日本の自衛隊は憲法の制約で戦闘は一切できないため、オランダやオーストラリアの軍隊に守られねばならなかった。日本はまた同盟相手の米国の軍隊や民間人が攻撃されても、日本本土以外ではどこでも支援をすることができない。北朝鮮の最近のミサイル発射や中国の日本領海、領空への軍事侵入を含む軍拡は日本国民の脆弱意識を深め、憲法改正への支持を高めている」

★日本はなお他の諸国が自由に行使できる「戦力」もたとえ国際平和のためでも使うことができないのだ。そして私はこの論文を以下の記述で総括していた。

「安倍首相は祖父の助言を守る形で日本の将来の防衛を日米同盟の枠内に堅固に保っていくだろう。米国人は共和党、民主党の別を問わず、いま人気の高い日本の新首相が完全に現代的で率直な、そして信ずるに足る友人であることを知るだろう」

★以上の予測は当たったといえよう。いまのアメリカでは安倍晋三という日本の政治家は共和党のトランプ大統領だけでなく、民主党の大統領候補のバイデン前副大統領からも敬愛の言葉を表明されるようになった。「危険なナショナリスト」というのもすっかり過去の言葉となったといえる。

この点では私の14年のアメリカ向けの安倍晋三論も正しかったのだと、ささやかな自負を覚える次第である。

トップ写真:国賓として招いたトランプ米大統領をゴルフでもてなす安倍首相(2019年5月26日 千葉県) 出典:首相官邸 facebook


この記事を書いた人
古森義久ジャーナリスト

産経新聞ワシントン駐在客員特派員、麗澤大学特別教授。1963年慶應大学卒、ワシントン大学留学、毎日新聞社会部、政治部、ベトナム、ワシントン両特派員、米国カーネギー国際平和財団上級研究員、産経新聞中国総局長、ワシントン支局長などを歴任。ベトナム報道でボーン国際記者賞、ライシャワー核持込発言報道で日本新聞協会賞、日米関係など報道で日本記者クラブ賞、著書「ベトナム報道1300日」で講談社ノンフィクション賞をそれぞれ受賞。著書は「ODA幻想」「韓国の奈落」「米中激突と日本の針路」「新型コロナウイルスが世界を滅ぼす」など多数。

古森義久

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