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.社会  投稿日:2020/9/2

辞任と棄権とボイコット(上) 嗚呼、幻の東京五輪 その8


林信吾(作家・ジャーナリスト)

「林信吾の西方見聞録」

【まとめ】

・大坂選手の棄権「スポーツに政治を持ち込むべきではない」等の声も。

・エリート主義や白人優越主義がスポーツ界には残る。

・スポーツ界における有色人種に対する差別的感情は根深い。

 

8月28日、安倍首相が辞意を表明した。

理由はご難内の通り、持病が悪化したためという。色々なことを言う人がいるが、ここはやはり一人の人間として、

「まずはお大事に」

と言うのが礼節というものだろう。

もちろん、安倍政権に対する評価はまた別ものである。私は「お疲れ様でした」とは言わない。疲れたのは国民の方だ。この話題については、いずれ本誌でも取り上げさせていただく。乞うご期待。

辞任会見において安倍首相は、

「拉致問題、日ロ平和条約、憲法改正が心残り」

であると語った。

本心なのであろうが、国民の関心は今、そこではないだろう、と思う。拉致問題はともかく、新型コロナ禍のおかげで生活を脅かされている人々には、改憲論議より先になんとかしてもらいたい、という問題が山積しているのだ。

また、東京五輪についてあまり多くを語らなかったのは、前回も述べた「あきらめムード」が、政界にまで広まってきたことの表れなのだろうか。

首相の辞任にせよ、日を追って絶望的となりつつある東京五輪の開催にせよ、「持病や感染症では致し方ない」と言われればそれまでなのだが……

唐突だが、話はさかのぼる。

テニスの大坂なおみ選手が、ウェスタン・アンド・サザン・オープン準決勝を棄権する、との意思を表明した。米国で、黒人男性が警官に射殺されるなど、相次ぐ差別事件に対し、

「吐き気がする」

というほどの抗議の意味が込められていた。彼女に言わせると、テニスは「白人スポーツ界」であり、そこに一石を投じる意味もあったとのこと。

テニス界の方でもこれに反応し、

「我々(プロテニス関係者)は人種差別に反対である」

との声明とともに、大坂選手の出場が予定されていた準決勝を含む、27日の試合を中止した。これを受けて大坂選手も棄権を撤回し、準決勝に出場、みごと勝利を収めた。

この行動への反響の大きさから、プレッシャーで2日間ほとんど眠れなかった、と述懐していたが、それで試合には勝ったのだから、大したものだ。欧米のメディアは、こぞって彼女を絶賛した。

その一方で、日本では、ある種の違和感をもって受け止める人が少なくなかったようだ。

「スポーツに政治を持ち込むべきではない」

という「お約束」のような議論から、これもありきたりと言うか、

「対戦相手に失礼ではないか」

などという声まで聞かれた。当人が、

「私はテニスプレイヤーである以前に、ひとりの黒人女性」

であり、人種差別がらみの事件が繰り返されることに対して、黙っていてはいられなかったのだ、と明言していたにもかかわらず。

私は、英国ロンドンで暮らしていた当時、七回ほど本物のケンカをやっている。すべて相手は白人で、人種差別がらみのトラブルであった。誓って、酒の勢いで暴れたことなどはない。早い話が「イエロー・ジャップ」などと言いながら突っかかってくる手合いに、

「眼鏡をかけた日本人だからと言って侮ると、大変なことになるよ。ブラックベルトだったりする場合もあるから笑」

と教えてやっていたのである。一度、中国人と間違われて唾を吐きかけられたので、廻し蹴りで返礼したこともあるが、問題の本質は変わらない。口で言い返せばいいじゃないか、という意見もあり得ようが、言葉の暴力というのもあるわけだし、いくら若い頃の私でも、見境なく手を出していたわけではない。そもそも、有色人種が地下鉄で同じ車両に乗っているのが気に入れないからと、唾を吐きかけてくるような手合いに、そういうことをしないでください、と言って通じるだろうか。

話を戻して、私はテニスやゴルフには門外漢であるが、いずれも長きにわたって「白人様」のスポーツだと認識されていた、ということくらいは知っている。たとえばあのタイガー・ウッズ選手も、父親に連れられてゴルフ練習場に行ったところ、じろじろ見られて子供心に不快な思いをした、と述懐している。

五輪の精神としてアマチュアリズムを掲げているが、これも、時間とカネに余裕のある有産階級だけがスポーツを楽しめる、という社会を肯定するエリート主義の表れだということは幾度も述べたが、白人優越主義が見え隠れすることもしばしば指摘される。なにしろ、

「ヨーロッパの白人たちは、黒い顔の人ばかりが表彰台に上がるのが気に入らないものだから、とうとう冬季オリンピックなどというものを始めた」

などという話が、まことしやかに広まっていたくらいだ。事実は、1924年のシャモニー・モン・ブラン(フランス)大会が皮きりで、そもそもこの当時は黒人が五輪の代表選手に選ばれることなど考えられなかった。

陸上競技で黒人選手の活躍が顕著になるのは、第二次世界大戦後のことだが、1968年のメキシコシティ大会では、男子200メートル走の表彰式で、金メダルを獲得したスミス、銅メダルのノーマンという二人の米国代表が、表彰台で星条旗から目をそらし、黒手袋をはめた手でこぶしを突き上げる、という行動に出た。

▲写真 男子200メートル走の表彰式 出典:Angelo Cozzi

「ブラックパワー・サリュート」と呼ばれ、五輪史上もっとも有名な政治的行為として語り継がれているが、IOCは即座に両名を除名処分とした。米国代表チームは当初、除名と選手村からの追放に難色を示したが、他の選手に類が及ぶのを恐れて、決定に従ったという。この処分の論理も、読者ご賢察の通り「スポーツに政治を持ち込むのはよろしくない」であった。

米国内でも彼らは非難の的となり、保守系の『ロサンゼルス・タイムズ』などは、あろうことか両名の写真に「ナチス風の敬礼」などとキャプションをつけたほどである。大坂なおみ選手も、

「色々なこといわれるので、怖くなって携帯電話の電源を切っておいた」

と語った。なにがあったか、想像に難くない。

お分かりだろうか。40年以上の時を経て、またアフリカ系の大統領が生まれた事実がありながら、有色人種に対する差別的感情は、それほど大きく変わっていないのだ。

とりわけ、スポーツ界においてもその傾向が残っており、

「スポーツに政治を持ち込むな」

という論理が、差別された側の抗議に対する抑止力として働くのであれば、それこそ偽善として糾弾されなばならないだろう。

もうひとつの問題である、ナショナリズムについては、次回。

トップ写真:大坂なおみ選手(2016) 出典:Flickr; Kate Tann


この記事を書いた人
林信吾作家・ジャーナリスト

1958年東京生まれ。神奈川大学中退。1983年より10年間、英国ロンドン在住。現地発行週刊日本語新聞の編集・発行に携わる。また『地球の歩き方・ロンドン編』の企画・執筆の中心となる。帰国後はフリーで活躍を続け、著書50冊以上。ヨーロッパ事情から政治・軍事・歴史・サッカーまで、引き出しの多さで知られる。少林寺拳法5段。

林信吾

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