キーウ近郊市民虐殺は「ジェノサイド」か
宮家邦彦(立命館大学 客員教授・外交政策研究所代表)
「宮家邦彦の外交・安保カレンダー 2022#14」
2022年4月4-10日
【まとめ】
・ウクライナ危機を契機に、米国務長官やウクライナ大統領が「genocideジェノサイド」を使い始めた。
・ウクライナの非戦闘員の虐殺は、「政治的にはジェノサイドだが、法的には現時点で不明」。
・ジェノサイド条約について、立法府が議論し法制化するか否かを決める必要がある。
今週取り上げる英語表現は「genocideジェノサイド」だ。ウクライナ危機を契機に、米国務長官やウクライナ大統領までもが「ジェノサイド」を使い始めた。ウクライナにおけるロシアの行為は「ジェノサイド」かと問われた場合、筆者は「政治的にはその通りだが、法的には現時点で不明」と答えている。今週はその理由から始めよう。
genocide(公式の日本語訳は集団殺害)は、ギリシャ語の人種・部族「geno-」とラテン語の殺害「-cide」を組み合わせた新語だそうだ。1944年、ポーランド系ユダヤ人弁護士ラファエル・レムキンが、ナチス・ドイツのユダヤ人等に対する組織的殺戮政策を糾弾するために創作した概念だといわれる。
1948年12月、レムキンの努力もあり、国連は「ジェノサイド犯罪の防止と処罰に関する条約」を採択した。「ジェノサイド」は国際犯罪となり、締約国は「防止と処罰」の義務を負う。「ジェノサイド」は、「国民的、人種的、民族的又は宗教的集団を全部又は一部破壊する意図をもって行われた行為」と定義され、内容も詳しく明文化された。
詳細は省くが、「ジェノサイド」犯罪の構成要件は複雑であり、その証明には多くの時間と労力を要する場合が多い。ロシアのウクライナ非戦闘員の虐殺は「戦争犯罪」と「人道に対する犯罪」に該当するだろうが、現時点で法的に「ジェノサイド」と言い切れない理由はそこにある。後者については中国のウイグル族弾圧も同様だろう。

▲写真:地下から遺体を運んで死体安置所に移す作業(2022年4月4日 ウクライナのブチャ) 出典:Photo by Anastasia Vlasova/Getty Images
しかし、「法的」にロシアや中国の行為が「ジェノサイド」に該当しないことと、「政治的」に厳しい非難の対象とならないことは同義ではない。日本政府は「尻込み」との批判もあるが、その本質は「政治的にジェノサイドか」という問いに対し、「法的にジェノサイドかどうかは現時点で不明」と答える、実に不毛な議論なのだと思う。
他方、日本は国内法に処罰規定がないため、ジェノサイド条約に加盟していないというが、それは国内法を作れば良いだけの話だろう。行政府よりも、まずは立法府が率先して議論し法制化するか否かを決める必要がある。やれやれ、簡単に終わると思ったら、この問題は奥深い。日本でもこの種の議論が深まることを期待したい。
今週、もう一つ筆者が気になったのは、中露関係に関する見方だ。3月31日、英国の政府通信本部(GCHQ)トップがオーストラリアで行った講演は実に面白かった。内外メディアは「ロシア、誤射で自軍機撃墜 命令に背く兵も」などとしか報じていないが、同講演中で中露関係に触れている部分は実に興味深く、一読に値すると思う。
詳細は今週の毎日新聞政治プレミアに書いたので、ご覧願いたい。また、今週の産経新聞には「ウクライナ危機 5つの教訓」と題するコラムを書いた。今回の戦争から日本は多くの教訓を学ぶことが可能だと考え一気に書いたものだが、これもお時間があれば是非ご一読頂きたい。
〇アジア
香港政庁の林鄭行政長官が5月の行政長官選に立候補せず、政界を引退するという。任期中は反政府抗議運動や新型コロナ感染爆発で批判を受けたが、そもそも行政長官の器ではない人物を起用したのは中国であり、彼女には同情する。一方、上海のロックダウンは1週間となり、2日の市中感染者数は8200人以上、沈静化の兆しはないという。そろそろゼロコロナ政策なんて止めたらどうかね。
〇欧州・ロシア
バルト3国のリトアニアが2日、ロシアからの天然ガスの輸入を完全に停止したという。一方、3日にはスロバキア経済相が「ロシアからのガス調達は断てず、ルーブルで支払わざるを得なくなる」と述べたそうだ。スロバキアは国内需要の8割以上がロシア産ガスというが、EU・NATO内でも温度差が表面化しつつあるのは気になる。
〇中東
中東の非産油国にほぼ共通する大問題は小麦輸入減少とパンの値上げだ。国によってはウクライナとロシアからの小麦が全体の7-8割を占めることも珍しくない。となると、思い出すのは外務省研修時代のエジプトだ。中東では食料品、特に主食のパンの政府補助金削減で暴動が起きてもおかしくない国々が多すぎるので心配だ。
〇南北アメリカ
トランプ氏がプーチンに、バイデン大統領の息子のスキャンダルがあれば公開するよう呼びかけたという。これだけでも、今大統領がトランプ氏でなくて本当に良かったとしみじみ思う。バイデンを批判するのは簡単だし、批判されても仕方ないことは多々あるが、安全保障に関する限り、バイデン大統領は今のところうまくやっている。
〇インド亜大陸
パキスタン首相が、同首相の不信任案審議中の下院を解散した理由として、野党連合が外国勢力と共に政権転覆を図ったためと主張したそうだ。正当な政治的反撃なのか、苦し紛れの愚行かは「神のみぞ知る」だが、パキスタンの政情不安は中東と南アジアの不安定につながりかねず、要注意だ。今週はこのくらいにしておこう。いつものとおり、この続きは今週のキヤノングローバル戦略研究所のウェブサイトに掲載する。
トップ写真:ジャーナリストのマクス・レヴィン氏の葬儀(2022年4月4日、ウクライナのキエフ) 出典:Photo by Alexey Furman/Getty Images