独ソ不可侵条約なみの奇怪さ トランプのウクライナ和平構想

樫山幸夫(ジャーナリスト、元産経新聞論説委員長)
【まとめ】
・トランプ米大統領のウクライナ和平をめぐる姿勢に世界は衝撃。
・米国の方針転換は、戦前の「独ソ不可侵条約」、戦後の「米中接近」に比肩されよう。
・過去2度のケースで日本は深刻な打撃を受けた。今回も同様の影響がでるのか。
■ もはや「米露同盟」だ
2月26日づけの朝刊各紙は、期せずして同じ見出しが躍った。
「米政権押し切る 揺らぐ国際秩序」(朝日)、「米ロ接近、国際秩序に亀裂」(日経)、「米露が接近 揺らぐ秩序」(読売)―などだ。
各紙がほとんど同じ表現を用いるのは珍しいが、それほどトランプ政権の方針への懸念が強いということだろう。
米国は2月24日の国連総会で、ウクライナからのロシア撤退などを求める決議案に反対、安全保障理事会においても、対露非難盛り込みを避けた決議案を提出、採択させた。
就任前、「24時間以内」にウクライナ停戦を実現すると豪語していたトランプ大統領は、「ゼレンスキー大統領は選挙を経ていない独裁者」、「ウクライナに責任がある」などの持論を披瀝。その一方で、プーチン大統領を独裁者と呼ぶのを避ける配慮も見せた。
安保理では、バイデン政権時にアメリカ批判を繰り返してきたロシアのネベンジャ国連大使は「正しい方向への一歩だ」と賞賛、手にひらを返すような姿勢を見せた。
米政権にとっては、従来方針から180度の転換であり、もはや「ロシア寄り」などという表現にとどまらず、不倶戴天の敵との「同盟関係」を結んだというべきだろう。
■ 仇敵同士の握手に「欧州の天地は複雑怪奇・・」
〝昨日の敵〟その握手で、まず想起するのは、第2次大戦の直接の引き金になった「独ソ不可侵条約」(1939年8月締結)だ。
仇敵同士だったヒトラーとスターリンの独裁者2人が手を握った「現代史の怪物」(当時、朝日新聞の欧州特派員だった笹本駿二氏の「第二次世界大戦前夜」)については、史家の議論がいまなお、やかましい。
当時、領土拡張を進めていたヒトラーは1938年に、オーストリアとチェコのスデーテン地方を併合、ミュンヘンでの会議で、当時の超大国、英国とフランスに容認させた。
イギリスに戦う意思なしとみたヒトラーは、ポーランドに触手を伸ばすが、侵攻した場合に備え、背後にいるソ連の脅威を除去しておくことが必要だった。
一方のスターリン。〝ミュンヘンの宥和〟は、反共主義者であるイギリス首相、チェンバレンらが、ドイツの鉾先を自国に向けるために凝らした策謀と感じ、むしろドイツと手を結んで危険を除去しようとした。両者の思惑が一致、極秘交渉は一気に進展した。
これによって、戦争不可避との悲観論が広がったが、事実、ドイツは1週間余りでポーランドに侵攻、第2次大戦がはじまった。
欧州だけでなく日本への影響も深刻だった。コミンテルン(国際共産党)に対抗するため、ドイツ、イタリアとともに防共協定を結び、3国同盟への格上げを検討しているさなかだったため、はしごを外された平沼麒一郎内閣は総辞職に追い込まれた。「欧州の天地は複雑怪奇な新情勢を生じた」という退陣の弁は有名だ。
■ 戦後は米中の日本頭越し接近
次に日本が外交上が煮え湯を飲まされたのは戦後も30年近くたってからだった。
1971年7月、当時のニクソン米政権が、それまで国交樹立を拒み続けてきた中国を訪問すると突如、発表した。
アメリカは戦後一貫して、台湾の国民党政権を正統政府として認めてきた。しかし、1960年代後半以降、中国と国交を樹立、台湾と断交する国が相次ぎ、北京の国連加盟も現実味を増してきた。
こうした情勢を踏まえ、ニクソン政権は、中国との関係を改善、当時冷戦のまっただなかにあったソ連をけん制する目的もあって、大きく政策を転換した。
もっとも影響を受けたのは日本だった。
唯一の同盟国、アメリカと歩調を合わせ、敗戦時に寛大な処遇をしてくれた国民党政権の蒋介石総統に義理立て、北京を西欧政府と認めず、その国連加盟にも反対し続けてきただけに戸惑い、衝撃は大きかった。
米政府からは事前の説明がなかったこともあって、当時の佐藤栄作内閣は窮地に立たされ、佐藤後継の田中角栄内閣による米国に先がけた日中国交正常化に発展する。
これに対して米国が反発、田中首相が退陣後刑事訴追されたロッキード事件の遠因になったという見方も一部では、なされている。
■ トランプを説得、宥めるのは日本の役割?
ウクライナ和平をめぐる米方針について、トランプ政権側から、日本側に説明があったのかなどは明らかではないが、さきにワシントンで行われた日米首脳会談で、そうした事前通報がなされたフシはみられない。
石破首相は2月26日の衆院予算委員会で、トランプ大統領の親ロシアの言動を支持するのか、これまでなぜ意思表示をしなかったのかについて聞かれ、「アメリカ国内にもいろいろな意見がある、真意がはっきりしないので発言を控えてきた」「G7(主要国首脳会議)各国の結束が重要だ」などと述べるにとどめ、言葉を濁した。
日本は現在、国連安保理の非常任理事国からは外れているが、米国が反対した24日の総会での決議案には賛成した。 唯一の同盟国、アメリカとの関係は重要だが、ロシアに有利な和平案に賛成するわけにはいかず、苦しいところだろう。
トランプ政権が想像を超えるウクライナ和平案、対露政策に同調するよう求めてきた場合、どう判断するか。 その時の衝撃、影響の度合いは、独ソ不可侵条約、米中接近との比ではなく、日本外交が足場を失う恐れもある。
日本としては、G7、NATO(北大西洋条約機構)各国、韓国や豪州、ASEAN(東南アジア諸国連合)各国との連携を密にするのが、唯一、ベストな途だろうが、欧州でのウクライナ支援の中心、ドイツではショルツ首相の退陣が決まっており、カナダのトルドー首相も退陣を表明している。英国のスタ―マー政権は発足から日が浅いし、マクロン仏大統領も人気低迷をかこっている。
韓国の政局混乱が続いていることを考えれば、日本の首相にこそ、トランプ氏の説得、宥めることが期待されているのかもしれない。
その日本も、自民党の政権基盤が安定せず、安倍晋三氏亡きいま、だれがその任に当たっても簡単ではないだろう。
日本外交の漂流だけは避けなければならない。
トップ写真:ワシントンDCのホワイトハウスの大統領執務室で、記者の質問に答えるマクロン仏大統領に耳を傾けるドナルド・トランプ米大統領(2025年2月24日)出典:Photo by Chip Somodevilla/Getty Images
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この記事を書いた人
樫山幸夫ジャーナリスト/元産経新聞論説委員長
昭和49年、産経新聞社入社。社会部、政治部などを経てワシントン特派員、同支局長。東京本社、大阪本社編集長、監査役などを歴任。

